atelier 空 kuh

atelierkhu.exblog.jp ブログトップ

理屈

理屈...物事のすじみち。道理。ことわり。こじつけの理由。現実を無視した条理、またそれを言い張る事(広辞苑より)

理屈で説明出来る事って、そんなに大事なことなのでしょうか?

直感勝負(笑)で、生きている私にとっては、理屈はあまり重要ではありません(^^;)
世の中の理屈好きさん、すみません(笑)

時として、この「理屈」が邪魔して、
真実が見えなくなってしまったり、より複雑化して、物事を進めて行くのに支障が出たり...

理屈
どちらかというと、厄介な感じがします...

でも、世の中には
物事の事象を全て、理屈で解釈したがる人は大変多く、
何に関しても、証拠が欲しい。
目に見える実証が欲しいと、視覚に訴えるものに、絶対の確証を抱きがちです。

本当に
真実は目で見えるものとして、確認する事が必要なのでしょうか?!
そうして確認出来たものは、真実だと確信する事が出来る、「絶対」のものなのでしょうか?!

私には
それらは、大きな落とし穴にさえ思えるのです。

「ほら、ね、見てごらんなさい!この通り、これが本当ですよ〜」などと、
体裁よく、簡単に目の前に見せられるようなものは、
かえって嘘くさく、チープで、薄っぺらなものに感じたりは、しないのでしょうか?

かといって、
目に見えるものが全て、いかさまとも思いません。
もし、そこに
真実があるとしたら...
それは、理屈などとは無縁の、心に訴えかける、(私の場合は直感に訴えかける^^)
深い感動や、理屈や言葉などでは説明がつかない、
そのようなものではおよびもしない、
その現象の背後に存在する、大いなる畏怖に満ちたエネルギーをも、
同時に感じるものではないかと、思うのです。

何故?
人は、目に見えるものを真実だと思うのか?
理屈で説明出来るものこそが、本当だと感じるのか?
それこそが
単なる、つじつま合わせのこじつけなのではないかと、
思ってみることなどは、ないのでしょうか?

言葉のあげあしをとる...相手の言い損ないや言葉じりにつけこんで、なじったり、皮肉を言ったりする(広辞苑より)

↑あまり、良い言葉では無いですね...(^^;)

これらの行為を行う時、心の背景には何かしらの意図、
相手への感情的なものが、存在しているはずです。
本人のプライド、相手への嫌悪、相手より優位に立ちたいと思う支配欲、負けたく無いという心...etc.
どれもこれも、あまり持ち合わせて、楽しくなるような心の状態とは思えません^^;

ですが、
何かしらの思惑があるがために、行うことであるのは確かなようです。
これが、
プライドや、支配欲から生じるものであるとするならば、
喉のチャクラ(ヴィシュッダチャクラ)に詰まりがある場合、
このチャクラが振動していると、そのような感情に支配されるといいます。
一般の負けず嫌いはこのタイプです☆
嫌悪が優位である場合、
こいつ!嫌いだ!なんか、気に食わないから、理屈でこらしめてやる!
...^^;
このような感情によって、行為を行っている場合は
もっと下位のチャクラが振動しています。
※ヨーガ的には、下位のチャクラを振動させる事は良しとはしません。
(蓮華座法を深く組み、アパーナ気という下位に至る気の流れを遮断し、気を上昇させることも
下位のチャクラに意識を向けない一つの方法と言われてます。)

なにはともあれ、
理屈ばかりこねくりまわしていても、物事がシンプルに解決に至る事は、まれで(?!)
目に見えるものだけを、唯一の真実と思っていると
本当に大切なものに、ヴェールをかけているようなもので...
いずれにせよ
自分自身の経験において、真実を知った時こそが、
ヒトがつくった「理屈」を超えた存在に、気がつく☆

というのが...
私の理屈☆

言葉って難しいですね(^^)

今日のワンポイントヨガ
☆苦しみの生存は自分への警告☆

全ては私達が、心で思ったこと、語ったこと、為した行為からしか生じない
ということは、みなさんご存知だと思います。
で、あるならば、
生まれたときから始まって、今まで生きて来て経験した全ての苦楽は、
皆さんのカルマから、生じたものです。
他人に与えられたものでは、ありません。
その法則は、永遠に続き、決して変えることはできません。
この事を理解したとき、智慧ある人は、
生き方を振り返り、改めるに至るのです。
よこしまな心、言葉、行為、
これらのものから離れるわけですから、当然、
人生そのものも、良くなってくるわけです!
そして、より良い人生を味わう、皆さんとは裏腹に...
悪業の結果で苦しんでいる人の存在にも、気がつくことになるわけです。
例えば、
死、病、貧しさ、精神的苦痛、で苦しむ人達。
また、
犯罪を犯してしまう人、あるいは外国で餓死してしまう人。
または人間以外の動物、昆虫、などの生存。
これらを見た時、
良い人生を歩んでいる自分とは、無縁に感じるかもしれません。
しかし、
それらを見た時、
智者はこのように考えるのです。
それらの苦痛は、悪業の結果であると。
もし、これから自分が悪業を積み重ねていくならば、
同じ苦しみを経験することになってしまうのだ、あるいは、同じ境遇になってしまうのだ。
このように
自分への警告と捉え、反面教師として考えるのです。
そして、そのようにならないよう、
いっそう、自己の心、言葉、行為を磨き上げていこうとするのが
最高の実践なのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-05-08 15:32
line

atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


by atelier-kuh
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite