今日は夏日☆
朝からじんわりと空気は暑く...うん、気温上がりそう!!
予報通りの夏日となりました!
こんなに暑い日でも、お天気がいいと人通りは賑やかですね☆
ご年配の方も、たくさんの方が杖をつきながら歩く姿を
あちこちで見かけました。
お元気な証拠
元気に自分の足で歩く事が出来るのは
素晴らしいことです☆
ギラギラと
音がしそうなくらい強く照りつける日差しは
まさに
夏!!
という感じで...
あ〜暑さに頭がくらくらしそう...
と、ぼ〜〜っとしてしまいました。
気絶??!!
は、しませんでしたが...
むか〜しむかし
こんなギラギラの太陽照りつける夏の最中...
たくさんのご老人に交じって
内科の待合室にうつむいて座っていた自分がいたことを思い出しました。
前日は徹夜
食事はいつ摂ったのだろう?
朝、お水くらい飲んで来たら良かった...
朦朧とした意識の中、そんなことを思っていたら...
案の定
気が遠くなって、気づいた時には
病院のベッドの中
たくさんの看護婦さんが、私を着替えさせたり、点滴の準備をしたり...
お名前は?
って@@私、診察も受けていないのになぜ?!ベッドに!!
と、思ったのもつかの間...
そのまま声も出せず、ぐったりと横になっていつの間にか、寝てしまい...
あれは、夢??
な〜んて
たまに思います。
その後、いつまで入院して、一体なんの病気?だったのか?(入院の理由)
そして、いつ退院したんだろ?!
お見舞いに来てくれた人は何人かいて
まともにお話もしたのだろうか...?
あまりに遠い想い出で...
思い出す部分もとぎれとぎれ。
今日のような
暑い日だった事は良く覚えているのに...
あれから何年経ったのかな?
毎年、夏は来るけれど
この出来事を思い出すのは...
極々、まれ。
昔は、夏が嫌いでしたが
今は
好きな季節☆
人の心は変わるものです。
そして
人も
変わるのです。
本格的な夏を前に
さて
健康管理はもちろんのこと
明日
果てるとも解らない
自分の命に向き合って
大切に生きていこう
何が本当で
何が本当じゃないのか...
真実を知って生きていく人生と
知らずに死んでいく人生と
人はそれぞれ
何かしらの
目的を持って
この世に生まれて来ているのだから...
今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとラーマクリシュナ☆
インドでは、ヒンドゥー教、仏教問わず、数々の聖者が誕生してきました。
その中で、傑出した3人をインド三大聖者と呼び、
お釈迦様、シャンカラ、そして近代(1836年〜1886年)の大聖者ラーマ.クリシュナ.パラマハンサが有名です。
このラーマクリシュナは、
お釈迦様同様、まれに見る大聖者で、ヨーガでいうところの
サマディにたちどころに入る事が出来ました。
ある記録では、半年もの間、サマディに入っていたと記されている文献もあるほどです。
ラーマクリシュナは、
いつも神と共にあり、神と絶えず話す事が出来ました。
ラーマの口からは、神と真理しか出てきませんでした。
そして、一度会えば、誰もが虜になってしまうような、不思議な魅力に溢れていたのです。
神を求める多くの人達、ヨーギー、知識人から若者まで
多くの人が彼の周りに集まり、彼の言葉に耳を傾けたのです。
ラーマは世俗の人達の事を、このように述べています。
「信心深い人を見て、こういう連中がいるね、
朝から晩まで、神様の話をして、ま、あれは一種の気狂いだね、頭がどうかしているんだ。
そこへいくと我々は利口だよ、楽しみがうんとあるからね。金、名誉、それにうまいものを食べたり、女を抱いたり...
世俗の人達は、せいぜいこんなものなんだ。
神様が好きになると、この世への執着や、俗っぽい感覚からすっかり抜け出せるようになるよ」
と、このような話をされました。
ヨーガの道では、真我に至る道筋に、アーサナや呼吸法等を使って階段を駆け上る道もあれば、
バクティと呼ばれる、神に恋いこがれ、献身する道もあるのです。
もちろん、どちらも素晴らしい果報を与えてくれるのですが、
現代で、神などに対する信仰、等と言ったら、失笑や軽蔑を受けるかもしれません。
しかし、もしそうであるならば、
欲望を満足させる人、欲にまみえた人の方が、価値があることになってしまいます。
チベット密教では、人間だけではなく、
全ての生き物の幸福を願うという素晴らしい宗教理念があります。
また、
ラーマも、欲望ではなく、崇高な魂になる道が真の魂の道であると、説きました。
お釈迦様の時代は、2500年前、
ラーマが生きた時代も、もう150年くらい前です。
しかし、これだけ物質文明が発達しても、
私達の身体までもが、ロボット化したわけではありません。
今も、何千年前も、
変わらず、私達は生身の身体と精神で成り立っている生き物であるのです。
人間として、生まれ、
欲望にまみえるのと、崇高な意識を求める道と一体どちらが真実なのでしょうか?
答えは
皆さんのハートの中にあるはずです
朝からじんわりと空気は暑く...うん、気温上がりそう!!
予報通りの夏日となりました!
こんなに暑い日でも、お天気がいいと人通りは賑やかですね☆
ご年配の方も、たくさんの方が杖をつきながら歩く姿を
あちこちで見かけました。
お元気な証拠
元気に自分の足で歩く事が出来るのは
素晴らしいことです☆
ギラギラと
音がしそうなくらい強く照りつける日差しは
まさに
夏!!
という感じで...
あ〜暑さに頭がくらくらしそう...
と、ぼ〜〜っとしてしまいました。
気絶??!!
は、しませんでしたが...
むか〜しむかし
こんなギラギラの太陽照りつける夏の最中...
たくさんのご老人に交じって
内科の待合室にうつむいて座っていた自分がいたことを思い出しました。
前日は徹夜
食事はいつ摂ったのだろう?
朝、お水くらい飲んで来たら良かった...
朦朧とした意識の中、そんなことを思っていたら...
案の定
気が遠くなって、気づいた時には
病院のベッドの中
たくさんの看護婦さんが、私を着替えさせたり、点滴の準備をしたり...
お名前は?
って@@私、診察も受けていないのになぜ?!ベッドに!!
と、思ったのもつかの間...
そのまま声も出せず、ぐったりと横になっていつの間にか、寝てしまい...
あれは、夢??
な〜んて
たまに思います。
その後、いつまで入院して、一体なんの病気?だったのか?(入院の理由)
そして、いつ退院したんだろ?!
お見舞いに来てくれた人は何人かいて
まともにお話もしたのだろうか...?
あまりに遠い想い出で...
思い出す部分もとぎれとぎれ。
今日のような
暑い日だった事は良く覚えているのに...
あれから何年経ったのかな?
毎年、夏は来るけれど
この出来事を思い出すのは...
極々、まれ。
昔は、夏が嫌いでしたが
今は
好きな季節☆
人の心は変わるものです。
そして
人も
変わるのです。
本格的な夏を前に
さて
健康管理はもちろんのこと
明日
果てるとも解らない
自分の命に向き合って
大切に生きていこう
何が本当で
何が本当じゃないのか...
真実を知って生きていく人生と
知らずに死んでいく人生と
人はそれぞれ
何かしらの
目的を持って
この世に生まれて来ているのだから...
今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガとラーマクリシュナ☆
インドでは、ヒンドゥー教、仏教問わず、数々の聖者が誕生してきました。
その中で、傑出した3人をインド三大聖者と呼び、
お釈迦様、シャンカラ、そして近代(1836年〜1886年)の大聖者ラーマ.クリシュナ.パラマハンサが有名です。
このラーマクリシュナは、
お釈迦様同様、まれに見る大聖者で、ヨーガでいうところの
サマディにたちどころに入る事が出来ました。
ある記録では、半年もの間、サマディに入っていたと記されている文献もあるほどです。
ラーマクリシュナは、
いつも神と共にあり、神と絶えず話す事が出来ました。
ラーマの口からは、神と真理しか出てきませんでした。
そして、一度会えば、誰もが虜になってしまうような、不思議な魅力に溢れていたのです。
神を求める多くの人達、ヨーギー、知識人から若者まで
多くの人が彼の周りに集まり、彼の言葉に耳を傾けたのです。
ラーマは世俗の人達の事を、このように述べています。
「信心深い人を見て、こういう連中がいるね、
朝から晩まで、神様の話をして、ま、あれは一種の気狂いだね、頭がどうかしているんだ。
そこへいくと我々は利口だよ、楽しみがうんとあるからね。金、名誉、それにうまいものを食べたり、女を抱いたり...
世俗の人達は、せいぜいこんなものなんだ。
神様が好きになると、この世への執着や、俗っぽい感覚からすっかり抜け出せるようになるよ」
と、このような話をされました。
ヨーガの道では、真我に至る道筋に、アーサナや呼吸法等を使って階段を駆け上る道もあれば、
バクティと呼ばれる、神に恋いこがれ、献身する道もあるのです。
もちろん、どちらも素晴らしい果報を与えてくれるのですが、
現代で、神などに対する信仰、等と言ったら、失笑や軽蔑を受けるかもしれません。
しかし、もしそうであるならば、
欲望を満足させる人、欲にまみえた人の方が、価値があることになってしまいます。
チベット密教では、人間だけではなく、
全ての生き物の幸福を願うという素晴らしい宗教理念があります。
また、
ラーマも、欲望ではなく、崇高な魂になる道が真の魂の道であると、説きました。
お釈迦様の時代は、2500年前、
ラーマが生きた時代も、もう150年くらい前です。
しかし、これだけ物質文明が発達しても、
私達の身体までもが、ロボット化したわけではありません。
今も、何千年前も、
変わらず、私達は生身の身体と精神で成り立っている生き物であるのです。
人間として、生まれ、
欲望にまみえるのと、崇高な意識を求める道と一体どちらが真実なのでしょうか?
答えは
皆さんのハートの中にあるはずです
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by atelier-kuh
| 2010-06-26 21:36