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理不尽

世の中、理不尽なことがまかり通っているな...
と、感じる事はないですか?
感じなくとも、なんとなく
おかしいな...
とか、
変だな...
とか
歪んでいるな...
とか。

弱者は虐げられ
何も悪い事を為してはいない者ですら
苦しい境遇にさらされたり

不当な扱いまで受ける

そのとき
強者は

肥えた腹を突き出して
高笑いしながら
金を貪り
権力を貪る

弱者に対して
何かを施そうなど
手を差し伸べようなどとは

思わない

歪んだ世の中は
他人の住む世界ではなく


私達の住んでいる
この世の中の

目の前で
繰り広げられている
現実

そう、感じるとき

小さな子供が
母親の腕に抱かれながら
幼気な
澄んだ瞳を
こちらに向け
屈託なく
笑う

この子が
大人になった時...

この世の中は
少しは
ましに
なっているのだろうか?

それとも
今よりもっと
荒廃が進み

この子も
世の中の汚れにまみえ
目の前で繰り広げれている
悪夢に気づく事無く
ただ
おもむろに時を過ごし
一生を終えて
まっさかさまに
落ちていくのだろうか...

何も知らず
知る由もなく
知ろうともせず
流されるがままに

理不尽が
まかり通る
世の中

深い哀しみが
襲う
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by atelier-kuh | 2010-08-15 20:29

楽しき日々とは

連日、暑い日が続いています!

北海道も真夏を迎えました!!

今がまさしく
夏本番!!
どこもかしこも
開放感に溢れた雰囲気☆
それはそれとして...

若さ故
夏の暑さも楽しいのでしょう。

同じ暑さでも
人によって
感じ方は様々です。

若い方でも
暑いからといって、はしゃいだり、羽目を外したり
開放感に浸っていることを良しとしている人ばかりとは
言えません。

そして
ほとんどの場合

楽しいのは一時だけです。

若い時は楽しい夏のひとときも
年を重ねると
ただの暑いだけの苦痛の毎日...という人だっているはずです。

なぜ、夏だからといってはしゃぐのか???
そんなことを呟いている人もいらっしゃいました。
...(. . )ま、確かに...ね

誰でも
年は取りますから
せめて、若いうちだけでも!
と思う気持ちはわからないでもないですが...
そう考えると、
若いうちは何をしてもいいのか?という極論を唱える人も
いないとも限りません。
そんなこと、何しても良いはずないのは言わなくてもわかるはず...と思っていたら
言わなきゃわからない人も多いのよ!今の世の中!!
と、お叱りを受けました。

なので、こうしてちょっと呟き程度に
ブログに書いたりしているのですが...

たまに更新したと思ったら
そんな説教がましい内容?!
と、これはこれで怒られそうな気もしないでもない?!のですが...^^;

今さえ良ければ良い
楽しければ良い!

そんな思いで、時間を無駄にする事は
決して自己の為とはなりません。

下を見れば切りがなく
上を見れば、さらに上は存在するのです☆

ある本を読んでいて
目に飛び込んで来た衝撃的な記述@@!!

せっかく
奇跡に近い確率でこの人間界に人間として生まれて来たのに
なぜ、人間以下の動物と変わらない生活をして喜ぶのか?
何故
人間としての智慧を持たず、思考の力を有効に使わずに
貴重な時間を無駄にして
また、落下の世界へと流転し続ける道を選ぶのか?
なんと哀れな魂よ...

このような記述がありました。

さて
これを、どう受け止めるかは
お一人お一人の
感性です☆

今日のワンポイントヨガ
☆シャンティ☆

ヨーガの本場インドには、
アシュラムと呼ばれるヨーガ道場がたくさんあります。
そして、おおよそ、どのヨーガアシュラムでも
実践を行う前に、自分の身近な人、家族など、
崇高なアシュラムにおいては全ての魂の平和や、平安を祈ります。

この
平和や平安をシャンティと呼びます。
実際は平和という訳語より、平安の方が正しいニュアンスと言えるでしょう。
では
平安とは何でしょうか?

これは、ヨーガの実践において
心身が苦しみの無い状態、
カルマの法を知ることによって
喜びにも苦しみにも頓着せず、また、私達を苦しめる煩悩からも
離れ、更に、功徳によって内側が喜びと安らぎを得ている状態が
シャンティなのです。

このように考えますと、
真理無き場合は、
このシャンティを得る事は不可能であることが
理解出来ます。

真理無き生き方は、
喜び事があれば大はしゃぎ、
苦しみがあれば落胆する。

そして絶えず、
欲望にまみえ、
そこには真のやすらぎ、シャンティを見いだす事はできません。
ヨーガ実践、真理の実践を行う魂だけが
真のやすらぎ、シャンティを得る事が出来るのです。

そして実は
他の幸福を願う人が一番のシャンティを得る事になるのです。
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by atelier-kuh | 2010-08-09 21:22

断食

先日、たまたま入ったお店でラジオがかかっておりました。
パーソナリティーの男性が
しきりに
断食
と、繰り返しているのでつい、気になって...^^
なにやら
ご本人が
断食にトライしたとか...@@

さてさて
一体
どのような断食をされたのでしょうか?

一般に
断食というと
食を断つと書きます通り
一切の食事をしないのが
断食
ですが、これにはどんな効果とどんな意味があるのでしょう?

人は
食べ物を摂らなければ生きていけないという、観念があります。

以前に、インドにて数十年間飲食せずに生きているという人が発見されました!
が、そのような人は稀ですね。
しかし、実際
ヨーガの世界では
生き物はプラーナによって生命エネルギーを維持している☆
と、考えられています。

もちろん、だからといって
じゃあ!私は明日から何も食べないわ!
と言ってもいきなり、プラーナだけで生きていけるというわけではないので^^;
食べる
という行為そのものから完全に離れるのは、至難の業と言えるでしょう。
ところが
現代は
特に日本は、食べ物が余りに余って...
レストラン、コンビニなどでは、一定の時間が過ぎて売れ残ったものは
あっけなく捨てられる時代
飽食の時代と言われています。
外食産業も盛んで
日本に居れば、世界中の食べ物を食べる事が可能
とも言われています。

そして
実際、ある一部分の層を除いて
その気になれば、欲するものを食する事はそう、難しいことでは無い世の中です。

要するに
多くの人が日常的に
食べ過ぎ傾向、といえなくもないのではないでしょうか???

そんな中で
断食は
ある程度、内蔵のお掃除、宿便の掃除、至っては血液浄化など
また、それらから波及する様々な効果があると言われます。
心の面でおいては
一種の貪りから離れる、精神鍛錬(我慢、抑制など)、自己の内面を見つめるなど
通常の生活の中では、なかなか為し得ない経験から得られるものも、多々あるかと思います。
(もちろん、専門知識をもった方の指導のもと行うのは原則です)

実際
ぷち断食なんて言葉もあって
主に美容面で実践される方も増えているようです。

ラジオの話に戻りますが
この方は、北海道に来たら
うに丼、海鮮ものに舌鼓☆...を期待していたのに
断食のあとは大根飯...なんという不幸な食事...!
と嘆いていらっしゃいました。

気持ちはわかります^^;
でも
贅沢になれてしまった私達は、それ自体が病の原因になっているとは
あまり気がつきません。

断食の後、美味しいものを食べたい!と誰しも思う事でしょう。
そして、実際食べたら、その美味しさに感動の涙!を流すかもしれません...
食べられることの有り難さを感じる人も多いでしょう。
ですが
断食の意味は
もっと、奥深くにあるのです。
せっかくの断食の後、3日経ったらいつも通りの1日3食あるいは4食の日常
では、断食の効果も半減といわれます。
食べないことを通して
何を思うのか...
そこから何を得るのか...
何の為に行うのか...

ここではあえて書きませんが(長くなっちゃったので、又今度)
何を目的としてそれを行うか
何をするにもこの目的をはっきりさせるということは大切ですし
断食に関してそれをするならば
ヨーガでいう
「最低限の努力で最大限の効果を得る」ことを目的とし、
どうせ我慢して食を経つ何日かを経験するなら、
得るものも
最大限の効果を...
その後の人生にまで影響を与えるほどの、大きな恩恵を望んで
挑まれる方が、ご自身の貴重な時間を費やす意義と価値が
あるのではないかな...

おせっかいな私は、思ったのでしたっ(^^)

ラジオの男性が
大根飯は不幸な食事...と思ったのでは
断食の効果があまり無かったのかな?と感じてしまった私でした...

今日のワンポイントヨガ
☆一日一生☆

偉大な勝利者仏陀は、弟子達にこのようにお説きになられました。
一日一生
今日の与えられた日が、最後の一日と考えて
仏道修行に励みなさいよ

これは、一切は無常ですから仏道修行を歩むような功徳ある魂でも
いつ死ぬかわかりません。
あるいは、いつ功徳が尽きて修行出来なくなるかも
わかりません。
また、いつ無智のカルマによって修行を放棄するかも
誰にもわからないのです。
そして、無限の生まれ変わりからみますと、
人生たかだか80年全てを仏道修行に捧げても
瞬間に過ぎないほど短いものです。
で、あるならば
毎日の一日一日を
真理の実践が出来る最後の一日だと考えて
ベストを尽くすこと
それが、最高の智慧ある魂の実践であり、
結果を出す魂の考え方なのです。
そして、無智であるならば
一日を大切に考えず、
煩悩にかまけて
真理の実践を先延ばしにし、
気がついたら、何も得る事無く
一生を終えてしまうのです。

私達も偉大な仏陀にならって
今日を与えられた最後の一日と考えて
今出来る最前の実践、最高の功徳を積み上げる実践に
励みたいものですね。
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by atelier-kuh | 2010-07-27 10:19

紫陽花

ひさしぶりにPCの前に座りました☆

ふ〜〜〜っと一息

まるでタイムマシーンでタイムスリップしたかのような...

めまぐるしい毎日です(^^)

好きでやっているので、そう、疲れは感じませんが...

PCデスクの横からは
小さな小さな猫の額ほどの庭が見えます


その庭で
紫陽花が花を咲かせ
ちょうど盛りを迎えています。
美しい青い紫陽花
グラデーションが鮮やかで、ところどころ紫色の濃い花びらも見えます。

この紫陽花
もう、5年も前になりますが...

根元から15センチほどの小さな株にまでぶつ切りにされ
廃屋の横に捨てられそうになっていたものでした。

家主にお願いして
我が家の庭に植えましたら
1年目は、じっと堪える石のように
葉も増やさず、減らさず
ただ外目には、現状を懸命に維持
しているかのように見えました。
2年目の春
ようやく少し慣れたのか?
小さな新芽を伸ばし始め、すこしずつ葉の数が増えましたが
花は咲かせてくれませんでした。
3年目
初めて小さなツボミを一つつけましたが
まだ
株は小ぶりで、花もひとつだけ咲かせるのがやっと...
そんな感じでした。
4年目にはいり
株は大きく成長し始めました!
ようやく、環境にも適応し、十分な栄養を吸収出来るようにも
なったようで...
葉の数も幹の太さも見違えるようになりました。
5年目になって
今年
見事な花をいくつも咲かせ
今日は、恵みの雨に体を震わせ、
全身でその恩恵にあずかっているかのように
生き生きと
美しく咲き誇っています。
雨にも美しく映える青い紫陽花☆

よく
頑張ったね☆
そう、エールを送ってあげたくなるような
みごとな成長ぶりに拍手☆

私も含めて
人の成長は、時の経過を経て初めて、目に見えてくる場合も多く
周りの期待が大きすぎると
その、成長は、ものすごく遅く感じる時もあるのかもしれません。
ですが...

焦る必要も
急ぐ必要も
無いのです。

時とともに歩みを進め
時とともに
前に進み、成長を遂げる

早くも無く
遅くも無く

そのスピードは
その人にあった、ぴったりと寄り添った
確実なペースで進んでいきます

まわりは、どれだけそれをじっくりと見守れるか
本人は、どれだけ周りを気にする事無く、確実に進歩する努力をするか

あとは
時とともに...

時間は個人個人にあわせて
優しく過ぎていきます

それを
信じる事ができるかどうかが...
重要ですね☆

今日のワンポイントヨガ
☆みなさんの前世は?!☆

ここに月10万円で生活している人がいたとします。
その人に、100万円をあげて月100万円の生活をさせたとしたら
豊かになった!自由になった!と感じる事でしょう。
逆に
1000万円の生活をしていた人が、100万円の生活になったとしたら
不自由になった、貧しくなったと感じませんか?

これと同じように
前世が、地獄や餓鬼、動物から今生人間に生まれて来たら
この人間の世界は当然、
楽しく、自由を感じることでしょう!
逆に
神々の世界、天界から生まれて来た人がいたとしたら
当然、この世は不自由さ虚しさなどを多く感じるはずです。
もし皆さんが、
この世は楽しい!素晴らしい!と感じるとしたら...
ご自分のカルマに少しは恐れを抱かなくてはなりません。
逆に不自由さ虚しさなどを感じるならば
人間より高い世界から来たと
考えられるのです。
そして
どちらであっても
天を目指し、天へ帰らなければなりません!
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by atelier-kuh | 2010-07-23 21:38

バガヴァッド.ギーター

ヨガの世界では有名な聖典
「バガヴァッド.ギーター」
私が気に入っているのは、
田中嫺玉さんの訳された
「神の詩」

帯に
ギーターは聖典ではなく、生き方の指南書です
とあります。

まさしく
この貴重な書物は、ヨーギーやヨーギニーに限らず
この、不穏な世の中に生きる道を求める全ての人に
手に取って
じっくりと読んでいただきたいと
心から感じる
すばらしい本です☆

その中の
一節☆

すべての生類に対して悪意を持たず、
彼らの親切な友となり 我執と所有欲なく
幸 不幸を等しく平静に受け入れ
他者に対して寛大であるもの

常に足ることを知って心豊かに
自制して断固たる決意のもとに
心と知性をわたしゆだねる者
このようなものをわたしは愛する

(※わたしとは、至上者.最高人格神を指す)

ラーマクリシュナの
コタムリト「不滅の言葉」も、素晴らしい内容です(^^)

近頃
時間が許せば、読みふけっております☆
貴重な気分転換☆
そして、休息のひとときです...
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by atelier-kuh | 2010-06-30 21:49

夏の日

今日は夏日☆
朝からじんわりと空気は暑く...うん、気温上がりそう!!

予報通りの夏日となりました!

こんなに暑い日でも、お天気がいいと人通りは賑やかですね☆

ご年配の方も、たくさんの方が杖をつきながら歩く姿を
あちこちで見かけました。

お元気な証拠

元気に自分の足で歩く事が出来るのは
素晴らしいことです☆

ギラギラと
音がしそうなくらい強く照りつける日差しは
まさに
夏!!
という感じで...

あ〜暑さに頭がくらくらしそう...
と、ぼ〜〜っとしてしまいました。

気絶??!!

は、しませんでしたが...

むか〜しむかし
こんなギラギラの太陽照りつける夏の最中...
たくさんのご老人に交じって
内科の待合室にうつむいて座っていた自分がいたことを思い出しました。

前日は徹夜
食事はいつ摂ったのだろう?
朝、お水くらい飲んで来たら良かった...
朦朧とした意識の中、そんなことを思っていたら...
案の定
気が遠くなって、気づいた時には
病院のベッドの中
たくさんの看護婦さんが、私を着替えさせたり、点滴の準備をしたり...
お名前は?
って@@私、診察も受けていないのになぜ?!ベッドに!!
と、思ったのもつかの間...
そのまま声も出せず、ぐったりと横になっていつの間にか、寝てしまい...

あれは、夢??

な〜んて
たまに思います。
その後、いつまで入院して、一体なんの病気?だったのか?(入院の理由)
そして、いつ退院したんだろ?!

お見舞いに来てくれた人は何人かいて
まともにお話もしたのだろうか...?

あまりに遠い想い出で...
思い出す部分もとぎれとぎれ。

今日のような
暑い日だった事は良く覚えているのに...

あれから何年経ったのかな?
毎年、夏は来るけれど
この出来事を思い出すのは...
極々、まれ。

昔は、夏が嫌いでしたが
今は
好きな季節☆

人の心は変わるものです。
そして
人も
変わるのです。

本格的な夏を前に
さて

健康管理はもちろんのこと
明日
果てるとも解らない
自分の命に向き合って
大切に生きていこう

何が本当で
何が本当じゃないのか...

真実を知って生きていく人生と
知らずに死んでいく人生と

人はそれぞれ
何かしらの
目的を持って
この世に生まれて来ているのだから...

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとラーマクリシュナ☆

インドでは、ヒンドゥー教、仏教問わず、数々の聖者が誕生してきました。
その中で、傑出した3人をインド三大聖者と呼び、
お釈迦様、シャンカラ、そして近代(1836年〜1886年)の大聖者ラーマ.クリシュナ.パラマハンサが有名です。
このラーマクリシュナは、
お釈迦様同様、まれに見る大聖者で、ヨーガでいうところの
サマディにたちどころに入る事が出来ました。
ある記録では、半年もの間、サマディに入っていたと記されている文献もあるほどです。
ラーマクリシュナは、
いつも神と共にあり、神と絶えず話す事が出来ました。
ラーマの口からは、神と真理しか出てきませんでした。
そして、一度会えば、誰もが虜になってしまうような、不思議な魅力に溢れていたのです。
神を求める多くの人達、ヨーギー、知識人から若者まで
多くの人が彼の周りに集まり、彼の言葉に耳を傾けたのです。
ラーマは世俗の人達の事を、このように述べています。
「信心深い人を見て、こういう連中がいるね、
朝から晩まで、神様の話をして、ま、あれは一種の気狂いだね、頭がどうかしているんだ。
そこへいくと我々は利口だよ、楽しみがうんとあるからね。金、名誉、それにうまいものを食べたり、女を抱いたり...
世俗の人達は、せいぜいこんなものなんだ。
神様が好きになると、この世への執着や、俗っぽい感覚からすっかり抜け出せるようになるよ」
と、このような話をされました。
ヨーガの道では、真我に至る道筋に、アーサナや呼吸法等を使って階段を駆け上る道もあれば、
バクティと呼ばれる、神に恋いこがれ、献身する道もあるのです。
もちろん、どちらも素晴らしい果報を与えてくれるのですが、
現代で、神などに対する信仰、等と言ったら、失笑や軽蔑を受けるかもしれません。
しかし、もしそうであるならば、
欲望を満足させる人、欲にまみえた人の方が、価値があることになってしまいます。
チベット密教では、人間だけではなく、
全ての生き物の幸福を願うという素晴らしい宗教理念があります。
また、
ラーマも、欲望ではなく、崇高な魂になる道が真の魂の道であると、説きました。
お釈迦様の時代は、2500年前、
ラーマが生きた時代も、もう150年くらい前です。
しかし、これだけ物質文明が発達しても、
私達の身体までもが、ロボット化したわけではありません。
今も、何千年前も、
変わらず、私達は生身の身体と精神で成り立っている生き物であるのです。
人間として、生まれ、
欲望にまみえるのと、崇高な意識を求める道と一体どちらが真実なのでしょうか?

答えは
皆さんのハートの中にあるはずです
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by atelier-kuh | 2010-06-26 21:36

どうかしてる!?

最近
(普段、あまりTVみないのですが...)
ふと、TVなど観た時に感じる事...

これだけの情報(一家に一台以上のTV普及率)が、世の中に溢れ出される状態の中において
垂れ流されている情報の「質」って一体???
誰もその質は問わないの???
なんの疑問も抱かないの???

って、正直ちょっと語気を強めたくなるような(^^;)
そんな低俗な(あ、強めちゃった...)モノが多いなと...
感じるのです。
感じませんか??

以前に
子供番組については、ちょっとだけ書かせていただいたんですけど
なんだか
その後もやっぱり...
残念

楽しい!
おもしろい!
あ〜へんなの〜!!
あははは☆
...って言って笑ってる...

って、それだけでいいの????@@!!

時にはそんな気分で、笑い飛ばしたい!
世の中の憂さを、うっぷんをぱ〜〜〜っと!!
って、気持ちは重々によくわかります(. .)
私もそんな時ありましたから☆

でも、
そればっかり!!って...いかがなものですか???

朝から晩まで
笑ってたら、疲れちゃうでしょ?!
人間の脳みそも退化しちゃいそう...
誰にどんなモノを観て欲しくて
誰がどんなモノを知って欲しくて
情報というものはつくられているのでしょう?
そしてそれは、流されているのでしょう?

どうかしてないかな???

思わず、顔をしかめたくなるような...
そんな情報を望んでいる人は、多くは無いはず。
でも
TVを普段観ない人が、たまに観て思うんだから
確率的には、そんな情報が多いって、言えなくも無いですよね???

誇り高き日本人が、
誇りの「ほ」の字も感じられないような表現で...
全国、いやいや、全世界に膨大なマスメディアの力によって
垂れ流しされるのは
なんとも...
私の世代じゃなくともね^^;
冷静に観察してみると
非常にがっかりしてしまうものであることは
....
本当に...残念....です。

もちろん
他の分野において、誇れるものというものが
きっとまだまだ残っていて
たくさん存在しているのも事実、
とは、思うのですが...
それにしても、一般大衆的に表に出されているものの
質たるや...
う〜〜ん?????

やっぱり、はてなマークがたくさん、たくさんついてしまう!?

みなさんは
そうお感じになった事はありませんか???


今日のワンポイントヨガ
☆なぜ他者を求めるのか?☆

私達の人生は、他との関わり合いです。
これは、否定する人は、いらっしゃらないでしょう。
家族や、夫婦のように、深い関わり合いから、
たった一度の関わりだけの人
または、友人、知人、それぞれ違います。
そして、私達は、近い人であればあるほど、
他者にたくさんのことを欲求します。
そして、自分の心のたくさんのスペースをその人達で埋め尽くすのです。
愛情であったり、寂しさであったり、
心の欲求するものは、全て他者で埋め尽くすのです。
でも、私達は気づいています。
もし、他者がいなくなったら、とても寂しく不安定な自分がいることを。
故に、
他者との別れ、他者を失う事を大変恐れているのです。
もし、私達が他者に心の幸福を依存するなら、
本当の幸福は決して得られないのです。
なぜなら、自分の心も無常、つまり移り変わります。
昨日まで好きだった人が、今日は憎しみの対象となり、
または、昨日まで敵だった人が、今日からは愛情の対象であったり。
それは、他人も同じ事なのです。
自分の心でさえも無常であるのに、
他者の心が無常でないなんてことが、あるでしょうか?
この世が無常である限り、絶対変わらない心、
他人の心の絶対を信じてもそれは、難しいことなのです。
故に、ヨーガの世界では、
他を愛し、認めた上で、自分の幸福を他人に依存しないのです。
対象の心が変わる。つまり、他人が自分を嫌いになったり、
裏切ったりすることも、全て認めた上で、
愛を投げかけるのです。
ですから、ヨーギーは
外的な要因に関係なく、
他者に自分の幸福を依存していないので、
いつも心は安定し、幸福でいられるのです。
もちろん、それを支えるのは、功徳の力と愛と悟りです。
功徳が満ると、外的要因とは関係なく、内側は歓喜に満たされます。
悟りは、全ては無常なるがゆえに、全ての変化を受け入れることが出来るのです。
そして、愛を得た人は、
他人から何かを得ようとは決して考えません。
与えるだけの人になっていますので、その人が例え、
無人島で一人きりになっても、決して寂しくなる事もありません。
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by atelier-kuh | 2010-06-14 10:12

本日は晴天なり!

爽やかに晴れ渡った青空
ただ
それを眺めるだけで
何故
こんなにテンションがあがるのかな...私☆

本当に
美しい

今日は久しぶりに
朝から窓全開で、部屋中の空気の入れ替えを行いました☆

籠りきりの状態でいると
やっぱり
新鮮な空気を欲するのは
自然なことのようで...

胸を広げ
ふか〜く呼吸をすると
まるで
自分自身
肉体を離れて
この
地球と一体になったかのような
開放感☆

あ〜
本当は
みんな、背中に羽が生えていて
思った通りに自由に大空をその果てまでも
飛んでいく事が出来るのかもしれない
きっと
忘れているか...
気がつかないでいるだけで...

深い深い意識の部分で
本来の自分自身の姿を追い求め
悪戦苦闘
この世の中の
様々なシステムや
決まり事の中で
動きづらさや
やりにくさ
歯痒さや
物足りなさを、感じながら...

決められた枠組みの中で
懸命に生きる私達...

頑張ってる

そっと
自分の内側に帰れば
そこは
誰にも邪魔される事の無い
聖域

誰しもが
必ずもっているsanctuary

その扉の鍵は
心のどこかに眠っている

どこにしまったっけ!?

忘れたものを見つけるときは
じっとして
思い出す
う〜〜〜ん....

じっとして
じっと
座って...

ゆっくりと

思い出す

心の中は
闇ではなく
眩しいほどの輝く光で
満ちている

今日のワンポイントヨガ
☆最高の親孝行とは☆

両親から受けた恩恵は計り知れません。
母親に至っては、お腹を痛めて我が子を産み
小さな頃は目を離さず、毎日食事を作ってくれたり、病気のときは
看護してくれたり、年老いてもなお、我が子の幸せを願ってやまない。
父親に至っては、可愛い我が子を養う為に、朝早くから夜遅くまで仕事に勤しみ
多くの人に頭を下げたり、休日には家族を楽しませる為に、あちこちに連れて行ってくれたり。
そして、やはり年老いても我が子の幸福を願ってやまない。

仏陀は、両親を死ぬまで、肩にしょって、大切にしても
その恩恵を返す事はできないと、経典において記述しています。
では、この親に対する、親孝行とは何でしょうか?
それは、たったひとつ
皆さんが、光り輝く魂になることです。
両親を大切にする事は素晴らしい事です。
そして、それと同時に、全ての人の幸福を願いそして、多くの人に対して
善や功徳を積み続ける。
そして真理を実践し、神々のようになった魂は、
その功徳が、7代の先祖までをも浄化するとも言われています。
不善を離れ、
不徳を離れ、
清らかな心、
清らかな言葉、
清らかな身の行いを為す人。
その人は、最高の親孝行を為す、心優しい智者なのです。
皆さんが、
光り輝く、有徳の人でありますように
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by atelier-kuh | 2010-06-10 12:58

ヨガ

昨日、久しぶりに教室でじっくりヨガをしました☆
どんなに忙しくても
これだけは、やらないと!...と思うのがヨーガ(^^)♪
それは気分転換だけではなく
肉体の疲労感、精神の落ち込み
そんなものを回復するのは序の口で
何にも代え難い、
魂の向上(といったら、大袈裟?!に聞こえるかもしれませんが...^^;)
に、役立つ☆
魂の向上??
これが得られると...
他のものは完全に
勝手におまけでついてくる?!というのが解りやすい表現でしょうか?
いろいろなものが
付随して、乗っかってくるので
あえて
欲望
というかたちで、つよく願ったりしなくても
それが必要であれば、自然と(自分が思った以上の形で)
与えられる☆
まさに、努力に値する報酬がいただける☆といった感じ。

というと、
なんだか、@@え〜何それ??
はてなマークがたくさん(笑)浮かんでしまうかもしれませんね。
ヨガって、だって...
体操でしょ?手を伸ばしたり、足を伸ばしたり...
なんか、瞑想したり...
すっきりしたり、ストレス解消できればいいんじゃないの??

なんで??

なんで?

こればっかりは、本人がやってみなくては解らないのですが。
としか、言いようが無くて...(^^;)
でも、
ホンモノのヨガに出会えば絶対わかります!!
実感出来なくては、意味が無いのがホンモノのヨガです!!

って、自分も最初は
あ〜肩こりが消えた☆
とか、
う〜ん、冷え性がなくなった☆
とか、
健康面での恩恵にいちいち満足していたのですから、
それ以外のものも、あるんですよ〜♪
なんて、言われても
正直、ピンとはきませんね(^^)

いつか、皆さんと一緒にできたらいいな〜
って、思っています☆

それにしても
今日もいい天気です!
上を向いていきましょっ☆

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーギーより偉大な菩薩様☆

ヨーガを行じる人を、一般に男性はヨーギー、女性はヨーギニーと呼びます。
ヒマラヤなどに隠遁し、個の幸福の為に一生ヨーガ生活をする人を称して
ヨーギーと呼ぶ場合もあります。
人里離れ、他と接する事無くヨーガ修行によって得た至福の境地を楽しみ、
時期が来たら、肉体を捨てて、ニルヴァーナと呼ばれる輪廻を超えた世界、
あるいは、天の世界へと返る魂
個において、これは最高の道といえます。
それに対して
菩薩様の道は、同じヨーギーでも
自分の得た至福をかなぐり捨てて、他の幸福のために
自らを捧げる道に入ります。
つまり、何が自己を幸福にし、何が不幸にするのかということを、
悟り得た菩薩の魂は、真理を述べ伝え、流布する道に入るのです。
他の魂が苦しんでいる事に対して、大いなる愛と深い深い哀れみを
生じさせ、他の魂を救い出そうと、道を歩み始めるのです。
このような道は、決して平坦ではなく大変険しいと言われています。
崇高な菩薩は、全ての魂の苦しみを消滅させようと
大変長きに渡り、修行を続けなくてはなりません。
仏陀は、一説によると10億回生まれ変わり、
この菩薩の道を歩まれたと、経典で説かれています。
また、
観音菩薩様の化身として有名な、
ダライラマ法王のチベットの経典では、
菩薩が持ち合わせていなければならない、様々な優れた心が説かれています。
例えば、
大勢の人の中で、罵倒されたり、軽蔑の言葉を受けたとしても
その人に、自分の先生に対するような謙虚さをもって、頭を下げ、
その人の長所を語らなければならないですとか、
自分に落ち度が無く、例え、誰かに切り刻まれたとしても
対象の行為が、悪業とならないように願うことが
菩薩の修行であるですとか、
様々な、崇高な教えが説かれています。
ヨーガの道は
最初は、テクニックや肉体的なアプローチを中心に展開されていきますが、
個の完成を為した後は、
菩薩のような、偉大な道、崇高な意識の実践も待っているのです。
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by atelier-kuh | 2010-05-31 10:20

空高く

お休みすると、言いながら...
ちょっと時間が空いたので(^^)

今日は
あちこちの小学校で、運動会が催されたようですね☆

賑やかな音楽や声援などが聞こえて来ていました。

久しぶりの快晴

運動会日和の、良いお天気に恵まれて
楽しい時間を過ごされた方も多かったのでは?

私はというと
空いた時間にふと、空を眺め...(癖です^^)

空高く舞い上がる白い鳥(なんだろう?あの鳥は??)
雲一つない、青空を見上げて
ふ〜っと一息...

なぜ
この時代に、私は生まれて来たのだろう...

ずっとずっと昔も、こんなに美しい青空が広がっていたのだろうか?
そしてこれから、未来も...

そうであって欲しい

そう祈らずにはいられないような
澄み渡る


あの空高く舞い上がって、
うんと高いところから
この地上を見下ろしたら
一体...

どんな風景が見えるのか


穏やかに
笑って過ごしているのだろうか?
それとも
...

賑やかな運動会の音楽とともに
楽しそうな家族連れ
その笑顔のまま
今日1日
幸せな時を過ごされますように...

私の心もこの青空に導かれ、
空高く舞い上がり
ふわふわと...
どこか遠くへと、
旅にでも行ったなら

一面に花が咲きみだれ
キラキラと輝く清らかな川の流れを見下ろして
全ての生き物達が
穏やかに
幸福に包まれている天国のような情景に
出会ってみたい

全てが穏やかに
至福に包まれる
その時は
永遠に
終わる事が無い

そんな世界に

今日のワンポイントヨガ
☆自分に厳しく、他に寛容に☆

インドの仏典において、
国王が、お釈迦様に「私は、自分自身が誰よりも大切である事に気がつきました!」と
話されました。
それに対して、お釈迦様は、
「良く気がついた、国王よ。まさにその通りである。人は、誰よりも自分自身が大切なのだよ。」
と、お答えになりました。
この問答でも解る通り、
人は自分自身を最も大切にしているのです。
そして、それが故に、
自分には甘く、他人には厳しく接するものなのです。
振り返ってみれば、自分自身の行為の中には、
悪い心や、行為、あるいは能力の欠如、努力の放棄、過失...
たくさんの未熟さを認める事が出来ます。
しかし、私達は、自己の誤りに対しては
誰よりも寛容であったはずです。逆に、他に対しては、
厳しく、心の中で罰して来たりしたのではないでしょうか?
さらに、
家庭や職場においても、
他に対して、過去の自分自身の不完全さを差し置いて、
厳しい目で接して来たかもしれません。
しかし、真に自分の心をみつめ、自分に厳しい人は
他人に対して、非常に寛容であるのです。
自分自身が、過去において不完全であったこと、
現在においても未だ、課題が多い事を知っている人は、
他の成長を願いつつ、大変寛容で優しく接する事が出来るのです。
常に他に100%を要求する人は、それ自体、心が未成熟であり、
いつも、他人を責めることで欲求不満の状態なのです。
愛ある人、そして智者は
他に寛容で、自分には厳しい人です。
そして、お釈迦様は、国王にこのように法をお説きになられました。
「人は誰もが自分自身を大切にしている事に気づいたであろう。それがゆえに、他に対しても自分自身と等しく大切にすることが、大事なんだよ。」
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by atelier-kuh | 2010-05-29 17:05
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atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


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