atelier 空 kuh

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景色

今日は朝から、車でちょっと出かけました。
いつもの風景とは違った感じの朝を、
なんとなく新鮮な心地で過ごし...
あたりの景色をゆっくりと眺めます。

何故でしょう?

いつもと変わらない朝なのに、
行き先が違うだけで
こんなにも違った景色に感じるものでしょうか?

例えば、
大切な仕事の打ち合わせに向かう日の朝
ちょっとドキドキ...なんとなく心は上の空で...
いつもの朝食も、何を食べたんだか??味も全然わからない(^^;)

憧れのあの子と初デート☆
朝からそわそわ...まるで天にも昇るような心地...
うきうきしちゃって、心はルンルン♪

人間の感覚って不思議ですよね?!

こんな調子で
その時の状態によって、その本人の感じ方、
他人からの見え方なども、明らかに違ってくるのですから。

落ち込んでいる時は、全てのものが暗く重く、感じたりします。
逆に
良いことがあって、心がHAPPYな時は、何もかもが輝いて美しく見えたりします。
そんな経験、ありませんか?

でも、目に見えている景色というのは
その時々で変わっているのでしょうか?

変わっているとしたら...
それは、景色が変わっているのでは無く、
その人の心の状態が変わっているだけではないのでしょうか?

人の心は常に
「幸福」でありたいと願い、その状態を追い求める性質があると言われます。
だから、いつも
こうしたい、こうなりたい、これが欲しい、あれも欲しい☆
こうなれば、自分は幸せに違いない...!

そうやって、自分の考える「幸福」を設定しては、
それを追いかけ、求め続けます。
ですが、その「幸福」を外側に追い求めたとしても、
手にした瞬間、必ずその状態は崩れ去ります。
「時間」の中にいる以上、これはどうしようもないので、
仕方がないといえば、仕方が無いことです(TT)
では、
どうしたら???

やはり
自身の「幸福」を、外側の何かで埋め合わせるのは無理なのだ、ということに
気がつくこと☆

人は、他に対して何か
良いことをすると、心は軽くなり、明るくなります!
(悪いことをして、明るくなる人はいないですよね^^;)
この、他に良いことを為すという行為
(仏教用語では功徳といいます)
これを、日々積み重ねていくと、人の心は幸福感でいっぱいになると言われます☆
感謝し、感謝される日々
悪いことがあっても、頓着しないでいられる

そんな些細なことの積み重ねで、見える景色が変わるとしたら...

同じ場所を通っても
数年前とは感じ方が違う

私は、まさにそれを感じました。
数年前、悲しみでいっぱいの心で見上げたビルは、ただのビルでしかありませんでした。
そして今、喜びの心で見上げた同じビルも、ただのビルでした。
そこには、数年前も今も、変わらずに同じビルが建っているだけでした。
ですが、見る人間の心の状態で、ただのビルが暗くどんよりとした建物に見えたり
明るく輝く綺麗な建物に見えたり...

いつも心が明るく
見るもの全てが輝いているような、心の状態☆
そんな状態は、本人も、またその周りの人達も
きっと、幸福感を感じるに違いありません。

今日のワンポイントヨガ
☆迎合した教えに真理は無い☆

最古のヨーガ経典「ヨーガ.スートラ」には、
離欲をヨーガの最大の理念と紹介しています。
これは、仏教やチベット密教も同じで
これらの教えの共通は、欲望を滅尽することに言明つくされるのです。
しかし、
現代社会では、このヨーガブーム、または仏教の教えも
古来から伝わっているのにも関わらず、なぜ、
この離欲の概念が広まらなかったのでしょうか?
実は、欲を滅する方が本当は幸せになれるのですが、
現代人の多くは、離欲を厭い嫌うからです。
過去生に高い世界の経験が無い魂ほど、
欲望を肯定し、欲を欲し、欲望にまみえることを良しとします。
そうしますと、
離欲を説く、真のヨーガや教えは、
誰も欲することもなく、嫌悪され、見向きもされなくなります。
それによって、
お葬式の時にお経を読むだけの仏教、
ファッションだけのヨーガが、もてはやされてしまうのです。
真の意味で離欲を説く仏教徒や
離欲を展開するヨーギーとお目にかかれないのは
そのためです。
しかし、妥協した教え、現代人に迎合した教えの中に真理はなく
誰も救われることはありません。
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by atelier-kuh | 2010-04-22 17:51
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