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純化

純化

私としては、あまり聞き慣れない言葉でした☆
よく使われる方は、使うのかもしれませんが...!?
こんな言葉があるのね☆
と、最近知ったのです(^^)

純化...まじりけをなくすこと。純粋なものにすること。「精神の純化」 複雑なものを単純にすること。(広辞苑より)

ちゃんと、辞書にも載っていました。
う〜ん
まだまだ、知らない言葉がたくさんある...(^^;)

この意味の中で、あ〜なるほど!と感じたのが、「」の中に例として載っていた
精神の純化
ヨーガ教室の中でも、そんな感じの事をお話しされていたな...
行いを純化する
という、内容だったかな?

邪念、邪心を取り除き
すべての身の行いを、純化するように心がける
要するに、行いと共にその精神も、純化しましょう!
という、教えですね☆

これを聞いて...
純化する、あまり聞き慣れない言葉だけど(. .)
とってもピュアで...
まるで
泥の混じった汚水を、
コップに入れて、しばらく静かに放置しておくと
泥や汚れはコップの底に沈殿し、
上澄みは綺麗で透明な水となり...
という、様子を思い浮かべました。
上澄みの水の、澄んだ透明感は、
最初の汚水の状態からは、想像もできないくらい
キラキラと輝いて☆

...

人の心も
そのように、純化することができるのだろうか?

欲望や
邪心などによって
淀んでしまった、心の状態が
もし、
この水のように
純化することが出来るとしたら...

そうなるためには、
何かを加えるのでもなく
騒がしく、忙しく動かすのでもなく
ただ
静かに、心を鎮め
純化する
(行いや精神を清める)

今、
自分が行っている事を
今一度、振り返り
...これは「エゴ」によって行っているのか?
...ただ、その時だけ楽しければ良いと、欲望にのみ、かられた行為ではないか?!
...これは、他に喜びを与える行為なのか?
...人が幸福になることに繋がる行いだろうか?
と、いちいち(笑)考えることが
純化する上で、大切なことと言えるわけですね...(^^)

福徳であれ
清浄であれ

今昔の偉人の戒めは
人の心の奥底に
深く
深く
沁み入る言葉の重みを
感じます

今日のワンポイントヨガ
☆みなさんは、良き友ですか?☆

人生において、家族だけではなく、
友人との親交は欠かせないものですね!
でも、その友人も必ずしも良い友ばかりとは限りません!?
悪友という言葉もある通り、そのような友も存在します。
ヨーガでも、良き友とだけ交わりなさいという教えがあります。
これは、お釈迦様の仏典でも同じような事が書かれており、
徳高きもの、真理を行じるものと交わりなさいと
記されています。
では、ヨーガの見地からみた良き友とは
どういう人なのでしょうか?
それは、その人とお付き合いをすることで
精神が豊かになる、悪業を為さなくなる
悪い誘いをなさず、その人と一緒にいることで
良い心、良き言葉、良い行いが増大する人

逆に、悪しき友とは...
その人といるだけで、欲望が増大し、
悪しき心、悪しき言葉、悪しき行いが増大したり、
誘発されたりする人

もし、
みなさんが良き友を大切にするなら、この世でも
たいへん幸福になるでしょう。
もし、
みなさんが悪しき友を大切にするなら、この世でも
来世でも、残念ながら幸福になることは間違いなく
ありません。
そして、皆さん自身も、良き友でなくてはなりません。
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by atelier-kuh | 2010-05-10 11:12

成長すること

成長...育って大きくなる事。育って成熟する事。(広辞苑より)

子供の成長は、早いものです!
私もかつては、子供でした(当たり前ですね! ^^;)
それが、時を経て...
1年1年の長さは、同じなのに
年を重ねると、その早さがどんどん、スピードアップしているように感じるのは
私だけでしょうか???

小さな、小さな子供だった私は
時とともに大きくなり、成長し、
大人になり...
母が無くては、生きていくことさえできなかった赤子が、
数十年後、母の日に花束をプレゼント☆
(今日、世の中は母の日です ^^)

時の経つのは早いもので
子供の頃の思い出は、ついこの間の事のように
鮮明に思い出されるのに...
その風景は、今はもう、どこにも存在しない

成長し
成熟する

私はよく、植物を観察しては、それを感じます。

小さな種が、土の中から芽を出し、
日の光と栄養と、水...
必要なものを吸収しながら、成長し、
花を咲かせるものは、咲かせ...
実を付けるものは、実を付け...
やがて、枯れていく
葉が全て落ちても、
翌年にまた、芽を出すものもあれば、
ひとまわりもふたまわりも大きくなって
命を繋いでいくものもある

命のサイクルは
不可思議で
理路整然と
そして
ただ、ひたすら

人もこのように
ただ、
ひたすらに成長する事が出来れば良いのに...

肉体だけが、成長し
大人と変わらない見た目にはなったとしても...
その、内面は???

どこかに何かをお忘れではないですか?

そう、感じてしまうような
内面の成長に、重きをおくこともなく
魂の成熟などには、興味も無い
そのような方々に出会う事も、実際に多々あり、
その度に、我を振り返っては
反面教師とさせてもらおう...(> <)と、肝に命じてはいるのですが。
果たして...
自身の成長などというものは、一体...どれほどのものなのか?!
ほんの数ミリ???なのではないかと、思う事もしばしば...

デジタル化が進む昨今、
このような、個人の成長指数のようなものが
デジタル表示されれば...(^^;)
わかりやすいのにな☆

それでも
ちょっとずつ
あ、ついこの間まで、こんなことがあったらものすごく怒ったり、
ショックで落ち込んだり、
悲しみに暮れて、なかなか立ち直れなかったりしていたけれど...
最近は
無い☆
と、(@@)♪気づけた時、
なんとなく、そのような実感が湧いて来た時、

「成長したかな?」
「進歩したのかな?」

心の成熟

自身のイメージでは、
とてつもなく、「大人」な感じがするのですが、
そうなるまでにも、日々
ちいさな子供が成長する過程と同じように
段階をひとつひとつ、踏まえながら
着実な一歩を積み重ねていくのが、
一番の近道☆

ゆっくりと
急ぎ足で...

矛盾しているようですが、
人に寿命が存在する以上、ゆっくりと急ぎ足で...
こんな意識で、人としての年輪を培っていく事を、
これからも心がけたいなと
思うのです☆

今日のワンポイントヨガ
☆人間と動物の違い☆

人間と動物は何が違うのでしょう!?
そんなこと、聞くまでもないじゃないか!という声も聞こえてくるかもしれませんが、
改めて、皆さんと考えてみましょう!
動物を観察しますと、
本能だけで生きていますね。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。
発情したら、所構わず、相手構わず交尾をし、
物事を考えない。いえ、考える智力を持たない。
もし、
私達が、物事を考えず、本能のままに生きるなら
それは動物と何ら変わらない、ということを理解しなければなりません。
いくら見た目が、人間の身体を有していても、
意識が動物と一緒なら、来世は動物の世界に至ると言えるのです。

もちろん、
動物と変わらない智性、能力なのですから、
人間の世界でも、出世、成功、幸せな人生とは無縁となってしまいます。
では、そうならないためにはどうしたらいいのでしょう?
人間、もしくは、人間を超えた智性を持つ為には
どうしたらいいのでしょうか?
それは、
生きている目的を、はっきりとさせることです。
動物は、自分がどのような生き物であるかさえ、わからず、
本能だけで生きているため、もちろん、目的など持ち合わせてはいません。
私達も、無目的で生きるならば、
それは、動物となんら変わらない...
人間として生きる為には、目的を持つ事が大変重要なのです。
そして、この世での役割をしっかりとこなしながら、
来世というものも見据え、
来世というものがあるんだ、
人間より高い世界があるんだと、
来世は、そこへ生まれ変われるようになろうと
人生を超えた高い目標をも持ち、
功徳を積む実践、
他の幸福、他の利益を優先させる実践、
四無量心の実践を行うならば、
最高の目的をもつことなるのです。
来世なんて、あり得ない...
そんなこと、考えたってわからない...
物事を曖昧に、そして妥協を良しとするならば
来世は動物の世界へと、逆戻りしてしまうのです。
智慧ある魂は、
諸現象を観察し、
真理を理解し、そして、すべてをカルマによって解析し、
人間の世界でも幸福になり、そして来世をも自らの努力によって
確定していくのです。
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by atelier-kuh | 2010-05-09 14:25

理屈

理屈...物事のすじみち。道理。ことわり。こじつけの理由。現実を無視した条理、またそれを言い張る事(広辞苑より)

理屈で説明出来る事って、そんなに大事なことなのでしょうか?

直感勝負(笑)で、生きている私にとっては、理屈はあまり重要ではありません(^^;)
世の中の理屈好きさん、すみません(笑)

時として、この「理屈」が邪魔して、
真実が見えなくなってしまったり、より複雑化して、物事を進めて行くのに支障が出たり...

理屈
どちらかというと、厄介な感じがします...

でも、世の中には
物事の事象を全て、理屈で解釈したがる人は大変多く、
何に関しても、証拠が欲しい。
目に見える実証が欲しいと、視覚に訴えるものに、絶対の確証を抱きがちです。

本当に
真実は目で見えるものとして、確認する事が必要なのでしょうか?!
そうして確認出来たものは、真実だと確信する事が出来る、「絶対」のものなのでしょうか?!

私には
それらは、大きな落とし穴にさえ思えるのです。

「ほら、ね、見てごらんなさい!この通り、これが本当ですよ〜」などと、
体裁よく、簡単に目の前に見せられるようなものは、
かえって嘘くさく、チープで、薄っぺらなものに感じたりは、しないのでしょうか?

かといって、
目に見えるものが全て、いかさまとも思いません。
もし、そこに
真実があるとしたら...
それは、理屈などとは無縁の、心に訴えかける、(私の場合は直感に訴えかける^^)
深い感動や、理屈や言葉などでは説明がつかない、
そのようなものではおよびもしない、
その現象の背後に存在する、大いなる畏怖に満ちたエネルギーをも、
同時に感じるものではないかと、思うのです。

何故?
人は、目に見えるものを真実だと思うのか?
理屈で説明出来るものこそが、本当だと感じるのか?
それこそが
単なる、つじつま合わせのこじつけなのではないかと、
思ってみることなどは、ないのでしょうか?

言葉のあげあしをとる...相手の言い損ないや言葉じりにつけこんで、なじったり、皮肉を言ったりする(広辞苑より)

↑あまり、良い言葉では無いですね...(^^;)

これらの行為を行う時、心の背景には何かしらの意図、
相手への感情的なものが、存在しているはずです。
本人のプライド、相手への嫌悪、相手より優位に立ちたいと思う支配欲、負けたく無いという心...etc.
どれもこれも、あまり持ち合わせて、楽しくなるような心の状態とは思えません^^;

ですが、
何かしらの思惑があるがために、行うことであるのは確かなようです。
これが、
プライドや、支配欲から生じるものであるとするならば、
喉のチャクラ(ヴィシュッダチャクラ)に詰まりがある場合、
このチャクラが振動していると、そのような感情に支配されるといいます。
一般の負けず嫌いはこのタイプです☆
嫌悪が優位である場合、
こいつ!嫌いだ!なんか、気に食わないから、理屈でこらしめてやる!
...^^;
このような感情によって、行為を行っている場合は
もっと下位のチャクラが振動しています。
※ヨーガ的には、下位のチャクラを振動させる事は良しとはしません。
(蓮華座法を深く組み、アパーナ気という下位に至る気の流れを遮断し、気を上昇させることも
下位のチャクラに意識を向けない一つの方法と言われてます。)

なにはともあれ、
理屈ばかりこねくりまわしていても、物事がシンプルに解決に至る事は、まれで(?!)
目に見えるものだけを、唯一の真実と思っていると
本当に大切なものに、ヴェールをかけているようなもので...
いずれにせよ
自分自身の経験において、真実を知った時こそが、
ヒトがつくった「理屈」を超えた存在に、気がつく☆

というのが...
私の理屈☆

言葉って難しいですね(^^)

今日のワンポイントヨガ
☆苦しみの生存は自分への警告☆

全ては私達が、心で思ったこと、語ったこと、為した行為からしか生じない
ということは、みなさんご存知だと思います。
で、あるならば、
生まれたときから始まって、今まで生きて来て経験した全ての苦楽は、
皆さんのカルマから、生じたものです。
他人に与えられたものでは、ありません。
その法則は、永遠に続き、決して変えることはできません。
この事を理解したとき、智慧ある人は、
生き方を振り返り、改めるに至るのです。
よこしまな心、言葉、行為、
これらのものから離れるわけですから、当然、
人生そのものも、良くなってくるわけです!
そして、より良い人生を味わう、皆さんとは裏腹に...
悪業の結果で苦しんでいる人の存在にも、気がつくことになるわけです。
例えば、
死、病、貧しさ、精神的苦痛、で苦しむ人達。
また、
犯罪を犯してしまう人、あるいは外国で餓死してしまう人。
または人間以外の動物、昆虫、などの生存。
これらを見た時、
良い人生を歩んでいる自分とは、無縁に感じるかもしれません。
しかし、
それらを見た時、
智者はこのように考えるのです。
それらの苦痛は、悪業の結果であると。
もし、これから自分が悪業を積み重ねていくならば、
同じ苦しみを経験することになってしまうのだ、あるいは、同じ境遇になってしまうのだ。
このように
自分への警告と捉え、反面教師として考えるのです。
そして、そのようにならないよう、
いっそう、自己の心、言葉、行為を磨き上げていこうとするのが
最高の実践なのです。
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by atelier-kuh | 2010-05-08 15:32

習慣

習慣...日常の決まりきった行い。しきたり。ならわし。慣習。(広辞苑より)

習慣にしていることは、ありますか?
また、それはどのようなことでしょうか?
「早起き」「ジョギング」...etc.
人それぞれ、何かしら習慣はあるものですよね!
では、
なぜ?それを行うのか??

長い期間、あることを習慣にしていると、それを行うのが当たり前になって
なぜ?行うのか?ということを、見失ってしまうことがあります。

心においては、性質(性格...先天的、生まれつき要素)よりも、
この習慣によって為される、
反復、記憶したものの方が、行動等に影響を及ぼすといわれているそうです。
あなどるなかれ...習慣!
ということが、言えるわけですね...(^^)

例えば
食事の後に、歯を磨く

一般的に、よく行われている習慣のひとつと言えると思いますが、
これが当たり前になると、
やはり...やらないとなんだか調子が悪い、落ち着かない、気持ちが悪い...等
やらないことが、どうもおかしな感じがする(><)ということに、なってきます。

逆に
これを、巧く利用すると
どんなにとてつもなく(笑)怠惰な性質を持った人も、
習慣によって、人間的に劇的変化をさせることが
可能になってくるわけですね☆
(怠惰な人に、ある習慣を習慣とさせるまでが、困難といえるかもしれませんが...^^;)

石の上にも三年
なんて、言葉もありますが、何事もこつこつと毎日毎日の生活の中で、
努力し、積み重ねて行くことは、
その人の新たな習慣をつくり、
また、その人自身の、人間的な新たな側面を創り出すことにも繋がる☆
ということが、言えるのですね〜(^^)

...なんて
改めて何故このような、認識に至ったかと言いますと...(^^;)>

この習慣づくりにおいて、ほんの少しですが
自身も、新たな側面をつくりあげつつあるかな??(まだ、確信には至っておりません^^;)
という、ちょっとした期待☆と、これからも頑張るぞ!という意思確認☆
自分を鼓舞する意味で、もう一度、この習慣づくりからしっかり行っていこう!
と、連休明けでちょっと、ペースが乱れがちな自分へのエールも込めてみたのです。

世の中では
5月病なんて、言葉も使われたりするこの時期ですが、
そんな言葉に流されず、
ため息は、大きな深呼吸で思いっきり遠くへ、吹き飛ばすくらいの心意気で
眩しい太陽に向かって闊歩しましょう!


今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガと救い☆

キリスト教、聖書で書かれた一部は
真理です。
神は、全ての魂を救いたいと願っていますが、
悪業を犯したものは、裁きに合うという箇所は、真実です。
ヨーガの理論でも、
為したことは、必ず返る、
功徳の果報は、喜びを享受する天界へ。
悪業の果報は、それに応じた苦しみの世界へ...。
この部分は、聖書とある程度、共通した教えが説かれています。
それに対して、このような質問を受けたことがあります。
「神は慈悲がないのか?」
「なぜ、悪業を積んだものも、天の世界へと連れて行ってくれないのですか?」と...。
これらに対しては、このようにお考えください。
幼稚園の生徒を、大学院に入学させても何か、意味があるでしょうか?
または、
海の中でしか生活出来ない魚を、陸に揚げて生活させても意味が無く、
苦しみでしかないのと同じように、
あくまでも、個人の魂が成長しない限り、
高い世界へは生まれ変わることは出来ないのです。
生きているうちに、どれだけ心を磨き上げるか、
どれだけ精神的に成長出来るか、
そして、それだけが皆さんの未来を決定する要因であるのです。
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by atelier-kuh | 2010-05-07 10:10

まごころをつくす

快晴続きの連休でした☆
いかがおすごしでしたでしょうか?

遠方へ出向かれた方、または自宅や近場にて過ごされた方、
連休とは無関係でお仕事に専念されていらした方...

それぞれの五月初旬を満喫されたでしょうか?

五月の連休に入るや否や...
天候にも恵まれ、北の大地にも春到来☆となりました。

今回、私が滞在したところも、大変暖かく朗らかな陽気でした。

抜けるような青空と、爽やかな風...
若葉のにおいと、のんびりと漂う白い雲...

ビルの隙間から覗く青空も
田舎の片隅から見上げる空も、何ら変わらない自然の風景☆
で、あるにも関わらず...
私達はつい、
騒がしいもの、刺激の強い物へと、心は散漫になりがちです(^^;)

どこへ行っても、天を仰げばそこに
青い空は、広がっているというのに...☆

確かに
南の国に行けば、日本とは違う海の色、空の色、風のにおい...
大自然広がる国々のもつ、計り知れない雄大さ...
近代的に整備された、都市国家へと足を伸ばせば、そこにもまた、
見慣れた日本とは違う風景...
それぞれの美しさ、言葉で言い表せないほどの感動☆
感じるものも、それぞれの場所で様々...

各地で味わう、情緒などに
一時の安らぎを感じたり、深い感動を味わうことは、確かに楽しいものです(^^)

どこへ出向くにしろ...
その場所には人が居て、なにかしらの交流が生まれ
感じ取る「何か」が、あることに私はいつも、感謝の念が沸き上がります。

何気ない、些細な言葉の行き交わしに、その人の真心を感じる

旅先で出会う人々は、
まさに
「一期一会」
次回、またどこかでお会い出来るとは限りません...
多分...お会い出来ない方がほとんどでは??と、思います。

ですが、その一人一人に
真心をつくす、つくされる。

忙しい最中でも、とびきりの笑顔で対応する
やさしい口調で丁寧に話す
...etc.
些細な気遣いなのですが、そこに、人の優しさ、思いやりの心の温かさ、を感じます。

壇上に上がり、多くの方々に向かって
様々なエピソードを、ユーモアたっぷりに講演をされる方、
素晴らしいですね(^^)

そんなお話を、伺うことができる機会に恵まれることも、
私にとっては有り難く、また、貴重な経験です。
そして、同時に
壇上に上がること無く、決して明るいスポットライトも浴びることもないけれど、
黙々とご自身の役割をこなし、目の前の人を真心こめてもてなすことに専念される方との交流も、
私にとっては、大変貴重な経験です。

与えられた場において、その人の役割を
真心込めてこなすことは、
こんなにも、人の心に響くものなのかと、
「真心をこめること」の大切さを改めて感じたのでした☆

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガで考える価値ある生き方☆

人間は長生きすべきである、長生きすることは素晴らしい☆
通常の観念で言えば、確かにそれは否定出来ないかもしれません。
しかし、
ヨーガ的な見地から見ると、単に長生きが価値があるとは言い切れなくなってしまうのです。
それは、なぜでしょうか?
また、ヨーガでは、どのような生き方がベストだと考えられているのでしょうか?
もし、ヨーガで説くところの来世がある、魂は生まれ変わりを繰り返すということが、
真実であると過程するならば、
悪業を為さず、功徳を積み続ける人生は、
長生きすることは最高に価値のあることだと、言い切ることができるでしょう。
しかし、
真理を見つめることなく、悪業を積み続けるならば、
単に来世、苦しみ多き世界に生まれ変わり、そこで長きにわたり
苦しみ続けなければならないことになるのです。
このような見地からすると、
単に、長生きするということが素晴らしいとは、言い切れなくなってしまいます。
もちろん、
来世だけでなく、今、生きている段階においても、
いずれかにおいて、
様々な病、老いからくる苦しみ、痴呆、生に対する孤独、不安、無意味感に
苛まれるであろうことも否めません。
もし、皆さんが、
悪業から離れ、功徳を積む場所として
自己の魂を磨き上げる場所として
人間の世界を(今、生きている世界)を活用するならば、
若さを保ち、
病とは無縁、
生に対する充実感、至福感を経験し、
来世だけでなく、人生そのものが最高のものとなるのです。
どうか、皆さんが、
この人間の世界でたくさんの功徳を積み続け、
長生きされることを望んでやみません。
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by atelier-kuh | 2010-05-06 11:13

楽天家

あっけらかんと物事を考える(^^)
これは、私の得意技です☆
え〜〜(@@)!!なんか、結構深く考える方じゃないの???
って、よく言われます(笑)が、ものすごく考える割に...
楽天的なんです(^^)v

あっさりしすぎ?というか、結論を出すのが早い?というのか...

あまり、くよくよと考えていると
躊躇したり、疑問が湧いて来て、行動に支障が出るので、考え過ぎはあまり良くありません。

↑...ということを、経験上学んだので(笑)
あとは、生まれつき(?!)
楽天的性質☆(親より譲り受けたと思われます)

はい(^^)v

小さい頃から
仲間を選びましょう!
良き友人と交わりましょう!
と、言われてきました!
きっと、多くの方がそうだと思います(^^)

良き友って?!
いい仲間って?!

当然、
自分を高めていける、志の高い「同士」のような存在のことです☆

それら仲間と集うところに、
悲壮感や否定観念は存在しません!

辺りを見回すと...周りには
う〜ん
やっぱり、皆さん、楽天的な性格と思わしき人が、断然多い!!
泣いたカラスがもう笑った!...とは、わかりやすい例えですが、
明るい笑顔に、底知れぬ意思の強さ!
バランス感覚と、協調性!
抜群の行動力に、常識的な分別を兼ね備えて...☆
本当に素敵な方々が多いです♪

改めて
こうしてみると、素晴らしいご縁の輪が広がっているではないですか☆

何はともあれ
今日から五月☆

日々、年頭の計画とは、全く別の動きが多く...(^^;)
スケジュールがあってないような進み具合で、もうあとひと月で、今年の半分を迎えます。
こんな動きでは、スケジュールの立てようが無いな...と、思う反面、
ぐるぐる動くその変動ぶりにも、ちょっと興味もあったりして(笑)
とりあえず、周りと話し合いを繰り返しつつ...
自身としての計画を一応立ててみながら、様子をうかがう有様。

ここのアトリエのイベントも、季節の移り変わりとともにひとつひとつ...

多くの方々との新しい出会いが、また、自身の興味の枠を広げてくれます♪

人とのふれあいの中で、自分の引き出しが徐々に増えていき
思考の奥行きも広がっていくのは、とても有り難いことで、
1年の終わりに、それを振り返っては
去年の自分との価値観の違いに驚いたり、感動したり...

いよいよ
変化の環境にも慣れ始め
具体的な動きがはじまるシーズン☆

これから、私自身もどんな風に成長出来るか、わくわく☆
楽しみです!

未知なるものへの、不安、恐怖は、
人並みに、ある程度感じますが...
えてして、この「楽天家」と思わしき性格に、
自分自身で、自分の背中をぐっと押されながら
いつも前へ前へと、進んで行けることに感謝して(^^)

いつも、つたない文章におつきあいくださいまして
ありがとうございます。
明日から5日まで、研修のためブログはお休み致します!

良い連休をお過ごしください

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガの宝 それは智慧への発現☆

ヨーガは神への道と呼ばれます。
では、神とはなんでしょうか?
神とは、最高の智慧を有するものであると言えます。
では、智慧とは何でしょうか?!
智慧とは、現象に対して、正確にそれを捉える力といえます。
では、どのような実践を行えば、智慧を培うことが出来るのでしょうか?
例えば、
低俗な雑誌、漫画等を読むことは、
自己の精神レベルを劣化させるので、それを読まない。
例えば、
異性を見てすぐに、性欲が出るような意識は、動物と何ら変わらないので、
そのような意識を恥じる
等...
私達の心や、言葉、行為がどのような結果をもたらすのかを、
常に考えて、それらを慎重に為すなら、
瞬間、瞬間、私達の智慧は増大するのです。
そして、
ヨーガで説かれる真理を学び、考え、自分の性格や傾向をチェックしたり、
周りの人々の人生をチェックする、等々を培うことによって
何が本質で、何が自分達を不幸にするのかということを含めて、
全てが理解出来るようになるのです。
そして、
この自分、自分の周りの他人から、小さな社会、そして大きな社会
国家、更には、地球と...どんどん思考を広げていくうちに
全ての現象が、ありありと理解でき、
智慧というものが現れてくるのです。
これが、智慧の本質なのです。
ここで、大切なのは、今まで生きてきた価値観で現象を観察しても
決して、智慧は発現されることはありません。
なぜなら、人間は、何を為せば自己を苦しめ、
何を為せば、自己を幸福にするか、
全く見えない状態であると言えるからです。
もし、そうでなければ、
自分の人生も振り返って、
他人の人生も振り返って、
あるいは、社会、世界を観察してみて
これほど、多くの苦しみを味わう必要な無かったはずです。
あくまでも
真理を学び、真理によってのみの現象観察だけが、
智慧を発現させてくれるのです。
(※お薦め本...「あるヨギの自叙伝」「人間の永遠の探求」パラマハンサ.ヨガナンダ著 森北出版       「聖なる科学」 スワミ.スリ.ユクテスワ著 森北出版 )
         
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by atelier-kuh | 2010-05-01 17:27
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atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


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