atelier 空 kuh

atelierkhu.exblog.jp ブログトップ

<   2010年 04月 ( 30 )   > この月の画像一覧

乗り越えて

数々の悲しみを乗り越えて、今に至る...
そんな人々は
きっと、以外と多いのでは無いかと思います。
口に出さないだけで...
言葉には表さないだけで...
明るく振る舞うその裏側に、
その笑顔からは、想像もできないような...

悲しみ
苦しみ

人は、見た目の印象、話す言葉...など
自分の中のイメージで、相手のことを判断してしまいがちです。

第一印象☆
明るそう!
楽しそう!
元気そう!
...etc.

でも
よくよく話を聞いてみると...
そんなことがあったんだ...知らなかった(><)
とか、
そんな風に見えなかったから...全然気がつかなった(T T)
とか...

誰しもが、いろいろな悩みや苦労を抱えて生きている(なんとなくはわかっていても...)
日々の中で
そんなことを一瞬忘れさせてくれるような、
ちょっとした良いことがあったり☆
また、
楽しい出来事があったりすると、
ふと、そんな些細なこと...と
苦を抱えていたことなど、瞬間、忘れてしまうこともあるけれど。
本当に、苦というものがない人なんて
居るのでしょうか?

あの人は、いつも明るくて友達もたくさん居て
とっても楽しそう☆
あの人は、仕事も成功して、お金もたくさんあって
思い通りに生きていて、きっと悩みなんてないんだろうな☆

大抵
その「人」の断面的な側面を見て、
このような判断をしがちです。

ですが、
人が不老不死の存在でない以上は、
この世で苦を感じない人など、
本当にいるのでしょうか?!

大切にしていたものを失った友人から
哀しい連絡がありました。

その悲しみは、想像することはできますが、
完全に変わって経験することは出来ません。
共に、涙を流し、悲しむことは出来ますが、
それを過去にさかのぼって、避けることは不可能です。

だからこそ、
乗り越えて、生きていく術を学ばなくてはいけないのですね...。

友人の悲しみを表すかのように
ここ連日、
冷たい雨が降り続いています。

ちょっと...
しんみりした話になってしまいました(^^;)

気を取り直して(^^)o
明日から5月!!☆
あちらこちらに、力強い生命力あふれる植物たちが芽を出し
大いなる恵みをもたらす為に、準備を進めています☆

置いて行かれないよう、頑張らなくちゃ!!!

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガは真の喜びの道☆

人は、喜びを求めるものです。
このことに疑いを持つ人はいないでしょう!
では、なぜ、人は喜びを求めるのでしょうか?
もともと、私達の意識を司る大脳も、無であった宇宙から誕生したものです。
それなのに、
全ての生あるものは、共通して喜びを求めるのは、なぜか?
論知的な答えがなくてはなりません。
生命体が共通して、喜びを求めることはわかっているのですが、
なぜそうであるのか?天才的な学者でも言明できない事実なのです。
ヨーガでは、
それをはっきりと言明しています。
それは、魂(真我)の本質は、
喜び(永遠の歓喜)をもたらすものを内在していたからに他なりません。
膨大な生まれ変わりをスタートする原初は、
もともと、永遠の幸福を内在していたのです。
それゆえ、その記憶があるがゆえに魂は、喜びを追求する本質を持っているのです。
そうでなければ、
人が喜びを求める性質が、
教育として与えられたとか、誰かに教えられたなどではなく、
本能的な性質として持ち合わせることに、
説明がつきません。
自分の心、
他人の心を観察すれば、
全ての行為の背景には、喜びを求めていることに気がつく事が出来るのです。
食べること、寝ること、遊ぶこと、
家族、友人、恋人とのおつきあい...
また、娯楽やレジャー...
全て、この喜びを求める心から生じるものです。
しかし、私達は、その求めた喜びが得られないと
苦しくなり、寂しくなり、不安になりお酒を飲み、人を求めて彷徨ったり、
もしくは、娯楽に夢中になって紛らわせたり、衣類や物質を買いあさったりなどするのです。
つまり、
内側に充実した喜びが無いが故、外側に求めるようになるのです。
ヨーガの実践によって、
心身ともに、健康で、精神も充実したら
外側に何かを求めることなく、本当の喜びを得ることが出来るのです。
気を紛らわせる為に、お酒を飲んでごまかす。
友達と大騒ぎをしてごまかす。
他人によって、心の安定や、安らぎを得ようと求めても、
その場限りで、決して真の幸福は得られないのです。
もともと、全ての喜びは
私達の内側に内在しているというのが、ヨーガの定義です。
自分自身が、内側に確固たる精神の明るさ、安定、安らぎを得た時、
その人は、本当の幸福を得ることが出来るのです。
そして、その道を歩むことを
ヨーガを実践するというのです。
皆さんも、
ヨーガの実践で、真の幸福を得られてみませんか?
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-30 17:20

心と言葉と行為

心で思っていることと、実際に、口をついて出る言葉と
そして
その人が行う行為...
必ずしも、一致しているとは限らないのだな...(><)
と、改めて感じる今日この頃...
(そんなの、当たり前じゃない!と言う方も、多いのかもしれませんが...)
でも、
それが当たり前だとしたら、その人の本質って一体、何を持ってその人というのでしょう?
心で思っている、いわゆる...

本音

「それは、誰にも明かしたことなんか無いさ」
「そんなの、言う必要なんてないでしょ...明かしたところで理解なんてされないし」...etc.

世の中の人々の心の声は、このように全て、排他的になってしまっているのでしょうか?

でも、本音の本音は...?!

誰しも、心の奥で
「真の理解者」「本音を分かち合える、本当に心をゆるせる相手」を、
求めているものなのでは、ないでしょうか?!

では、
どうしたら、そのような人に出会えるのでしょう?

まず、
自分の心で思ったことと
実際に口に出す言葉と
それに伴う行為が、一致しているか...
自分自身をよく、観察してみましょう☆

なかなか
完全に、100%合わせるのは、難しいかもしれません。
でも...
少しずつ
少しずつ
本当にちょっとずつで、構わないので
合わせる努力を試みる
意識して、合わせるように心がける☆
(例えば...今日は○○いくぞ!と思ったら→口に出して「○○に行く!」→雨が降ろうと槍が降ろうと?!実際に行くように努力する!)
(^^)こんな感じ?!

当然のことながら...次第に、
他を害する行為、言葉、思考からは、徐々に離れて行き...
裏も表も無く
本心から、他を思いやる心
どこから見られても、覆い隠す必要の無い
綺麗な心
そして、それを表現する誠実な言葉、実際の行いとが繋がって行き
ついには、それらが完全に一致した、
裏表の無い「自分」を表すことが、当たり前になっていく

☆自分を構成するものが純化されていく☆

誠実な人柄に、多くの人は心を寄せ、信頼を寄せ、
誰もが、心からあなたを必要だと感じるようになるでしょう(^^)はい

この中で、
一番、難しいのは心の統御と言われています。

まず、
行為において、悪い行いから離れるのは割と、簡単☆
(例えば、人を傷つけたり、暴力的なことを行わないとか、人の物を盗らないとか...)
次に、
言葉
(これは、悪口を言わないとか、批判的な言葉を口にしないなど...)
最後に

(心において、あの人嫌い!あんな奴!!...etc.などと、考えたりしない ^^;)

これは、もう完全に訓練!ですね(^^;)
でも、
実際、これが日常的に訓練されるようになって、ある程度、
自分自身で統御できるようになると、
本当に...たったこれだけで
心は平穏になると思います☆

まだ、自身においても
完全に、統御出来ていない...のが、正直なところ(^^;)なのですが...
でも、ちょっとの進歩が、次への進歩に繋がると信じて☆
訓練☆訓練

心の平安が導いてくれるものは...
何にも代え難い
最高の宝物になると、信じて☆

今日のワンポイントヨガ
☆一歩抜きん出た生き方☆

どんな人生においても、壁にぶつかることがありますね。
そして、その壁にぶつかった時、
どのような選択をするかで、その人の資質が試されます。
例えば、
壁にぶつかり、すぐに諦める人、引き返す人。
これは、何も得ることが出来ない人。
次に、少し踏ん張る、ある程度までは頑張るが、そこそこ妥協する人は、
普通の人です(笑)
では、最高の結果を為す人は、
壁にぶつかる→そして壁が破れるのを確信し、例え、形が崩れながらも、
前進し続ける人。
この人は、最高の結果を得る人です。
これは、
ヨーガの道でも同じで、困難があったら、
それ以上の努力はせず、諦めてしまう人は、動物となんら変わらないヨーギーです。
なぜなら、
動物は努力が嫌い、妥協を良しとするからです。
また、ちょっとだけ努力してみるが、ある程度で満足する、
結果を出さずに終わってしまうのは、並のヨーギー。
(ほとんどの人が、このタイプです)
では、最高のヨーギーは、
結果が出るまで、努力する、人が出来ない努力を続ける、形が崩れながらも、前に出る。
このタイプのヨーギーはまれですが、
最高のステージに到達し、至福を得るのです。
では、このタイプの生き方は、才能によって決まるのでしょうか?
それは否と言えます。
最高のヨーギーは、
99.999%の努力で決まるのです。
皆さんは、妥協の道を選びますか?
それとも、並の道を選びますか?
それとも、最高の努力の持ち主の道を選びますか?
そして、
どの道を選ぶにしても、その結果を得るのは
皆さん自身なのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-29 16:12

春の嵐

今朝は雪です!
寒いな〜...と、思っていたら、凄まじい風とともに、
雪が降ってきました!(雪まじりの雨?!)
あれあれ(^^;)
カレンダーはもうすぐ5月を迎えるというのに!!

庭の木々達は、冬囲いを取り外したばかりなものだから、とても寒そう...

お天気は、明日も崩れる予報のよう。
明日から、連休突入の方もたくさんいるはず...。
お天気によって、行楽地の人出も随分と、影響が出そうだし。

なんとなく、不穏な日本経済と(^^;)
いつまで続くか知れない、不景気な世の中の動きとも、
微妙にマッチしてしまっているかのような(^^;)
この春の嵐...

各地で驚くような大規模地震が、相次ぎ...
人災か?天災か?と騒がれるような、出来事もちらほら...

でも、
恵まれた国、日本の一般家庭で、
日々、平凡に暮らす私達は
それは、まるでどこかよその国の出来事のよう...
異空間で起きている、自分とはかけ離れた、遠い遠い宇宙の果てでの出来事のよう...
TVから流れてくる情報には、遠い隔たりを感じてしまいます。

めまぐるしく変化する外の出来事とは
無関係に
ただ、毎日同じことを繰り返し
ただ、刻々と時間が流れているように感じ、
それがいつまでも、いつまでも、永遠に続くかのように
錯覚してしまっている

世の中は
こんなにも、めまぐるしく
まるで、大きな大きな流れに引きづられていくかのように
どんどんどんどん
変化して行っているのに...

そんな流れとは裏腹に
恵まれた至る処では、
TVは、昼夜問わず様々な情報をたれ流し、
スイッチを入れれば、一瞬で電気が点く
蛇口をひねれば、途切れること無く綺麗な水は流れ、
多くの人が、寝るところに困ることは無い。
お洒落をして出かけ、食べたい物を食べる。
したいことをし、欲しい物を貪る。
綺麗に見せることを良しとして、そうでは無いものを当然のように、嫌悪する。
...
一体
何を、目的として生きて
何を得れば、満足するのか...?

当たり前という感覚が、
価値観をどんどんどんどん
鈍らせていく

分厚い灰色の雲の上には
眩しく輝く、明るい
太陽が照っている

この太陽が無ければ
私達は生きていくことは出来ない

極端な話...
太陽が照ってくれさえいれば
限りない恵みを与えてくれるのだから...
有り難いはずなのに

太陽を拝むことも
感謝することも
多くの人は
そんな時間も忘れ、ただ懸命に働き
義務に追われ...
疲れた体を抱えて生きている

あ〜早く
この嵐のような時が過ぎ
誰もが太陽の光にむかって
心から感謝し
畏敬の念を抱き
自らが太陽にようになって
明るく、温かな心で...
一人一人が幸福で、春の日差しのような存在となれますことを...☆

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとカルナー☆

「ヨーガ.スートラ」において、
マイトリー慈愛とともに、とっても神聖な心の働きが紹介されています。
それは、カルナーと呼ばれるもので、
他の魂の苦しみや、不幸を共に、悲しんであげる、取り除いてあげたいと願う心
これを、カルナーと呼びます。
他の魂の悪業に対して、深い悲しみ、哀れみと念を抱くことなのです。
もし、私達が、
自分の家族や身近な人だけでなく、
多くの魂、あるいは全ての生き物に対して、
このカルナーの心を持ち合わせるならば、
真に偉大な神として生まれ変わると言われています。
なぜなら、
マイトリー(慈愛)とカルナー(哀れみ)は、
それを有するものは、最高の光を放つと言われるからです。
ここで、気をつけたいことは、
対象に対して、プライドから哀れみの心を発してはいけないということです。
つまり、
自分の境遇は素晴らしいと、でも対象は悪業によって苦しんでいる、哀れだな...と
このようなものは、神聖でもなんでもないのです。
真のカルナーとは、
対象の苦しみや不幸を、自分のこととして受け止め、
それを共に悲しみ、取り除いてあげたい、その苦しみを引き受けてあげたいと
願うことなのです。
つまり、
自分と他人の区別無く、
他人の中に自分をみつめていることが、大切なことなのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-28 09:50

恐ろしきものとは

ゾクっとするような(?!)タイトル(笑)...でもないかな(^^;)>
おばけの絵本をみて怖がる子供に「おばけ怖いの?」と、率直な質問を投げかけてみました。
「怖い!!」
「怖いよね〜...^^ 何が怖いの?」
「...顔が怖い」
そっか〜顔か〜♪(笑)
(^^)子供は素直に感じたままを、言葉にしてくれるのでとてもかわいい☆

「でも、怒ったときのママも凄く怖いよ!!」

ふふ(笑)そうつけたしてくれました。
うんうん、私は実はそういう方が頷けるよ!
内心、そんな事を思いながら...私もかつては、我が子にそう思われていたに違いないと
一瞬、確信めいたものを感じつつ...(^^;)

怖いな〜、
恐ろしいな〜と、感じるものって人それぞれ、様々ですよね。
一般的に、多数を占める「怖いもの」もあれば、少数派のそれもあるでしょう...
でも、その一つ一つが、その人それぞれの「恐怖に感じるもの」には変わりないわけで。

改めて、
怖い、恐ろしい、と思うことはなんでしょうか?

楽しいこと、嬉しいことを考えるのは好き☆だけど、
なかなか、怖いもの、恐ろしいと感じるものを想像するのは、嫌ですよね。
普段、あまり考えないのが普通かなと思います(^^)

私はオカルト趣味もありませんので、
わざわざ怖いと思うものを好んで見たり、聞いたり、
そういう類いの刺激を求めたりすることもしません。
ジェットコースターも、実は嫌い(笑)
そうやってあげていくと、切りがないので...(^^;)

恐ろしきものとは

先ほどの、子供とのやり取りでもありましたが...
私の中で、恐ろしいと感じるものは
内なる人の心が、怒りや嫉妬によって、炎のように燃え盛り
他を害することを、否と感じる気持ちを失ったとき
それは、ものすごい破壊のパワーとなって暴れだす...

実は、
こんなことが、実際にあったので。
それが、最も恐ろしい...と、感じるのです(><)!!

人のもつ、パワーは計り知れません。
個人がそれに気がついていなくても、もしくは、気がついていたとしても...
人の想像をはるかに超える、おののくような、エネルギーを
人は誰しも自分の中に、所有している...と感じるのです。
(これは、もちろん負のパワーに限らず、良い方向へ向ける力も同様です)

自身、何年か前まで、非常に怒りっぽいところがありました(お恥ずかしい話 ^^;)
些細なことで、プリプリと...(^^;)

心の中に怒りの感情が、わき上がった瞬間
手に持っていた食器が割れる...ということも、よくありました。
(そんなに力いっぱい、握ったのか?!ということではありません^^)

どうしようもないことに腹を立てて、悲しみの感情でいっぱいになり
当てどころの無い想いを、その原因をつくったと思っていた対象に抱いていたところ、
その相手が、原因不明の体調不良でしばらくの間、休んでいた...
なんてことも、後から耳にし、驚きました。

これは、何かしら特殊な人が、特殊な能力を持っている、という話では無く
この世の中で、ある種「念」のようなものの力を使って、
実際に、誰もが気がつかないうちに、もしくは意識して(!?)
行っていることの一つと、言えなくもないのです。

その、エネルギーの強さに多少の個人差は、あるのかもしれませんが...
決して、特別なことでは無いと思います。

ですから、
怒りの感情、嫉妬の感情、他を害する邪悪な野心、見栄やプライドからくる闘争心、強いエゴ...
etc.
このような感情は
エスカレートすると、思いも寄らないとんでもない事態を、巻き起こさないとも限らない(@@)!

ちょっと
怖いですよね...!

でも
世の中で起きている、様々な事件の数々
その加害者の、心の背景たるや、
詰るところ...
このような、自身の心の中から沸き上がる、抑えきれない感情が
その行為の火種となっているというのも
実際、多いのではないでしょうか?
(TT)
これは、とても恐ろしいことでもありますが、
それ以上に、哀しく、とても哀れなことだと、私は思います。

仮に、その発端となったものが、自分の外にあったとしても
結局は、自分自身の内側の問題。
感情を抑えきれない、自分自身の心を統御出来ないことが、原因なのだとしたら...
それさえ、巧く扱うことが出来れば、
悲惨な現実はいくらでも避けられる...ということに、なりはしないでしょうか?

とっても穏やかで物静かな人が、ある出来事を境に、豹変...
その、風貌の裏側に、一体どのような感情が、どれくらいあったのか?

ニコニコと笑顔が絶えない、明るい人が、ある日突然、うつ病を患う...
その、心の背景に、一体何があったのか...?

人は本来
ストレスとは無縁の存在といわれています。
ですから、どれほどのストレスに耐えられるのかは、その人個人の、器の問題といえるようです。
(本人ですら、その器の大きさには、気がついている人は少ないでしょうが)


かつて
怒りっぽかった(特に、育児期間中 ^^;)私ですが、
今となっては
はっ!!と自分の中の怒りの感情に気がついたら
すぐさま、その火種にさっ!!と、水をかけて消すように心がけています。
(毎日が、心の防火キャンペーン中です 笑)

本当に恐ろしいなと思うものは...
実際はこのように、
目には見えないものかもしれない、と感じるのです。

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとマイトリー☆

最古のヨーガ経典「ヨーガスートラ」第一章、33には、
心の清らかさを得る法として
マイトリーと呼ばれる心を持ち合わせることの大切さが説かれています。
マイトリーとは、一体なんでしょう!?
これは、他の魂の幸福を願う、
他の魂が高い世界へ至ることを願う、慈愛の心のことなのです。
一般に知られる、弥勒菩薩のサンスクリット名は、
マイトレーヤと呼ばれますが、
このマイトリーと呼ばれる、慈愛が語源となっているのです。
つまり、弥勒菩薩(マイトレーヤ)は、慈愛から生まれたものという意味があります。
もし、
私達が、他の多くの魂に対して慈愛の心を持ち合わせるならば、
カルマによって、私達自身も多くの魂から敬愛され、
親しまれ、多くの幸福を手に入れることが出来るのです。
そして、マイトリーは、
嫌悪や怒りの反対の心の働きで、マイトリーの心が完成するなら、
デーヴァの世界を超え、輪廻を超えた神の世界へ至ると言われているのです。
身近な人への幸福を喜ぶことから始めて、
たくさんの魂に、マイトリーの心を培う実践をはじめてみませんか?
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-27 11:02

変わり者

昨日から引き続き(?)

という、字がつきました(^^)
今、変化を迎える時期に来ているのかも?しれません...

タイトルの変わり者...ですが、この単語から一体、どのようなイメージをもたれるでしょうか?
あまり、良いイメージじゃない?
なんか...アウトローな感じ(笑)
偏見に満ちた表現なんじゃない?
などなど...

言葉には、その裏側にいろいろなイメージがついて回るので、
文章は、単語だけポンと書いてあると、
ある意味、ほったらかし?!のような気がします。
あとは、見た人、読んだ人の解釈におまかせ...みたいな感じ、とでもいうのでしょうか?
ですから、様々なそれに付随する説明書きが、必要になってくるのかな?
その点でいうと、絵も全く一緒ですね。
同じ絵を観ても、見る人によって感じ方は様々、印象も人それぞれなのですから...☆

話は戻りますが
変わり者
これは、いろいろな人がいろいろな場面で、よく使う言葉だと思うのですが、
つい、最近聞いた時のことをあげるなら...
「芸術家は変わり者が多い」...と
とある会社の社長さんがおっしゃっていました。
ふふ(笑)
私は芸術家というほどの者ではないので、多分、私に向かっておっしゃったのでは無いと思うのですが...(^^;)
ま、実のところ
私も変わり者?と言えば、変わり者かもしれません。
一般常識的世間の人々とは、多少(?)感覚がずれているな...と感じることは
正直、よくあるものですから(笑)
で、自分でも「私は変わり者ですね」(^^)な〜んて台詞を笑いながら、
結構、頻繁に言いますので、やっぱり「変わってると思われたく無い...」という
一般常識人的な発想からは、離れているのかも?!

何をもって、変わり者というのかは、
分類が難しいところかもしれませんが
私の知っている方の例で一つ、あげるとしたら...

かれこれ、
何十年にも渡り、自宅にて独り
自営業を営んでおられた50代後半の男性。
若き頃は、ガキ大将で悪さばかりし、大人になっても平気で道ばたで喧嘩をするような...^^;
20代、30代の若い人達からは大変慕われ、どこへ行っても親分肌で面倒見が良く、
切った張ったが大好きで!?(^^;)
その他諸々...時代の流れを無視した生き方をしているな...と
傍目からは、どのような見られ方をしていたことか???
世間一般からは「変わり者」...
人生の後半、その方はあるご自分の目標に向かって、黙々と仕事をされていました。
あと、一歩で社会的にも認知を受けられるような(と、私は解釈していました)
ご自身の事業の成功が
目の前でした。
ですが、ある日突然、その方はご自宅で倒れられ
救急車で病院に担ぎ込まれました。
たまたま居合わせた、若い同士の方が病院に連絡されたそうです。
この男性は、ご家族もいらっしゃいましたが、
何年も前に、ご家族とは別れて生活されていました。
病院でこの方を診断した医師は、大変驚かれたそうです。
なぜなら...
あり得ないくらい、全身が癌に冒されていたからでした。
「よく痛みに耐えていた...」
「歩くのも寝るのもやっと、全身が痛くて意識も朦朧としていたことでしょう」
普通では考えられないほど、全身に転移した癌を見て、
驚きとともに、医師はその、強靭な精神力に感心すらされたそうです。

モルヒネでも消せないくらいの、痛みとは...(><)想像しただけで目が回りそうです...
その3日後
その男性は、人生の幕を閉じられました。
一体、どのような人生だったのでしょう...
(こちらでは書ききれないくらい、この方の人生は波乱に満ち満ちたものであったようです)
周りからは当然、変わり者扱いもされたことでしょう。
実際、変わってますよね?(笑)
普通、一般常識的に考えて、病院にかかりますよね、体調が悪ければ...(^^;)
そんなになるまで放っておくなんて!?

私の知っている、強烈な印象の「変わり者」は、この方が一番です(笑)
もちろん、また違った印象の変わり者も、何人かいらっしゃるのですが
皆さん、共通されているのは...
個性(自分はこうだ)という、決して頑固とは違う、意固地とも違う、
「自分」を持っていること。

それを、痛烈に感じるのです。
それは、端から見れば、ちょっと煙たがられるような
そんな存在かもしれません。
扱いづらい、変な人(?!)なのかもしれません。
そんな個性を持った人を、人は「変わり者」といって、遠ざけるのかもしれません。
ですが、
自分の人生を自分の足で、しっかり生きる力強さになんとも言えない
圧倒されるくらいの凄まじい「意思」を感じる
「変わり者」も、中にはいるのです。

エゴや欲望に振り回される意思は、周りはもちろん、自分自身も苦しいものです。
ですが、
自分を貫き、他を利する心をもった意思の力は
計り知れないエネルギーをつくりだすと、私は信じて疑いません。

願わくは...
「愛される変わり者」で、いたいものだな、と...(^^)思います。

(※ここでの変わり者という表現には一切の、嫌悪、批判等、ネガティブな意思は含みません)

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとデーヴァ☆

ヨーガの宇宙観では、人間の世界の上には
デーヴァと呼ばれる天界の神が存在します。
もちろん、神にもピンからキリまであって、デーヴァは輪廻からまだ脱却出来ていませんが、
何百万年から何億年と長寿の生命体なのです。
デーヴァの定義は、
人間の想像を絶する、功徳を有しているため、意思した事が全て叶い、
天界で大いなる悦楽を味わうのです。
もし、来世このデーヴァの世界へ生まれ変われる人がいたとしたら、
どのような兆候が現れるのでしょうか?
それは、当然、生きているうちにデーヴァと同じ要素が顕現されていなければなりません。
デーヴァの要素は、
意思した願望が全て叶う。
大変な健康体で、いつも元気。
そして長寿。
人間関係が全て円満で、敵や嫌悪の対象がいない。
心がいつも明るく安定し、怒りの感情が無い。
特別何かをしなくても、内側からなぜか、喜びの感情があふれてくる。
形状容姿美しく整っている。
等...
もし、私は来世はデーヴァに生まれたいと願う人がいたら、
これらの条件を整えなければなりません。
人間の世界で苦しんでいる、あるいは、平凡なレベルでは
決して、デーヴァに生まれることはないのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-26 10:51

七変化

七変化...七曲よりなる変化物(へんげもの)変化物として典型的(広辞苑より)
ちなみにこの変化物→歌舞伎舞踊で、一人の踊り手が早変わりで次々に異なる役柄に扮して踊るもの...という意味らしいです。

日常でも耳にする言葉ですよね。
良い言葉として使う時は、
美しい光の様子が変わる様や、季節の移り変わりに伴う風景を表すとき...etc.
あまり良く無い言葉としては、人の心を表すとき?!
あの人は、相手によって態度が七変化する...などと聞くと、良いイメージではありませんね(^^;)

実際、
心の移り変わりなどは、七どころの変化では、足りない?!のではないでしょうか...
ただ、
相手によって、態度がころころと変わる...というのは、いかがなものでしょう?!
な〜んか(––)...
あの人、信用出来ないな...って感じがしちゃいますよね?
また、相手によって言うことも一貫しないとか、明らかに違うことを言っているとか...
一度言ったことを何度も訂正して、結局のところ何もなし得ない...なんていうのも
ちょっとがっかり?!
ま、でも
世の中には様々な人がいらっしゃいます☆
いろんな事情もおありでしょう!
いちいち、がっかりしていては...身が持ちません(笑)
ですが、
そういうことを感じた、実際にそんな出来事に出くわした、
そんな時は、実に反面教師的な存在として
そんな七変化物に、ひたすら感謝☆☆!!

私は、そうはならないぞ!
私は、人から信頼されるような態度をとるように心がけるぞ!!

そのように言い聞かせて、そう思うに至らせてくれた変化物(笑)に
心の中で「ありがとう!!」と、叫ぶのです(笑)

すると
心の中は、その変化物に対して感謝の念が湧いて来て...
すっきりと爽快な気分に包まれます。(←何度かの訓練は必要かもしれませんが^^;)

世の中のほとんどの事象は
このような、変化物☆
ただ、
人からの信頼の心というものは
変化物に対しては、あまり抱かれないのが通常です。

ぶれない感覚
不動の信条

その人の確固たる唯一のものが、他からの厚い信頼へと結びつくのだと
心して...

今日のワンポイントヨガ
☆現在の宇宙は50回目☆

日本の宇宙物理学は、世界でもトップレベルと言われています。
その中で、京都大学を中心とした博士らが集まって、昨年に科学雑誌
「NEWTON」において、びっくりするような説が紹介されました。
それは、サイクリック宇宙論といって、
宇宙はビックバンによって誕生し、そして膨張後、収縮し、それを永遠に繰り返し続けている。
なんと、現在はそれが50回目の宇宙であり、
その後も永遠にそのサイクルを、繰り返し続けるというものです。
これを聞いて、ヨガや仏教経典に精通している方は、
本当にビックリ!いえ、むしろ当然だと考えられるでしょう。
それは、太古のヨーガ経典や、仏教経典には
現代科学より、何千年も前に、それらが説かれていたのです。
つまり、宇宙は、魂(真我)の成熟の為に、
永遠に膨張、収縮、そして消滅を繰り返すというものなのです。
この説は、
荒唐無稽なんてとんでもなく、物理学の権威のグループが、
最新理論から予測したものなのです。
まさに、
やっと現代科学が、ヨーガ理論に追いついて来たことを表しているのです。
実は、
このサイクリック宇宙論は、
ヨーガ理論でも、光の爆発の後、振動の宇宙が誕生したという説とも一致しているのです。
まさに、
ヨーガ経典の叡智は、素晴らしく、
無智なる宗教学とは無縁のものだと言えるでしょう。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-25 16:57

温める

季節の変わり目が続いています。
今日も、雨が降ったり止んだり、日が射したり曇ったり...
気温は相変わらず、あまり高くはならず、ちょっと肌寒い感じ...
早い年では、GWには桜の花見が出来るのですが、この調子だと...今年はどうでしょう?

このように
なかなか、ポカポカ陽気に出会えない春先の場合、
出かける時の格好も、いろいろ工夫が必要です。
冬のダウンはかさばるし...薄手の上着では寒すぎる?!
中の重ね着で、体温調節...!は、いつものことなのですが、
街中は皆、気分は先取り春爛漫な、雰囲気☆
こんな風に、体を冷やさないようにと工夫して...
なんて、考えている私はちょっと考え過ぎ?!なのかしら??
特に10代と思わしき、若い女性は
足を思い切り露出して、まるで夏先取り!な感じの装いの方もいて。
本人が寒く無ければ良いのかもしれませんが...(^^;)

ヨーギニー(女性のヨーガを行う者という意)である、自身としては...
出来るだけ、露出は控えめ...体を冷やさないように...というのは大前提で(^^;)
世の中の流行とは、ちょっと(だいぶ??)かけ離れているのかもしれませんね(笑)

ところで、
最近、遊びに来た友人の話によると、
体を温める食べ物の代表である「生姜」が、巷ではブーム?だとか?!
ふふ(笑)
嬉しい☆
ファッションにおいては、流行と真逆をいっている?ようですが、
食においては、最先端?!だったりして(^^)/
...なんていう、ちょっとした喜び☆を...感じつつ
ま、ヨーガ自体は健康とぴったり寄り添って、離しようがないものですから、
今の、健康ブームの時流に当てはまって当然、といえば当然なので...
今更、喜ぶほどのことでは、ないのかもしれないのですが(^^;)
(でも、ちょっと嬉しかったので 笑)

この生姜
(主に根菜類は、体を温める効果があると言われています)
私は、どのように食べるかと言いますと
適当にスライスしたものを、はちみつにつけておいて
それをお湯で割って、甘い「生姜蜂蜜湯」として頂くことが多いです。
蜂蜜に漬けた生姜をそのままいただいても、ちょっとしたおやつのようで
美味しいです。
他にも、すりおろしたものを薬味として食べたり、
炒め物、煮物、汁ものなど
様々な料理に、適量加えるだけで、体はぽかぽかと温まります☆

まだまだ、春といっても肌寒い外気にあたると体が冷え、
乾燥も伴って、喉が乾いたりする人も多いかと思います。
体の中から温まると、免疫力もたかまって風邪などを引きにくくするとも言われます。
生姜の蜂蜜漬け☆常温での保存も可能です。
多めに作って、目につくところに置き、外から帰ったら頂く☆

体を温めると、他にもいろいろ良いことがたくさんあります♪(中医学の見地からも)

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガと怒り☆

怒るなかれ
ヨーガの教えでは、心をいつも平静に保ちなさいという戒めがあります。
怒ることが良くないことだって言われなくてもわかっている!
そう思う方もいらっしゃいますね。
でも、世界中の人達が、大なり小なりのことで怒りをあらわにしているのが現実です。
ちょっとムッとする程度から、激しく感情を剥き出しにする怒り。
ある人は、怒りによって、人を殺めてしまうことだってあるのです。
リオのカーニバルで有名な、ブラジルのリオは、
年間、6000人以上の殺人、1日16人以上殺されていることになります。
アメリカの死因の第一位は殺人なのです。
本当に悲しむべきことです。
私達が、小さい怒りを肯定するなら、
今度は、少しくらいの怒りも肯定するようになります。
また、更にその少しばかりの怒りを肯定するなら、さらに大きな怒りを肯定するようになり、
怒りは放っておくと、どんどんどんどん大きくなって行くのです。
犯罪心理学では、
殺人や、大きな傷害事件を起こす前の前兆として
まず、身近な生き物や、犬や猫、鳥などを殺害するようになるといいます。
怒りによって、他を傷つけることを肯定するなら、
私達は、取り返しのつかない怒りの行為をする可能性を秘めているのです。
智者はどんな小さな怒りにも自ら警戒し、
心を統御するのです。
また、怒る時は、かーっとなり身体が熱くなり、後で疲れますね。
生命エネルギーを支えているのは、功徳ですから
怒りは功徳をも消耗させるのです。
自らに起こるどんな小さな怒りも恐れ、
怒りから離れる人は、真に智者の取るべき道なのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-24 12:10

未来は開かれている

爽やかな春の風が、頬を撫でます☆
地面は少しずつ、緑色の葉が元気にその面積を広げ始めました!

北の大地に、本格的な春を告げる花の季節がやってきます。

毎朝、目が醒めると
新しい1日を無事に迎えられたことに感謝☆
「うん...今日も生きてる...」
(^^;)ちょっと大げさ?!と思われるかもしれませんが、
人間、いつ死ぬかなんて、わかりません!(笑)
昨日まで元気だった人が、急に!(縁起でもない!と怒られそうですが^^;....)
とか、
高齢の方から順番に...なんて、決まっているわけではないのですから。

それはさておき...
起きると大抵、ヨガと瞑想をセットで行うのですが、
内容は至って簡単なもの。
ただ、毎日、自分の内側と静かに対話することは、
とても心が落ち着き、快適です。

厭なことがあった日も、
また、そうでない日も、
翌朝は、ただ淡々とこの作業を行います。
すると、本当に気持ちがすっきりしてきます☆

自身の場合...ですが、
気持ちが、過去へ過去へと向かいがちだと、心はふさぎ込み、
(^^; あまり良い思い出がないから?!)
済んだことは水に流そう!という、気持ちになって、
来る未来における、明るい妄想(?!)を始めると、心はハイになっていきます。
単純ですね(笑)

ですが、
これは多分、私だけでは無くて
多くの人が同じパターンを持っているのでは?!と、感じたりもするのです。
過去に良いことばかりで、悩み一つ、苦ひとつ感じたことがない!
...という人は、多分まれでしょう。
だからといって、
未来もそうだとは限らないのに、ついつい
過去の経験に捕われてしまいがちなのは、仕方の無いことなのかもしれません...。

でも、
ひとつだけ、確実なことは
未来は、今この瞬間の、ほんのちょっと先の未来までも
過去と一緒ということは、絶対にないのです。
わかり切っていることかもしれませんが、
わかり切っていながら、脳はわかり切った行動を取らせてくれないものです。
でも、あり得ないのです...
未来は、あくまでも自由に開かれていて、
自分自身で、つくりあげていくことが可能なのです☆

どんな未来を望むかは、それもやはり
自分次第(^^)
それを、現実につくりあげて行くのも、やはり
自分次第☆

明るい未来を信じて、一歩一歩確実に、
進んで行けるように☆

今日のワンポイントヨガ
☆この世は無常!?無常って何?!☆

2500年前、仏陀は、
「この世は無常、一切は無常」と、お説きになられました。
ヨーガでは、この世を幻、幻影(マーヤー)であると、説きます。
一体なぜ、一見、こんな楽しそうな世界を無常、あるいは幻影などと説かれているのでしょうか?
私達の住む日本には、毎年雪が降ります。
そして、この雪で、驚くような雪像や、氷の像などが作られます。
これら、壮大な作品に心もわくわくしますね。
しかし、この美しい雪像や、氷像も、
期間が終われば、あっけなく取り壊されてしまいます。
いえ、取り壊されなくても、
放っておけば、いずれは溶けて水になり、蒸発してしまいます。
この、私達の住む世界、
これは、肉体も、この世界も、宇宙でさえも、
いつかは消滅してしまう...
これは、誰も避けることは出来ない、否定することも出来ない真理なのです。
そして、このような真実を「無常」と呼ぶのです。
そして、ヨーガや仏教真理では、
無常を超えた絶対的なもの、
真我や、高い世界へ至ることを良しとして、展開されているのです。
聖者は無常を知り、無常を厭い、無常を超え、
絶対の真理に到達したのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-23 09:33

景色

今日は朝から、車でちょっと出かけました。
いつもの風景とは違った感じの朝を、
なんとなく新鮮な心地で過ごし...
あたりの景色をゆっくりと眺めます。

何故でしょう?

いつもと変わらない朝なのに、
行き先が違うだけで
こんなにも違った景色に感じるものでしょうか?

例えば、
大切な仕事の打ち合わせに向かう日の朝
ちょっとドキドキ...なんとなく心は上の空で...
いつもの朝食も、何を食べたんだか??味も全然わからない(^^;)

憧れのあの子と初デート☆
朝からそわそわ...まるで天にも昇るような心地...
うきうきしちゃって、心はルンルン♪

人間の感覚って不思議ですよね?!

こんな調子で
その時の状態によって、その本人の感じ方、
他人からの見え方なども、明らかに違ってくるのですから。

落ち込んでいる時は、全てのものが暗く重く、感じたりします。
逆に
良いことがあって、心がHAPPYな時は、何もかもが輝いて美しく見えたりします。
そんな経験、ありませんか?

でも、目に見えている景色というのは
その時々で変わっているのでしょうか?

変わっているとしたら...
それは、景色が変わっているのでは無く、
その人の心の状態が変わっているだけではないのでしょうか?

人の心は常に
「幸福」でありたいと願い、その状態を追い求める性質があると言われます。
だから、いつも
こうしたい、こうなりたい、これが欲しい、あれも欲しい☆
こうなれば、自分は幸せに違いない...!

そうやって、自分の考える「幸福」を設定しては、
それを追いかけ、求め続けます。
ですが、その「幸福」を外側に追い求めたとしても、
手にした瞬間、必ずその状態は崩れ去ります。
「時間」の中にいる以上、これはどうしようもないので、
仕方がないといえば、仕方が無いことです(TT)
では、
どうしたら???

やはり
自身の「幸福」を、外側の何かで埋め合わせるのは無理なのだ、ということに
気がつくこと☆

人は、他に対して何か
良いことをすると、心は軽くなり、明るくなります!
(悪いことをして、明るくなる人はいないですよね^^;)
この、他に良いことを為すという行為
(仏教用語では功徳といいます)
これを、日々積み重ねていくと、人の心は幸福感でいっぱいになると言われます☆
感謝し、感謝される日々
悪いことがあっても、頓着しないでいられる

そんな些細なことの積み重ねで、見える景色が変わるとしたら...

同じ場所を通っても
数年前とは感じ方が違う

私は、まさにそれを感じました。
数年前、悲しみでいっぱいの心で見上げたビルは、ただのビルでしかありませんでした。
そして今、喜びの心で見上げた同じビルも、ただのビルでした。
そこには、数年前も今も、変わらずに同じビルが建っているだけでした。
ですが、見る人間の心の状態で、ただのビルが暗くどんよりとした建物に見えたり
明るく輝く綺麗な建物に見えたり...

いつも心が明るく
見るもの全てが輝いているような、心の状態☆
そんな状態は、本人も、またその周りの人達も
きっと、幸福感を感じるに違いありません。

今日のワンポイントヨガ
☆迎合した教えに真理は無い☆

最古のヨーガ経典「ヨーガ.スートラ」には、
離欲をヨーガの最大の理念と紹介しています。
これは、仏教やチベット密教も同じで
これらの教えの共通は、欲望を滅尽することに言明つくされるのです。
しかし、
現代社会では、このヨーガブーム、または仏教の教えも
古来から伝わっているのにも関わらず、なぜ、
この離欲の概念が広まらなかったのでしょうか?
実は、欲を滅する方が本当は幸せになれるのですが、
現代人の多くは、離欲を厭い嫌うからです。
過去生に高い世界の経験が無い魂ほど、
欲望を肯定し、欲を欲し、欲望にまみえることを良しとします。
そうしますと、
離欲を説く、真のヨーガや教えは、
誰も欲することもなく、嫌悪され、見向きもされなくなります。
それによって、
お葬式の時にお経を読むだけの仏教、
ファッションだけのヨーガが、もてはやされてしまうのです。
真の意味で離欲を説く仏教徒や
離欲を展開するヨーギーとお目にかかれないのは
そのためです。
しかし、妥協した教え、現代人に迎合した教えの中に真理はなく
誰も救われることはありません。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-22 17:51

建物の入り口には、必ず「扉」がついていますね!
その中に入るには、当然、その扉を開けなければ入れません。
最近は、自動扉も多く、手で押し開ける必要の無い扉も多いですが、
そうでない場合は、自分の手でもって、ぐっと押し開ける、もしくは引く等の、
自分の意思のよる動作が伴います。
「中に、入りたい」
この、欲求がなければ入れないことになります。

私は、どうぞと言われれば、中に入りますが、
来ないでと言われれば入らないので(^^;)
招かれれば喜んで扉を開けます☆

その中に何があるか?

それは、開けてみなければわかりません。
そもそも、自分に縁のないものには招かれることも無く、
その扉は開かれることはないと、思っているのですが、
時折、驚くような神秘的な扉が開かれることもあるので...(笑)
それはそれで、とても刺激的です。

通常、
自分の前に用意される扉は、ひとつ。
二つ以上が用意されて、どちらにしようか迷ってしまう...というようなことは
滅多なことでは、おこりません。
ですので、ひとつひとつをそのときそのときのタイミングで、
開けては中に進む...の繰り返し。
同じ扉は、存在しません。

ひとつひとつ...開けては進み、開けては進み...

大きな扉の前で、躊躇したり
扉とは思えないような入り口に驚いたり...

この世では、あり得ないようなところに、
あり得ない!?扉が用意されていたりすることも^^☆

まるで、
おとぎの国の作り話のような
不思議な話☆
そう感じるかもしれません(^^)

でも、
今いる世界のすぐ横に、そんな扉が用意されていたとしたら
あなたは
開けてみますか?
それとも、見ない振りをしてそのままにしておきますか?

環境が変わり、人間関係が変わり...
もしくは
自分自身の心境が変化したときなど、
何かに終止符を打って
新たな物事に挑む時。
それは、目の前の新しい扉を開ける
そんなタイミングなのかもしれません☆

そして
その扉の奥に、何があるのか...
開けてみなければ、決して知ることはありません。

今日のワンポイントヨガ
☆ヒーリングの危険性☆

巷では、癒しという言葉がもてはやされ、
誤った霊的な教えが広まっています。
そもそも、真の癒しとはなんなのでしょうか?
まず、
癒されたい方は、癒されなければならないほど心身が、苦しみを感じています。
言い換えますと、
悪業が顕現している状態です。
それに対して、
ヒーリング等の癒しではなく、
その対象のどのような心、言葉、行為に
問題が生じているのか(何が悪業となってしまっているのか)正さなくてはなりません。
それに対して、
完成されていない、まだ、自分も多くの悩みを抱えてる魂が(←ヒーリングを行う側のこと)
どのようにして、他を癒すことを出来るのでしょうか?
一見、癒されているようにみえて、
対象は決して、癒されていることはありません。
真の癒しとは、
カルマを浄化することなのです。
これは、仏陀や偉大な菩薩だけが出来る行為なのです。
故に、
インドやチベットでは、
ラマ、グルと呼ばれる偉大な霊的な教師だけが行う
尊い実践なのです。
このことを踏まえず、
無智によって、他にヒーリングを施すなら、
そのカルマを吸収したまま、浄化することが出来ないので
ヒーリングを行ったものは、自分が他から吸収したカルマによって
病に冒されたり、早死に至ることになりかねないといえるのです。
実際、ヒーリングを行って、
定期的に襲ってくる原因不明の苦痛に苦しむ人や、
病に冒されてしまった人を、たくさん見てきました。
他の苦しみを取り除いてあげたいと思う気持ちは、
大変尊いものです。
しかし、いにしえの仏陀や、聖者たちは、
無数の生(しょう)の激しい修行の結果、
他のカルマを吸収しても、速やかに浄化する法、
また、その精神に至っているので、
他を真の意味で、癒すことができるのです。
まだ、完成されていない状態でヒーリング等を行うなら、
相手にも、自分にも不幸が待っていると言えなくは無いのです。
[PR]
by atelier-kuh | 2010-04-21 16:08
line

atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


by atelier-kuh
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite