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理屈

理屈...物事のすじみち。道理。ことわり。こじつけの理由。現実を無視した条理、またそれを言い張る事(広辞苑より)

理屈で説明出来る事って、そんなに大事なことなのでしょうか?

直感勝負(笑)で、生きている私にとっては、理屈はあまり重要ではありません(^^;)
世の中の理屈好きさん、すみません(笑)

時として、この「理屈」が邪魔して、
真実が見えなくなってしまったり、より複雑化して、物事を進めて行くのに支障が出たり...

理屈
どちらかというと、厄介な感じがします...

でも、世の中には
物事の事象を全て、理屈で解釈したがる人は大変多く、
何に関しても、証拠が欲しい。
目に見える実証が欲しいと、視覚に訴えるものに、絶対の確証を抱きがちです。

本当に
真実は目で見えるものとして、確認する事が必要なのでしょうか?!
そうして確認出来たものは、真実だと確信する事が出来る、「絶対」のものなのでしょうか?!

私には
それらは、大きな落とし穴にさえ思えるのです。

「ほら、ね、見てごらんなさい!この通り、これが本当ですよ〜」などと、
体裁よく、簡単に目の前に見せられるようなものは、
かえって嘘くさく、チープで、薄っぺらなものに感じたりは、しないのでしょうか?

かといって、
目に見えるものが全て、いかさまとも思いません。
もし、そこに
真実があるとしたら...
それは、理屈などとは無縁の、心に訴えかける、(私の場合は直感に訴えかける^^)
深い感動や、理屈や言葉などでは説明がつかない、
そのようなものではおよびもしない、
その現象の背後に存在する、大いなる畏怖に満ちたエネルギーをも、
同時に感じるものではないかと、思うのです。

何故?
人は、目に見えるものを真実だと思うのか?
理屈で説明出来るものこそが、本当だと感じるのか?
それこそが
単なる、つじつま合わせのこじつけなのではないかと、
思ってみることなどは、ないのでしょうか?

言葉のあげあしをとる...相手の言い損ないや言葉じりにつけこんで、なじったり、皮肉を言ったりする(広辞苑より)

↑あまり、良い言葉では無いですね...(^^;)

これらの行為を行う時、心の背景には何かしらの意図、
相手への感情的なものが、存在しているはずです。
本人のプライド、相手への嫌悪、相手より優位に立ちたいと思う支配欲、負けたく無いという心...etc.
どれもこれも、あまり持ち合わせて、楽しくなるような心の状態とは思えません^^;

ですが、
何かしらの思惑があるがために、行うことであるのは確かなようです。
これが、
プライドや、支配欲から生じるものであるとするならば、
喉のチャクラ(ヴィシュッダチャクラ)に詰まりがある場合、
このチャクラが振動していると、そのような感情に支配されるといいます。
一般の負けず嫌いはこのタイプです☆
嫌悪が優位である場合、
こいつ!嫌いだ!なんか、気に食わないから、理屈でこらしめてやる!
...^^;
このような感情によって、行為を行っている場合は
もっと下位のチャクラが振動しています。
※ヨーガ的には、下位のチャクラを振動させる事は良しとはしません。
(蓮華座法を深く組み、アパーナ気という下位に至る気の流れを遮断し、気を上昇させることも
下位のチャクラに意識を向けない一つの方法と言われてます。)

なにはともあれ、
理屈ばかりこねくりまわしていても、物事がシンプルに解決に至る事は、まれで(?!)
目に見えるものだけを、唯一の真実と思っていると
本当に大切なものに、ヴェールをかけているようなもので...
いずれにせよ
自分自身の経験において、真実を知った時こそが、
ヒトがつくった「理屈」を超えた存在に、気がつく☆

というのが...
私の理屈☆

言葉って難しいですね(^^)

今日のワンポイントヨガ
☆苦しみの生存は自分への警告☆

全ては私達が、心で思ったこと、語ったこと、為した行為からしか生じない
ということは、みなさんご存知だと思います。
で、あるならば、
生まれたときから始まって、今まで生きて来て経験した全ての苦楽は、
皆さんのカルマから、生じたものです。
他人に与えられたものでは、ありません。
その法則は、永遠に続き、決して変えることはできません。
この事を理解したとき、智慧ある人は、
生き方を振り返り、改めるに至るのです。
よこしまな心、言葉、行為、
これらのものから離れるわけですから、当然、
人生そのものも、良くなってくるわけです!
そして、より良い人生を味わう、皆さんとは裏腹に...
悪業の結果で苦しんでいる人の存在にも、気がつくことになるわけです。
例えば、
死、病、貧しさ、精神的苦痛、で苦しむ人達。
また、
犯罪を犯してしまう人、あるいは外国で餓死してしまう人。
または人間以外の動物、昆虫、などの生存。
これらを見た時、
良い人生を歩んでいる自分とは、無縁に感じるかもしれません。
しかし、
それらを見た時、
智者はこのように考えるのです。
それらの苦痛は、悪業の結果であると。
もし、これから自分が悪業を積み重ねていくならば、
同じ苦しみを経験することになってしまうのだ、あるいは、同じ境遇になってしまうのだ。
このように
自分への警告と捉え、反面教師として考えるのです。
そして、そのようにならないよう、
いっそう、自己の心、言葉、行為を磨き上げていこうとするのが
最高の実践なのです。
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by atelier-kuh | 2010-05-08 15:32

習慣

習慣...日常の決まりきった行い。しきたり。ならわし。慣習。(広辞苑より)

習慣にしていることは、ありますか?
また、それはどのようなことでしょうか?
「早起き」「ジョギング」...etc.
人それぞれ、何かしら習慣はあるものですよね!
では、
なぜ?それを行うのか??

長い期間、あることを習慣にしていると、それを行うのが当たり前になって
なぜ?行うのか?ということを、見失ってしまうことがあります。

心においては、性質(性格...先天的、生まれつき要素)よりも、
この習慣によって為される、
反復、記憶したものの方が、行動等に影響を及ぼすといわれているそうです。
あなどるなかれ...習慣!
ということが、言えるわけですね...(^^)

例えば
食事の後に、歯を磨く

一般的に、よく行われている習慣のひとつと言えると思いますが、
これが当たり前になると、
やはり...やらないとなんだか調子が悪い、落ち着かない、気持ちが悪い...等
やらないことが、どうもおかしな感じがする(><)ということに、なってきます。

逆に
これを、巧く利用すると
どんなにとてつもなく(笑)怠惰な性質を持った人も、
習慣によって、人間的に劇的変化をさせることが
可能になってくるわけですね☆
(怠惰な人に、ある習慣を習慣とさせるまでが、困難といえるかもしれませんが...^^;)

石の上にも三年
なんて、言葉もありますが、何事もこつこつと毎日毎日の生活の中で、
努力し、積み重ねて行くことは、
その人の新たな習慣をつくり、
また、その人自身の、人間的な新たな側面を創り出すことにも繋がる☆
ということが、言えるのですね〜(^^)

...なんて
改めて何故このような、認識に至ったかと言いますと...(^^;)>

この習慣づくりにおいて、ほんの少しですが
自身も、新たな側面をつくりあげつつあるかな??(まだ、確信には至っておりません^^;)
という、ちょっとした期待☆と、これからも頑張るぞ!という意思確認☆
自分を鼓舞する意味で、もう一度、この習慣づくりからしっかり行っていこう!
と、連休明けでちょっと、ペースが乱れがちな自分へのエールも込めてみたのです。

世の中では
5月病なんて、言葉も使われたりするこの時期ですが、
そんな言葉に流されず、
ため息は、大きな深呼吸で思いっきり遠くへ、吹き飛ばすくらいの心意気で
眩しい太陽に向かって闊歩しましょう!


今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガと救い☆

キリスト教、聖書で書かれた一部は
真理です。
神は、全ての魂を救いたいと願っていますが、
悪業を犯したものは、裁きに合うという箇所は、真実です。
ヨーガの理論でも、
為したことは、必ず返る、
功徳の果報は、喜びを享受する天界へ。
悪業の果報は、それに応じた苦しみの世界へ...。
この部分は、聖書とある程度、共通した教えが説かれています。
それに対して、このような質問を受けたことがあります。
「神は慈悲がないのか?」
「なぜ、悪業を積んだものも、天の世界へと連れて行ってくれないのですか?」と...。
これらに対しては、このようにお考えください。
幼稚園の生徒を、大学院に入学させても何か、意味があるでしょうか?
または、
海の中でしか生活出来ない魚を、陸に揚げて生活させても意味が無く、
苦しみでしかないのと同じように、
あくまでも、個人の魂が成長しない限り、
高い世界へは生まれ変わることは出来ないのです。
生きているうちに、どれだけ心を磨き上げるか、
どれだけ精神的に成長出来るか、
そして、それだけが皆さんの未来を決定する要因であるのです。
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by atelier-kuh | 2010-05-07 10:10

まごころをつくす

快晴続きの連休でした☆
いかがおすごしでしたでしょうか?

遠方へ出向かれた方、または自宅や近場にて過ごされた方、
連休とは無関係でお仕事に専念されていらした方...

それぞれの五月初旬を満喫されたでしょうか?

五月の連休に入るや否や...
天候にも恵まれ、北の大地にも春到来☆となりました。

今回、私が滞在したところも、大変暖かく朗らかな陽気でした。

抜けるような青空と、爽やかな風...
若葉のにおいと、のんびりと漂う白い雲...

ビルの隙間から覗く青空も
田舎の片隅から見上げる空も、何ら変わらない自然の風景☆
で、あるにも関わらず...
私達はつい、
騒がしいもの、刺激の強い物へと、心は散漫になりがちです(^^;)

どこへ行っても、天を仰げばそこに
青い空は、広がっているというのに...☆

確かに
南の国に行けば、日本とは違う海の色、空の色、風のにおい...
大自然広がる国々のもつ、計り知れない雄大さ...
近代的に整備された、都市国家へと足を伸ばせば、そこにもまた、
見慣れた日本とは違う風景...
それぞれの美しさ、言葉で言い表せないほどの感動☆
感じるものも、それぞれの場所で様々...

各地で味わう、情緒などに
一時の安らぎを感じたり、深い感動を味わうことは、確かに楽しいものです(^^)

どこへ出向くにしろ...
その場所には人が居て、なにかしらの交流が生まれ
感じ取る「何か」が、あることに私はいつも、感謝の念が沸き上がります。

何気ない、些細な言葉の行き交わしに、その人の真心を感じる

旅先で出会う人々は、
まさに
「一期一会」
次回、またどこかでお会い出来るとは限りません...
多分...お会い出来ない方がほとんどでは??と、思います。

ですが、その一人一人に
真心をつくす、つくされる。

忙しい最中でも、とびきりの笑顔で対応する
やさしい口調で丁寧に話す
...etc.
些細な気遣いなのですが、そこに、人の優しさ、思いやりの心の温かさ、を感じます。

壇上に上がり、多くの方々に向かって
様々なエピソードを、ユーモアたっぷりに講演をされる方、
素晴らしいですね(^^)

そんなお話を、伺うことができる機会に恵まれることも、
私にとっては有り難く、また、貴重な経験です。
そして、同時に
壇上に上がること無く、決して明るいスポットライトも浴びることもないけれど、
黙々とご自身の役割をこなし、目の前の人を真心こめてもてなすことに専念される方との交流も、
私にとっては、大変貴重な経験です。

与えられた場において、その人の役割を
真心込めてこなすことは、
こんなにも、人の心に響くものなのかと、
「真心をこめること」の大切さを改めて感じたのでした☆

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガで考える価値ある生き方☆

人間は長生きすべきである、長生きすることは素晴らしい☆
通常の観念で言えば、確かにそれは否定出来ないかもしれません。
しかし、
ヨーガ的な見地から見ると、単に長生きが価値があるとは言い切れなくなってしまうのです。
それは、なぜでしょうか?
また、ヨーガでは、どのような生き方がベストだと考えられているのでしょうか?
もし、ヨーガで説くところの来世がある、魂は生まれ変わりを繰り返すということが、
真実であると過程するならば、
悪業を為さず、功徳を積み続ける人生は、
長生きすることは最高に価値のあることだと、言い切ることができるでしょう。
しかし、
真理を見つめることなく、悪業を積み続けるならば、
単に来世、苦しみ多き世界に生まれ変わり、そこで長きにわたり
苦しみ続けなければならないことになるのです。
このような見地からすると、
単に、長生きするということが素晴らしいとは、言い切れなくなってしまいます。
もちろん、
来世だけでなく、今、生きている段階においても、
いずれかにおいて、
様々な病、老いからくる苦しみ、痴呆、生に対する孤独、不安、無意味感に
苛まれるであろうことも否めません。
もし、皆さんが、
悪業から離れ、功徳を積む場所として
自己の魂を磨き上げる場所として
人間の世界を(今、生きている世界)を活用するならば、
若さを保ち、
病とは無縁、
生に対する充実感、至福感を経験し、
来世だけでなく、人生そのものが最高のものとなるのです。
どうか、皆さんが、
この人間の世界でたくさんの功徳を積み続け、
長生きされることを望んでやみません。
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by atelier-kuh | 2010-05-06 11:13

楽天家

あっけらかんと物事を考える(^^)
これは、私の得意技です☆
え〜〜(@@)!!なんか、結構深く考える方じゃないの???
って、よく言われます(笑)が、ものすごく考える割に...
楽天的なんです(^^)v

あっさりしすぎ?というか、結論を出すのが早い?というのか...

あまり、くよくよと考えていると
躊躇したり、疑問が湧いて来て、行動に支障が出るので、考え過ぎはあまり良くありません。

↑...ということを、経験上学んだので(笑)
あとは、生まれつき(?!)
楽天的性質☆(親より譲り受けたと思われます)

はい(^^)v

小さい頃から
仲間を選びましょう!
良き友人と交わりましょう!
と、言われてきました!
きっと、多くの方がそうだと思います(^^)

良き友って?!
いい仲間って?!

当然、
自分を高めていける、志の高い「同士」のような存在のことです☆

それら仲間と集うところに、
悲壮感や否定観念は存在しません!

辺りを見回すと...周りには
う〜ん
やっぱり、皆さん、楽天的な性格と思わしき人が、断然多い!!
泣いたカラスがもう笑った!...とは、わかりやすい例えですが、
明るい笑顔に、底知れぬ意思の強さ!
バランス感覚と、協調性!
抜群の行動力に、常識的な分別を兼ね備えて...☆
本当に素敵な方々が多いです♪

改めて
こうしてみると、素晴らしいご縁の輪が広がっているではないですか☆

何はともあれ
今日から五月☆

日々、年頭の計画とは、全く別の動きが多く...(^^;)
スケジュールがあってないような進み具合で、もうあとひと月で、今年の半分を迎えます。
こんな動きでは、スケジュールの立てようが無いな...と、思う反面、
ぐるぐる動くその変動ぶりにも、ちょっと興味もあったりして(笑)
とりあえず、周りと話し合いを繰り返しつつ...
自身としての計画を一応立ててみながら、様子をうかがう有様。

ここのアトリエのイベントも、季節の移り変わりとともにひとつひとつ...

多くの方々との新しい出会いが、また、自身の興味の枠を広げてくれます♪

人とのふれあいの中で、自分の引き出しが徐々に増えていき
思考の奥行きも広がっていくのは、とても有り難いことで、
1年の終わりに、それを振り返っては
去年の自分との価値観の違いに驚いたり、感動したり...

いよいよ
変化の環境にも慣れ始め
具体的な動きがはじまるシーズン☆

これから、私自身もどんな風に成長出来るか、わくわく☆
楽しみです!

未知なるものへの、不安、恐怖は、
人並みに、ある程度感じますが...
えてして、この「楽天家」と思わしき性格に、
自分自身で、自分の背中をぐっと押されながら
いつも前へ前へと、進んで行けることに感謝して(^^)

いつも、つたない文章におつきあいくださいまして
ありがとうございます。
明日から5日まで、研修のためブログはお休み致します!

良い連休をお過ごしください

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガの宝 それは智慧への発現☆

ヨーガは神への道と呼ばれます。
では、神とはなんでしょうか?
神とは、最高の智慧を有するものであると言えます。
では、智慧とは何でしょうか?!
智慧とは、現象に対して、正確にそれを捉える力といえます。
では、どのような実践を行えば、智慧を培うことが出来るのでしょうか?
例えば、
低俗な雑誌、漫画等を読むことは、
自己の精神レベルを劣化させるので、それを読まない。
例えば、
異性を見てすぐに、性欲が出るような意識は、動物と何ら変わらないので、
そのような意識を恥じる
等...
私達の心や、言葉、行為がどのような結果をもたらすのかを、
常に考えて、それらを慎重に為すなら、
瞬間、瞬間、私達の智慧は増大するのです。
そして、
ヨーガで説かれる真理を学び、考え、自分の性格や傾向をチェックしたり、
周りの人々の人生をチェックする、等々を培うことによって
何が本質で、何が自分達を不幸にするのかということを含めて、
全てが理解出来るようになるのです。
そして、
この自分、自分の周りの他人から、小さな社会、そして大きな社会
国家、更には、地球と...どんどん思考を広げていくうちに
全ての現象が、ありありと理解でき、
智慧というものが現れてくるのです。
これが、智慧の本質なのです。
ここで、大切なのは、今まで生きてきた価値観で現象を観察しても
決して、智慧は発現されることはありません。
なぜなら、人間は、何を為せば自己を苦しめ、
何を為せば、自己を幸福にするか、
全く見えない状態であると言えるからです。
もし、そうでなければ、
自分の人生も振り返って、
他人の人生も振り返って、
あるいは、社会、世界を観察してみて
これほど、多くの苦しみを味わう必要な無かったはずです。
あくまでも
真理を学び、真理によってのみの現象観察だけが、
智慧を発現させてくれるのです。
(※お薦め本...「あるヨギの自叙伝」「人間の永遠の探求」パラマハンサ.ヨガナンダ著 森北出版       「聖なる科学」 スワミ.スリ.ユクテスワ著 森北出版 )
         
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by atelier-kuh | 2010-05-01 17:27

乗り越えて

数々の悲しみを乗り越えて、今に至る...
そんな人々は
きっと、以外と多いのでは無いかと思います。
口に出さないだけで...
言葉には表さないだけで...
明るく振る舞うその裏側に、
その笑顔からは、想像もできないような...

悲しみ
苦しみ

人は、見た目の印象、話す言葉...など
自分の中のイメージで、相手のことを判断してしまいがちです。

第一印象☆
明るそう!
楽しそう!
元気そう!
...etc.

でも
よくよく話を聞いてみると...
そんなことがあったんだ...知らなかった(><)
とか、
そんな風に見えなかったから...全然気がつかなった(T T)
とか...

誰しもが、いろいろな悩みや苦労を抱えて生きている(なんとなくはわかっていても...)
日々の中で
そんなことを一瞬忘れさせてくれるような、
ちょっとした良いことがあったり☆
また、
楽しい出来事があったりすると、
ふと、そんな些細なこと...と
苦を抱えていたことなど、瞬間、忘れてしまうこともあるけれど。
本当に、苦というものがない人なんて
居るのでしょうか?

あの人は、いつも明るくて友達もたくさん居て
とっても楽しそう☆
あの人は、仕事も成功して、お金もたくさんあって
思い通りに生きていて、きっと悩みなんてないんだろうな☆

大抵
その「人」の断面的な側面を見て、
このような判断をしがちです。

ですが、
人が不老不死の存在でない以上は、
この世で苦を感じない人など、
本当にいるのでしょうか?!

大切にしていたものを失った友人から
哀しい連絡がありました。

その悲しみは、想像することはできますが、
完全に変わって経験することは出来ません。
共に、涙を流し、悲しむことは出来ますが、
それを過去にさかのぼって、避けることは不可能です。

だからこそ、
乗り越えて、生きていく術を学ばなくてはいけないのですね...。

友人の悲しみを表すかのように
ここ連日、
冷たい雨が降り続いています。

ちょっと...
しんみりした話になってしまいました(^^;)

気を取り直して(^^)o
明日から5月!!☆
あちらこちらに、力強い生命力あふれる植物たちが芽を出し
大いなる恵みをもたらす為に、準備を進めています☆

置いて行かれないよう、頑張らなくちゃ!!!

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガは真の喜びの道☆

人は、喜びを求めるものです。
このことに疑いを持つ人はいないでしょう!
では、なぜ、人は喜びを求めるのでしょうか?
もともと、私達の意識を司る大脳も、無であった宇宙から誕生したものです。
それなのに、
全ての生あるものは、共通して喜びを求めるのは、なぜか?
論知的な答えがなくてはなりません。
生命体が共通して、喜びを求めることはわかっているのですが、
なぜそうであるのか?天才的な学者でも言明できない事実なのです。
ヨーガでは、
それをはっきりと言明しています。
それは、魂(真我)の本質は、
喜び(永遠の歓喜)をもたらすものを内在していたからに他なりません。
膨大な生まれ変わりをスタートする原初は、
もともと、永遠の幸福を内在していたのです。
それゆえ、その記憶があるがゆえに魂は、喜びを追求する本質を持っているのです。
そうでなければ、
人が喜びを求める性質が、
教育として与えられたとか、誰かに教えられたなどではなく、
本能的な性質として持ち合わせることに、
説明がつきません。
自分の心、
他人の心を観察すれば、
全ての行為の背景には、喜びを求めていることに気がつく事が出来るのです。
食べること、寝ること、遊ぶこと、
家族、友人、恋人とのおつきあい...
また、娯楽やレジャー...
全て、この喜びを求める心から生じるものです。
しかし、私達は、その求めた喜びが得られないと
苦しくなり、寂しくなり、不安になりお酒を飲み、人を求めて彷徨ったり、
もしくは、娯楽に夢中になって紛らわせたり、衣類や物質を買いあさったりなどするのです。
つまり、
内側に充実した喜びが無いが故、外側に求めるようになるのです。
ヨーガの実践によって、
心身ともに、健康で、精神も充実したら
外側に何かを求めることなく、本当の喜びを得ることが出来るのです。
気を紛らわせる為に、お酒を飲んでごまかす。
友達と大騒ぎをしてごまかす。
他人によって、心の安定や、安らぎを得ようと求めても、
その場限りで、決して真の幸福は得られないのです。
もともと、全ての喜びは
私達の内側に内在しているというのが、ヨーガの定義です。
自分自身が、内側に確固たる精神の明るさ、安定、安らぎを得た時、
その人は、本当の幸福を得ることが出来るのです。
そして、その道を歩むことを
ヨーガを実践するというのです。
皆さんも、
ヨーガの実践で、真の幸福を得られてみませんか?
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by atelier-kuh | 2010-04-30 17:20

心と言葉と行為

心で思っていることと、実際に、口をついて出る言葉と
そして
その人が行う行為...
必ずしも、一致しているとは限らないのだな...(><)
と、改めて感じる今日この頃...
(そんなの、当たり前じゃない!と言う方も、多いのかもしれませんが...)
でも、
それが当たり前だとしたら、その人の本質って一体、何を持ってその人というのでしょう?
心で思っている、いわゆる...

本音

「それは、誰にも明かしたことなんか無いさ」
「そんなの、言う必要なんてないでしょ...明かしたところで理解なんてされないし」...etc.

世の中の人々の心の声は、このように全て、排他的になってしまっているのでしょうか?

でも、本音の本音は...?!

誰しも、心の奥で
「真の理解者」「本音を分かち合える、本当に心をゆるせる相手」を、
求めているものなのでは、ないでしょうか?!

では、
どうしたら、そのような人に出会えるのでしょう?

まず、
自分の心で思ったことと
実際に口に出す言葉と
それに伴う行為が、一致しているか...
自分自身をよく、観察してみましょう☆

なかなか
完全に、100%合わせるのは、難しいかもしれません。
でも...
少しずつ
少しずつ
本当にちょっとずつで、構わないので
合わせる努力を試みる
意識して、合わせるように心がける☆
(例えば...今日は○○いくぞ!と思ったら→口に出して「○○に行く!」→雨が降ろうと槍が降ろうと?!実際に行くように努力する!)
(^^)こんな感じ?!

当然のことながら...次第に、
他を害する行為、言葉、思考からは、徐々に離れて行き...
裏も表も無く
本心から、他を思いやる心
どこから見られても、覆い隠す必要の無い
綺麗な心
そして、それを表現する誠実な言葉、実際の行いとが繋がって行き
ついには、それらが完全に一致した、
裏表の無い「自分」を表すことが、当たり前になっていく

☆自分を構成するものが純化されていく☆

誠実な人柄に、多くの人は心を寄せ、信頼を寄せ、
誰もが、心からあなたを必要だと感じるようになるでしょう(^^)はい

この中で、
一番、難しいのは心の統御と言われています。

まず、
行為において、悪い行いから離れるのは割と、簡単☆
(例えば、人を傷つけたり、暴力的なことを行わないとか、人の物を盗らないとか...)
次に、
言葉
(これは、悪口を言わないとか、批判的な言葉を口にしないなど...)
最後に

(心において、あの人嫌い!あんな奴!!...etc.などと、考えたりしない ^^;)

これは、もう完全に訓練!ですね(^^;)
でも、
実際、これが日常的に訓練されるようになって、ある程度、
自分自身で統御できるようになると、
本当に...たったこれだけで
心は平穏になると思います☆

まだ、自身においても
完全に、統御出来ていない...のが、正直なところ(^^;)なのですが...
でも、ちょっとの進歩が、次への進歩に繋がると信じて☆
訓練☆訓練

心の平安が導いてくれるものは...
何にも代え難い
最高の宝物になると、信じて☆

今日のワンポイントヨガ
☆一歩抜きん出た生き方☆

どんな人生においても、壁にぶつかることがありますね。
そして、その壁にぶつかった時、
どのような選択をするかで、その人の資質が試されます。
例えば、
壁にぶつかり、すぐに諦める人、引き返す人。
これは、何も得ることが出来ない人。
次に、少し踏ん張る、ある程度までは頑張るが、そこそこ妥協する人は、
普通の人です(笑)
では、最高の結果を為す人は、
壁にぶつかる→そして壁が破れるのを確信し、例え、形が崩れながらも、
前進し続ける人。
この人は、最高の結果を得る人です。
これは、
ヨーガの道でも同じで、困難があったら、
それ以上の努力はせず、諦めてしまう人は、動物となんら変わらないヨーギーです。
なぜなら、
動物は努力が嫌い、妥協を良しとするからです。
また、ちょっとだけ努力してみるが、ある程度で満足する、
結果を出さずに終わってしまうのは、並のヨーギー。
(ほとんどの人が、このタイプです)
では、最高のヨーギーは、
結果が出るまで、努力する、人が出来ない努力を続ける、形が崩れながらも、前に出る。
このタイプのヨーギーはまれですが、
最高のステージに到達し、至福を得るのです。
では、このタイプの生き方は、才能によって決まるのでしょうか?
それは否と言えます。
最高のヨーギーは、
99.999%の努力で決まるのです。
皆さんは、妥協の道を選びますか?
それとも、並の道を選びますか?
それとも、最高の努力の持ち主の道を選びますか?
そして、
どの道を選ぶにしても、その結果を得るのは
皆さん自身なのです。
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by atelier-kuh | 2010-04-29 16:12

春の嵐

今朝は雪です!
寒いな〜...と、思っていたら、凄まじい風とともに、
雪が降ってきました!(雪まじりの雨?!)
あれあれ(^^;)
カレンダーはもうすぐ5月を迎えるというのに!!

庭の木々達は、冬囲いを取り外したばかりなものだから、とても寒そう...

お天気は、明日も崩れる予報のよう。
明日から、連休突入の方もたくさんいるはず...。
お天気によって、行楽地の人出も随分と、影響が出そうだし。

なんとなく、不穏な日本経済と(^^;)
いつまで続くか知れない、不景気な世の中の動きとも、
微妙にマッチしてしまっているかのような(^^;)
この春の嵐...

各地で驚くような大規模地震が、相次ぎ...
人災か?天災か?と騒がれるような、出来事もちらほら...

でも、
恵まれた国、日本の一般家庭で、
日々、平凡に暮らす私達は
それは、まるでどこかよその国の出来事のよう...
異空間で起きている、自分とはかけ離れた、遠い遠い宇宙の果てでの出来事のよう...
TVから流れてくる情報には、遠い隔たりを感じてしまいます。

めまぐるしく変化する外の出来事とは
無関係に
ただ、毎日同じことを繰り返し
ただ、刻々と時間が流れているように感じ、
それがいつまでも、いつまでも、永遠に続くかのように
錯覚してしまっている

世の中は
こんなにも、めまぐるしく
まるで、大きな大きな流れに引きづられていくかのように
どんどんどんどん
変化して行っているのに...

そんな流れとは裏腹に
恵まれた至る処では、
TVは、昼夜問わず様々な情報をたれ流し、
スイッチを入れれば、一瞬で電気が点く
蛇口をひねれば、途切れること無く綺麗な水は流れ、
多くの人が、寝るところに困ることは無い。
お洒落をして出かけ、食べたい物を食べる。
したいことをし、欲しい物を貪る。
綺麗に見せることを良しとして、そうでは無いものを当然のように、嫌悪する。
...
一体
何を、目的として生きて
何を得れば、満足するのか...?

当たり前という感覚が、
価値観をどんどんどんどん
鈍らせていく

分厚い灰色の雲の上には
眩しく輝く、明るい
太陽が照っている

この太陽が無ければ
私達は生きていくことは出来ない

極端な話...
太陽が照ってくれさえいれば
限りない恵みを与えてくれるのだから...
有り難いはずなのに

太陽を拝むことも
感謝することも
多くの人は
そんな時間も忘れ、ただ懸命に働き
義務に追われ...
疲れた体を抱えて生きている

あ〜早く
この嵐のような時が過ぎ
誰もが太陽の光にむかって
心から感謝し
畏敬の念を抱き
自らが太陽にようになって
明るく、温かな心で...
一人一人が幸福で、春の日差しのような存在となれますことを...☆

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとカルナー☆

「ヨーガ.スートラ」において、
マイトリー慈愛とともに、とっても神聖な心の働きが紹介されています。
それは、カルナーと呼ばれるもので、
他の魂の苦しみや、不幸を共に、悲しんであげる、取り除いてあげたいと願う心
これを、カルナーと呼びます。
他の魂の悪業に対して、深い悲しみ、哀れみと念を抱くことなのです。
もし、私達が、
自分の家族や身近な人だけでなく、
多くの魂、あるいは全ての生き物に対して、
このカルナーの心を持ち合わせるならば、
真に偉大な神として生まれ変わると言われています。
なぜなら、
マイトリー(慈愛)とカルナー(哀れみ)は、
それを有するものは、最高の光を放つと言われるからです。
ここで、気をつけたいことは、
対象に対して、プライドから哀れみの心を発してはいけないということです。
つまり、
自分の境遇は素晴らしいと、でも対象は悪業によって苦しんでいる、哀れだな...と
このようなものは、神聖でもなんでもないのです。
真のカルナーとは、
対象の苦しみや不幸を、自分のこととして受け止め、
それを共に悲しみ、取り除いてあげたい、その苦しみを引き受けてあげたいと
願うことなのです。
つまり、
自分と他人の区別無く、
他人の中に自分をみつめていることが、大切なことなのです。
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by atelier-kuh | 2010-04-28 09:50

恐ろしきものとは

ゾクっとするような(?!)タイトル(笑)...でもないかな(^^;)>
おばけの絵本をみて怖がる子供に「おばけ怖いの?」と、率直な質問を投げかけてみました。
「怖い!!」
「怖いよね〜...^^ 何が怖いの?」
「...顔が怖い」
そっか〜顔か〜♪(笑)
(^^)子供は素直に感じたままを、言葉にしてくれるのでとてもかわいい☆

「でも、怒ったときのママも凄く怖いよ!!」

ふふ(笑)そうつけたしてくれました。
うんうん、私は実はそういう方が頷けるよ!
内心、そんな事を思いながら...私もかつては、我が子にそう思われていたに違いないと
一瞬、確信めいたものを感じつつ...(^^;)

怖いな〜、
恐ろしいな〜と、感じるものって人それぞれ、様々ですよね。
一般的に、多数を占める「怖いもの」もあれば、少数派のそれもあるでしょう...
でも、その一つ一つが、その人それぞれの「恐怖に感じるもの」には変わりないわけで。

改めて、
怖い、恐ろしい、と思うことはなんでしょうか?

楽しいこと、嬉しいことを考えるのは好き☆だけど、
なかなか、怖いもの、恐ろしいと感じるものを想像するのは、嫌ですよね。
普段、あまり考えないのが普通かなと思います(^^)

私はオカルト趣味もありませんので、
わざわざ怖いと思うものを好んで見たり、聞いたり、
そういう類いの刺激を求めたりすることもしません。
ジェットコースターも、実は嫌い(笑)
そうやってあげていくと、切りがないので...(^^;)

恐ろしきものとは

先ほどの、子供とのやり取りでもありましたが...
私の中で、恐ろしいと感じるものは
内なる人の心が、怒りや嫉妬によって、炎のように燃え盛り
他を害することを、否と感じる気持ちを失ったとき
それは、ものすごい破壊のパワーとなって暴れだす...

実は、
こんなことが、実際にあったので。
それが、最も恐ろしい...と、感じるのです(><)!!

人のもつ、パワーは計り知れません。
個人がそれに気がついていなくても、もしくは、気がついていたとしても...
人の想像をはるかに超える、おののくような、エネルギーを
人は誰しも自分の中に、所有している...と感じるのです。
(これは、もちろん負のパワーに限らず、良い方向へ向ける力も同様です)

自身、何年か前まで、非常に怒りっぽいところがありました(お恥ずかしい話 ^^;)
些細なことで、プリプリと...(^^;)

心の中に怒りの感情が、わき上がった瞬間
手に持っていた食器が割れる...ということも、よくありました。
(そんなに力いっぱい、握ったのか?!ということではありません^^)

どうしようもないことに腹を立てて、悲しみの感情でいっぱいになり
当てどころの無い想いを、その原因をつくったと思っていた対象に抱いていたところ、
その相手が、原因不明の体調不良でしばらくの間、休んでいた...
なんてことも、後から耳にし、驚きました。

これは、何かしら特殊な人が、特殊な能力を持っている、という話では無く
この世の中で、ある種「念」のようなものの力を使って、
実際に、誰もが気がつかないうちに、もしくは意識して(!?)
行っていることの一つと、言えなくもないのです。

その、エネルギーの強さに多少の個人差は、あるのかもしれませんが...
決して、特別なことでは無いと思います。

ですから、
怒りの感情、嫉妬の感情、他を害する邪悪な野心、見栄やプライドからくる闘争心、強いエゴ...
etc.
このような感情は
エスカレートすると、思いも寄らないとんでもない事態を、巻き起こさないとも限らない(@@)!

ちょっと
怖いですよね...!

でも
世の中で起きている、様々な事件の数々
その加害者の、心の背景たるや、
詰るところ...
このような、自身の心の中から沸き上がる、抑えきれない感情が
その行為の火種となっているというのも
実際、多いのではないでしょうか?
(TT)
これは、とても恐ろしいことでもありますが、
それ以上に、哀しく、とても哀れなことだと、私は思います。

仮に、その発端となったものが、自分の外にあったとしても
結局は、自分自身の内側の問題。
感情を抑えきれない、自分自身の心を統御出来ないことが、原因なのだとしたら...
それさえ、巧く扱うことが出来れば、
悲惨な現実はいくらでも避けられる...ということに、なりはしないでしょうか?

とっても穏やかで物静かな人が、ある出来事を境に、豹変...
その、風貌の裏側に、一体どのような感情が、どれくらいあったのか?

ニコニコと笑顔が絶えない、明るい人が、ある日突然、うつ病を患う...
その、心の背景に、一体何があったのか...?

人は本来
ストレスとは無縁の存在といわれています。
ですから、どれほどのストレスに耐えられるのかは、その人個人の、器の問題といえるようです。
(本人ですら、その器の大きさには、気がついている人は少ないでしょうが)


かつて
怒りっぽかった(特に、育児期間中 ^^;)私ですが、
今となっては
はっ!!と自分の中の怒りの感情に気がついたら
すぐさま、その火種にさっ!!と、水をかけて消すように心がけています。
(毎日が、心の防火キャンペーン中です 笑)

本当に恐ろしいなと思うものは...
実際はこのように、
目には見えないものかもしれない、と感じるのです。

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとマイトリー☆

最古のヨーガ経典「ヨーガスートラ」第一章、33には、
心の清らかさを得る法として
マイトリーと呼ばれる心を持ち合わせることの大切さが説かれています。
マイトリーとは、一体なんでしょう!?
これは、他の魂の幸福を願う、
他の魂が高い世界へ至ることを願う、慈愛の心のことなのです。
一般に知られる、弥勒菩薩のサンスクリット名は、
マイトレーヤと呼ばれますが、
このマイトリーと呼ばれる、慈愛が語源となっているのです。
つまり、弥勒菩薩(マイトレーヤ)は、慈愛から生まれたものという意味があります。
もし、
私達が、他の多くの魂に対して慈愛の心を持ち合わせるならば、
カルマによって、私達自身も多くの魂から敬愛され、
親しまれ、多くの幸福を手に入れることが出来るのです。
そして、マイトリーは、
嫌悪や怒りの反対の心の働きで、マイトリーの心が完成するなら、
デーヴァの世界を超え、輪廻を超えた神の世界へ至ると言われているのです。
身近な人への幸福を喜ぶことから始めて、
たくさんの魂に、マイトリーの心を培う実践をはじめてみませんか?
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by atelier-kuh | 2010-04-27 11:02

変わり者

昨日から引き続き(?)

という、字がつきました(^^)
今、変化を迎える時期に来ているのかも?しれません...

タイトルの変わり者...ですが、この単語から一体、どのようなイメージをもたれるでしょうか?
あまり、良いイメージじゃない?
なんか...アウトローな感じ(笑)
偏見に満ちた表現なんじゃない?
などなど...

言葉には、その裏側にいろいろなイメージがついて回るので、
文章は、単語だけポンと書いてあると、
ある意味、ほったらかし?!のような気がします。
あとは、見た人、読んだ人の解釈におまかせ...みたいな感じ、とでもいうのでしょうか?
ですから、様々なそれに付随する説明書きが、必要になってくるのかな?
その点でいうと、絵も全く一緒ですね。
同じ絵を観ても、見る人によって感じ方は様々、印象も人それぞれなのですから...☆

話は戻りますが
変わり者
これは、いろいろな人がいろいろな場面で、よく使う言葉だと思うのですが、
つい、最近聞いた時のことをあげるなら...
「芸術家は変わり者が多い」...と
とある会社の社長さんがおっしゃっていました。
ふふ(笑)
私は芸術家というほどの者ではないので、多分、私に向かっておっしゃったのでは無いと思うのですが...(^^;)
ま、実のところ
私も変わり者?と言えば、変わり者かもしれません。
一般常識的世間の人々とは、多少(?)感覚がずれているな...と感じることは
正直、よくあるものですから(笑)
で、自分でも「私は変わり者ですね」(^^)な〜んて台詞を笑いながら、
結構、頻繁に言いますので、やっぱり「変わってると思われたく無い...」という
一般常識人的な発想からは、離れているのかも?!

何をもって、変わり者というのかは、
分類が難しいところかもしれませんが
私の知っている方の例で一つ、あげるとしたら...

かれこれ、
何十年にも渡り、自宅にて独り
自営業を営んでおられた50代後半の男性。
若き頃は、ガキ大将で悪さばかりし、大人になっても平気で道ばたで喧嘩をするような...^^;
20代、30代の若い人達からは大変慕われ、どこへ行っても親分肌で面倒見が良く、
切った張ったが大好きで!?(^^;)
その他諸々...時代の流れを無視した生き方をしているな...と
傍目からは、どのような見られ方をしていたことか???
世間一般からは「変わり者」...
人生の後半、その方はあるご自分の目標に向かって、黙々と仕事をされていました。
あと、一歩で社会的にも認知を受けられるような(と、私は解釈していました)
ご自身の事業の成功が
目の前でした。
ですが、ある日突然、その方はご自宅で倒れられ
救急車で病院に担ぎ込まれました。
たまたま居合わせた、若い同士の方が病院に連絡されたそうです。
この男性は、ご家族もいらっしゃいましたが、
何年も前に、ご家族とは別れて生活されていました。
病院でこの方を診断した医師は、大変驚かれたそうです。
なぜなら...
あり得ないくらい、全身が癌に冒されていたからでした。
「よく痛みに耐えていた...」
「歩くのも寝るのもやっと、全身が痛くて意識も朦朧としていたことでしょう」
普通では考えられないほど、全身に転移した癌を見て、
驚きとともに、医師はその、強靭な精神力に感心すらされたそうです。

モルヒネでも消せないくらいの、痛みとは...(><)想像しただけで目が回りそうです...
その3日後
その男性は、人生の幕を閉じられました。
一体、どのような人生だったのでしょう...
(こちらでは書ききれないくらい、この方の人生は波乱に満ち満ちたものであったようです)
周りからは当然、変わり者扱いもされたことでしょう。
実際、変わってますよね?(笑)
普通、一般常識的に考えて、病院にかかりますよね、体調が悪ければ...(^^;)
そんなになるまで放っておくなんて!?

私の知っている、強烈な印象の「変わり者」は、この方が一番です(笑)
もちろん、また違った印象の変わり者も、何人かいらっしゃるのですが
皆さん、共通されているのは...
個性(自分はこうだ)という、決して頑固とは違う、意固地とも違う、
「自分」を持っていること。

それを、痛烈に感じるのです。
それは、端から見れば、ちょっと煙たがられるような
そんな存在かもしれません。
扱いづらい、変な人(?!)なのかもしれません。
そんな個性を持った人を、人は「変わり者」といって、遠ざけるのかもしれません。
ですが、
自分の人生を自分の足で、しっかり生きる力強さになんとも言えない
圧倒されるくらいの凄まじい「意思」を感じる
「変わり者」も、中にはいるのです。

エゴや欲望に振り回される意思は、周りはもちろん、自分自身も苦しいものです。
ですが、
自分を貫き、他を利する心をもった意思の力は
計り知れないエネルギーをつくりだすと、私は信じて疑いません。

願わくは...
「愛される変わり者」で、いたいものだな、と...(^^)思います。

(※ここでの変わり者という表現には一切の、嫌悪、批判等、ネガティブな意思は含みません)

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとデーヴァ☆

ヨーガの宇宙観では、人間の世界の上には
デーヴァと呼ばれる天界の神が存在します。
もちろん、神にもピンからキリまであって、デーヴァは輪廻からまだ脱却出来ていませんが、
何百万年から何億年と長寿の生命体なのです。
デーヴァの定義は、
人間の想像を絶する、功徳を有しているため、意思した事が全て叶い、
天界で大いなる悦楽を味わうのです。
もし、来世このデーヴァの世界へ生まれ変われる人がいたとしたら、
どのような兆候が現れるのでしょうか?
それは、当然、生きているうちにデーヴァと同じ要素が顕現されていなければなりません。
デーヴァの要素は、
意思した願望が全て叶う。
大変な健康体で、いつも元気。
そして長寿。
人間関係が全て円満で、敵や嫌悪の対象がいない。
心がいつも明るく安定し、怒りの感情が無い。
特別何かをしなくても、内側からなぜか、喜びの感情があふれてくる。
形状容姿美しく整っている。
等...
もし、私は来世はデーヴァに生まれたいと願う人がいたら、
これらの条件を整えなければなりません。
人間の世界で苦しんでいる、あるいは、平凡なレベルでは
決して、デーヴァに生まれることはないのです。
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by atelier-kuh | 2010-04-26 10:51

七変化

七変化...七曲よりなる変化物(へんげもの)変化物として典型的(広辞苑より)
ちなみにこの変化物→歌舞伎舞踊で、一人の踊り手が早変わりで次々に異なる役柄に扮して踊るもの...という意味らしいです。

日常でも耳にする言葉ですよね。
良い言葉として使う時は、
美しい光の様子が変わる様や、季節の移り変わりに伴う風景を表すとき...etc.
あまり良く無い言葉としては、人の心を表すとき?!
あの人は、相手によって態度が七変化する...などと聞くと、良いイメージではありませんね(^^;)

実際、
心の移り変わりなどは、七どころの変化では、足りない?!のではないでしょうか...
ただ、
相手によって、態度がころころと変わる...というのは、いかがなものでしょう?!
な〜んか(––)...
あの人、信用出来ないな...って感じがしちゃいますよね?
また、相手によって言うことも一貫しないとか、明らかに違うことを言っているとか...
一度言ったことを何度も訂正して、結局のところ何もなし得ない...なんていうのも
ちょっとがっかり?!
ま、でも
世の中には様々な人がいらっしゃいます☆
いろんな事情もおありでしょう!
いちいち、がっかりしていては...身が持ちません(笑)
ですが、
そういうことを感じた、実際にそんな出来事に出くわした、
そんな時は、実に反面教師的な存在として
そんな七変化物に、ひたすら感謝☆☆!!

私は、そうはならないぞ!
私は、人から信頼されるような態度をとるように心がけるぞ!!

そのように言い聞かせて、そう思うに至らせてくれた変化物(笑)に
心の中で「ありがとう!!」と、叫ぶのです(笑)

すると
心の中は、その変化物に対して感謝の念が湧いて来て...
すっきりと爽快な気分に包まれます。(←何度かの訓練は必要かもしれませんが^^;)

世の中のほとんどの事象は
このような、変化物☆
ただ、
人からの信頼の心というものは
変化物に対しては、あまり抱かれないのが通常です。

ぶれない感覚
不動の信条

その人の確固たる唯一のものが、他からの厚い信頼へと結びつくのだと
心して...

今日のワンポイントヨガ
☆現在の宇宙は50回目☆

日本の宇宙物理学は、世界でもトップレベルと言われています。
その中で、京都大学を中心とした博士らが集まって、昨年に科学雑誌
「NEWTON」において、びっくりするような説が紹介されました。
それは、サイクリック宇宙論といって、
宇宙はビックバンによって誕生し、そして膨張後、収縮し、それを永遠に繰り返し続けている。
なんと、現在はそれが50回目の宇宙であり、
その後も永遠にそのサイクルを、繰り返し続けるというものです。
これを聞いて、ヨガや仏教経典に精通している方は、
本当にビックリ!いえ、むしろ当然だと考えられるでしょう。
それは、太古のヨーガ経典や、仏教経典には
現代科学より、何千年も前に、それらが説かれていたのです。
つまり、宇宙は、魂(真我)の成熟の為に、
永遠に膨張、収縮、そして消滅を繰り返すというものなのです。
この説は、
荒唐無稽なんてとんでもなく、物理学の権威のグループが、
最新理論から予測したものなのです。
まさに、
やっと現代科学が、ヨーガ理論に追いついて来たことを表しているのです。
実は、
このサイクリック宇宙論は、
ヨーガ理論でも、光の爆発の後、振動の宇宙が誕生したという説とも一致しているのです。
まさに、
ヨーガ経典の叡智は、素晴らしく、
無智なる宗教学とは無縁のものだと言えるでしょう。
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by atelier-kuh | 2010-04-25 16:57
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