atelier 空 kuh

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答えを求めて

ふと、疑問に思う事...
心にわき上がってくる、問い...
誰にでもなく、質問してその答えを待っている...

心の中で、そんなやりとりをした事、ありますよね?

何気なく、「あ〜今日はやる気が出ないな...学校休んじゃおうかな」
そんな気持ちで目覚めた朝。
友達から電話があって、
「学校に今日、○○持って来てもらえる?」と、言われて...
「あ、ちゃんと行きなさいってことか...」
心の中で、納得して、さて!気持ちを切り替え、行く準備...☆

例えば↑こんな具合に...^^

これって、どういう意味だろう?
こういう場合は、どうしたら良いのかな?

全ての出来事に対して、明確な答えを持たない私達は、
様々な事象に出くわすたびに、いろいろな悩みを持ちます。
(時々、占いで、答えを得ようとしてみたり、おまじないをしてみたり 笑)
悩みまでいかなくとも、疑問や何気ない問いは、日常に付きものなのかもしれませんね。
人間が、思考する生き物だからこそなのだと、思います。

疑問

人それぞれ、様々ですね!
そして、その答えも様々なのかもしれません...。

ですが、この世の真理に関しては、たった一つしか無い事に、
気づく人は少ないでしょう。

人が求めているものは、本当はたった一つ。
そして、それを得る為のものも、
たった一つ。

どんな悩みや疑問の答えも、全て
そこにあるという事。
そして、全ての人は、それを求めているという事。


普遍の真理を追い求めた、偉大な人々は
過去にもたくさん、いらっしゃいました。
そして、その偉大な教えは、時を隔てても、未だかつて色褪せること無く
現代の悩み多き、人々の生きる指針となって、存在し続けています。
ですが、
その、教えの存在に気がつく人は、ごくわずかで
中には、ねじ曲げられたものを真実と思って、生きている人も多いようです。

答え

算数の計算のように、電卓をたたけばすぐに出てくる答えもあれば、
長いタイムスケールの中で、時間をかけて導きだされる答えもあって、
インスタントなものが好きな、現代の人々の多くは、
常に、焦りを感じるか、もしくは、すぐに出る答えに目を奪われて
本当に大切なものを見逃してしまいがち...

自分が一体、どんな答えを求めているのか...
それは、本当の答えなのか?
自分が希望している答えに過ぎないくはないか?
希望通りではないので、それは答えとは認めないのか?

エゴや欲を離れてみると、
それが本当に求めている答えなのかどうか...
気がつくのは、以外と簡単かもしれません。

今日のワンポイントヨガ
☆死後の世界を信じられない人☆

人は死んだら土になる。
生まれ変わりなんて、信じない。
そのような人もたくさんいますね!
ヨーガを実践する人達は、ほとんどが生まれ変わりを信じています。
と言うより、
ヨーガの定義が、
真我に至ること、つまり、輪廻の輪から脱却して永遠の幸福に至ることですから、
ヨーガを実践していて、死後の世界を信じていない人がいたら、
それは、ヨーガでは無く、
健康に良い体操をやっているだけになります。
ではなぜ、死後を信じる人、信じない人の差異が出てくるのでしょうか?
ヨーガでは、それは、無智、無明といい
功徳が無い魂は、真理を否定する立場を取ると、説きます。
過去世から、低い世界の転生が多いと、意識は動物化して(物事を考えたり、深く理解したりできない状態)無智になっています!?
それによって、何が真実で、何が真実でないか理解できない意識を形成します。
逆に、
功徳があると、その精神は光の性質を持ちますので、観察眼や思考が
大変鋭くなります。
それによって、生まれながらの個体差が生じるのです。
つまり、
生まれながらにして、モノが食べられない国に生まれたり、
その逆に、豊かな家庭に生まれたり、
あるいは、昆虫や動物を見ても、
なぜ、これらは同じ生命を有して、このような生存になっているのかと、
個体差に疑問を生じさせたりするのです。
または、
観察や、思考だけでは無く、
過去世を覚えていたり、直感的に生まれ変わりはあると
功徳ある魂、カルマが良い魂は感じるのです。
そして、ヨーガの実践により、
実際に瞑想などで、低い世界、神の世界を経験し、
死後の世界があるということを、完全に理解するのです。
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by atelier-kuh | 2010-04-09 10:56
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atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


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