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経験が幻と感じられる時

良い経験にしろ、悪い経験にしろ
あ〜
あれは
幻だったんだ...
そう、感じるとき

そんな時、その経験をどのように受け止めたら良いのでしょうか?

20代前半の頃
社会人になりたてで
夢や、
希望に満ちあふれ☆
初めてもらうお給料を手に
両親への贈り物、お世話になった人へのプレゼント
自分へのご褒美...
様々な、思いを描きながら
仕事への意欲溢れる、新鮮な日々を送っていたあの頃...
楽しい社会人生活は、華々しく幕を開け
夢への階段はまっすぐに、上へと繋がっているものと信じていました。

上司によるDV

今では、DVという言葉が一般的になり
そういう事実が存在し、苦しんでいる多くの人がいることが
社会的に取りざたされるようになりましたが
当時
それは、美しいオフィスビルの一室で
毎日、毎日、繰り返され...
例えようの無い、絶望感の漂う空気の中
感覚が完全に麻痺し、
重い足取りで、日々の業務をこなし、心の中で悲痛な叫びをあげていたのを
思い出します。

世間と隔離された世界

まさに
それは、不思議なくらい世間の人の目には、触れる機会が無く
恐怖という、恐ろしい呪縛によって
誰一人
社外の信頼できる人間に
口外することも出来ず、
時計の針がゆっくりゆっくり、進む空間の中で
ひたすら苦痛に耐えなければならない時間が流れていました。

なぜ?

あれから数十年経った今、
考えてみれば、
本当にどうしようもなかったのか?
そんな問いが、わき上がり(今でも)
自問自答を繰り返す時があります。

でも
どうしようもなかった...

ほどなく、その経験はTime Upとなり、その環境から解き放たれた時は
すでに
3年以上経過。

体中が痣だらけとなり、左耳の鼓膜も3度ほど破ってしまいました。
自律神経失調症...
メニエール症候群...
いくつかの病名をつけていただいた、私の体(^^;)
しかし
親にいただいた、健康な体は
過酷な環境で耐えに耐え、
最小限の損失で抑え、自身を守ってくれました。

衰弱し切った肉体は、ぼろぼろで
心もぼろぼろ...

それでも
時間という、薬によって
傷は徐々に薄れ

まるで
あの頃のことが
うそのよう

まるで


経験は、お金では買えない貴重なものを
自分に与えてくれます。

自分が得たものは
自分にしかわかりません。
自分が学んだものは
自分にしか完全には理解できないのです。

同じような経験をした人が
気持ちをわかってくれたとしても
全部を理解するのは不可能です。

自身の経験は
自身のものでしかないのです。

それは
良いものであれ、
悪いものであれ、
受け止め方によって
貴重な財産であり、宝物です。

何不自由無く恵まれた人

今では
そのように私のことを見てくれる人もいます。
決して、大きな家に住んでいたり、
高級な車に乗っていたり、
毎日、外食三昧しているような、
いわゆる、セレブのような生活をしている訳ではありません。
はっきり言って、その逆です(笑)

恵まれているとしたら...
必要な時に必要なだけ、
必要なものが、手元にあり、
そして何より
素晴らしい友人がそばにいてくれる。
素晴らしい人との縁に恵まれている。

私の過去の苦しみは、
当時の私にとっては、地獄のような苦しみでした。
もちろん
その後も、苦しみや悲しい出来事は続きました。
泣いても泣ききれないくらい
涙が涸れて、もう出ないくらい泣き尽くした日もありました。
虚しさに、胸がつぶれそうになるような、出来事にも出くわしました。
当時、大切だと思っていたものを、あっけなく無くしたことも...

この世が嫌になる
生きていることですら、息をすることですら
つらいと感じる
そんな日も過ごしました。

でも
それも、今となっては幻ですと、

それは
逃れられない、苦しみの世界を味わっている人から見たら
苦しみとは言えないくらいの
ほんの些細な出来事ですと、

そう、言われたら...

本当に、その通りなのです。

全ては
幻です。

ボロボロだった肉体は癒え、今では健康そのものです。
ずたずたに傷ついた心は、修復され、他を温かく見ることが出来ます。

苦しい、苦しい...
なんてつらいのか...

そう思って、歯を食いしばっていたあの頃は、今では遠い過去

全て
幻と、消えていき
今の私の生きる情熱の炎となって、赤々と周りを照らし、
人は立ち直れる...
経験は、何にも代え難い、自身の財産となりますよ!!
と、ちょっとだけ力を込めて
胸を張って言える。

[今]が、存在するとするのなら...
そういえる自分が今、ここにいる。

今日のワンポイントヨガ
☆現実とは何か?☆

誰かに怒鳴られた時、人は苦しみを感じます。
しかし、ある劇の中で、誰かに怒鳴られる役を演じたとします。
怒鳴る役者はベテランで、大変真実みを込めて怒鳴ったとします。
しかし、あなたは苦しまない。
(言い方を変えますと、なされた言動に心が動かない、いや、わらってさえいられる)
なぜなら、それは、劇の中のこと。
真実ではないと知っているからです。
では、
現実と呼ばれるシチュエーションでは、そうはいきません。
あなたの心は激しく動き、何日も苦しむ。
しかし、現実と呼ばれるものと、劇中のものとは、一体
何が違うのでしょうか?
怒鳴られるという行為は一緒です。
でも、
どちらかは、真実でどちらかは劇の中と、考えています。
同じ行為をされても、どちらかでは苦しみ、どちらかでは苦しまない。

でも、どちらも劇の中のことなのです。
なにをもって、現実とするのでしょうか?
苦しみをつくりだしているのは、自分自身の心なのです。
それを真実と考えるから
苦しみが生じるのです。
現実とは何なのか?誰も答えることはできません。
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by atelier-kuh | 2010-03-14 18:48
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