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食欲

最近、食欲がありません☆...と言っても、病気じゃありませんよ(^^)

「食べたい!!」
という、欲求がわかないのです。
(少量の食事は摂りますけどね...^^)
これを、いったいどう捉えるか?!
「(@@)やっぱり、それは病気じゃないの??」
なんて、心配してくれる親切な友人もおりますが...。
「食べる楽しみが無くなったら、何の為に生きてるのかわからないじゃない!!(o><)o」
と、怒られたり?!
「...何か、悩み事でもあるの???(T T)」
と、親身になって相談に乗る姿勢を示してくれる、優しい人もいて。

有り難い☆

でも、世の尺度はそれだけ、
「食べる」ということが、当たり前!食べなければ、異常事態☆
健康な人は、もりもり食べるのが当然!!
...なのであります。

昨日
インドにて、飲まず食わずで何十年も暮らしているという人が発見されたと
報道されていました。
ご覧になった方もいるかと思います(^^)
そして、何やら...
本当に何も食べずに、生きていられるのか??
ということを、実験検証されている模様で(笑)
本人からしたら、滑稽でしょうけど...
そういうの、やっぱり確かめてみたいんでしょうね☆

過去に
体を壊した経験から、健康おたく(?)と、呼ばれるほど健康と医学に関する
庶民的な知識から、ほんの少しの専門知識まで(医療機関に勤務していたことから)
時間のある時に、書物などで浅く広く目を通した時期がありました。
結果
東洋医学といわれる、いわゆる予防医学(中医学)の分野に至り
インドのアーユルベーダなども含む
人間が生まれながらに持つ
免疫力、自然治癒力の偉大さに心が惹かれていきました。
(今でも、学習中です)
それらの世界は、大変奥が深く、ちょっとやそっとの学習では完全にマスターすることなど
到底、出来ないものなのですが。
そもそも
西洋医学(こちらも良い面はたくさんあります)の限界を感じずにはおれない状況を
まじまじと感じた事から、こちらの方面に引き寄せられたというのが、
正直なところかもしれません。

食べ盛りの子供にはいっぱい食べろ!と親は言います。
自身もそのようにして、大きくなってきました。
実際、食物自体、生き物の成長にはある程度必要だ、というのは事実だと思います。
ですが
食べ過ぎ...についてはどうでしょう??
豊かな世の中で、有り余る食物、飽和状態の人々の胃袋...。
つねに、何かを口にしている、胃の中に何かが入っているって人、周りにいらっしゃいませんか?

食べる、ということは、その消化にエネルギーを消耗します。
ですから、お腹にたくさんものが入ると、体中のエネルギーは胃(腹部)へと集まって
一生懸命、消化作業に取りかかります。
そのとき、当然のことながら
他の部分(例えば脳など)へ行くべきエネルギーも、胃に集中することになります。
そうなると、食後に眠くなるというのは、理にかなっていますよね☆
体調が優れない時に食欲がおちるのも、
体の免疫力が働いて、総勢で体外から侵入した異物(体調不良の原因など)と、
懸命に戦うわけですから、食べない方が体の負担は軽くなるわけです。
(食べると、そちらにエネルギーが取られるので、戦いには不利になります。)
無理に食べようとせず、体を休ませるのが良いわけですが...

一般的に、これは通常、
健康に異常がない人の場合には、私ほどの素人でも、堂々と唱える事が出来るのですが...
今の世の中、
肉体だけではなく、精神にも病を抱えている人や
また、そのことに気がついていない人
それに加えて、潜在的、慢性的に様々な症状を抱えている人も多いので
必ずしも、これは絶対です!
これが正しい見解です!!
なんて、言い張れません(^^;)
(まして、お医者さんでもありませんしね...)

というわけで☆
肉体の異常を感じたら、まず信頼のおけるかかりつけのお医者さんに
相談されるのが、一番良いのかな〜☆
と、一般的なコメントを付け加えておきます。
もし、
私は、身も心も健康そのもの!!なんの心配もない!!さらにさらに健康に磨きをかけたい!!
な〜んて方は...
思い出した時にでも、試してみてください☆
1日3食食べなくても元気☆
2食くらいが心地いい☆
プチ断食で頭がすっきり☆
こんな感じで、意識がチェンジして来たら、しめしめ(^^)
もちろん
すぐに成果を期待せずに、じっくりと取り組んで、効果を実感してみてください。
そのうち
体が喜ぶ状態
に、気がつく時が来るでしょう☆
まずは、無理せずこつこつ...

今日のワンポイントヨガ
☆よい人間関係を築くには?!☆

家族、恋人、友人、同僚、さらには会社の上司や後輩。
言うまでもなく、私達の人生は人と人との繋がりで成り立っています。
そして、ほとんどの誰もが、この大切な人間関係で悩みを持ち合わせてきました。

どうやったら、うまくおつきあい出来るの?
会社の先輩や、後輩と、うまくいかないんです...
このようなとき、最良の実践があるのです!
それは、まず
他とうまくやっていこう、という心を捨てなければなりません!
そうではなく、
他に対する慈愛の心、すなわち
他が精神的に成長したり、他が豊かになって欲しいという心を抱く。
対象が苦しんだり、つらい境遇になっている時、一緒に悲しむ、またはそれを取り除いてあげたいと考える。
そして、
対象のどんな小さなところでも、長所をみつけたら称賛する。
あるいは、見習う。
そして、これらを実践しても、対象とすぐにうまくいかなかったとしても、
淡々と頓着せずに、前述の3つの実践をし続ける。
この4つの実践をすることによって、
いかなる場合も、皆さんの人間関係は最良のものとなっていくでしょう。
つまり、
小手先のテクニックで、人間関係を築く事は出来ず、
他に対する愛の心、哀れみの心、他を褒め称える心、だけが、
真の人間関係を築く事が出来るのです。
そして、それだけではなく、
この実践は、皆さんの精神を輝かせ
多くの人達の敬愛の的となるのです。
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# by atelier-kuh | 2010-05-13 11:17

散歩にて

昨日、久しぶりにお散歩をしました☆
お天気は、晴れのち曇り。
風が強くて、肌寒い...

お散歩日和...とはほど遠い、春を感じるにも寒すぎる(^^;)
そんな天候だったにも関わらず...
自転車で移動し、移動先から
てくてくお散歩☆

道行く皆さんは、
やはり寒そうに体を縮めて、帽子を押さえたり、コートの襟を立てたり...

中には、寒さとは無関係に
短いスカートに、ハイソックス(^^)
という、学生さんもいましたが、
ほとんどの方は、春の装いとはちょっと外れた、暖かめの服装。

歩く足取りも早く、急ぎ足。

道路に面して、突き出したお店の屋根は、がたがたと風で音が鳴り...
道ばたには、どこから飛んで来たのか、スーパーのビニール袋が舞い上がって...

ふと、
なんで、こんな寒い日にお散歩しているのかしら?私...

そんな疑問がわいて来て(^^;)

帰ろうかな?...と思ったところで
小さなパン屋さんを発見しました☆

看板には何やら
「春限定の材料でつくったオリジナルパン」(?だったかな???)
のような、文字が書いてあり
興味をそそられたので、中に入ってみました。
...???
どれだろう?
春限定のパン?!(@@)キョロキョロ
あった☆
春のパン→春のトマト
(- -)
ん〜、なんか期待していたのと違うな...

春限定という文字につられて、
勝手に、山菜とか、春タマネギとか...そういう材料のパンを期待して
想像していたのですが...(^^;)>

春のトマトね☆

最近は、スーパーに行けば年中、欲しい野菜、果物などが手に入り
どれが季節限定品、いわゆる「旬」のものなのか?!というのが、
非常にわかりにくくなっていますね。
(主婦感覚目線のお話ですみません ^^;)

これは、有り難い事でもあり...
逆に
そうとも言い切れないようなことでもあり...

有り難いことという点から言えば、
いつでも食べたい物が、お金を払えば手に入るのは
単純に考えて、大変便利で豊かなことと、考える事が出来るでしょう。
ではその逆、
そうとも言い切れない...と、なんとも奥歯にものが挟まったような
遠回しな表現で恐縮ですが(笑)(便利が良し、といわれる世の中ですので)
旬を知るということは、
自分の体のリズムを知る事にも、また更に言えば、
命の尊さを考える意識にも繋がると、
私は考えているからなのです。

旬の食べ物については、多くの料理の専門家の方と
肩を並べてお話しするつもりはありません。
ですが、
その時期、その時期に
その土地で採れるもの
野菜にしても、お魚にしても...☆
大自然からの恵みによって、生業を立てている私達にとって、
その、大いなるバランスと秩序によって、もたらされている恵みに、
その恩恵に授かっているのだということを、
旬のものとの出会いによって、改めて
知る機会を得るということは、
非常に大切なことのように感じるのです。

人工的に光を当てれば、出来る野菜
人工的に餌を与えれば、育つ生き物

人間が、今までも、そしてこれからも、
食べていかなければ生きてはいけない生き物である以上、
技術的な向上によって
食物を大量に栽培、飼育する事が可能である事は
それはそれで
大変に有り難く、人間の知恵の素晴らしさを感じずにはおれません。
が、
それと同時に
それとは違う視点で
「生命力」という観点からも、
やはり、
自然の厳しさのさなかで育ち、命を育んだものたちへの畏敬の念☆
そして、
その命を、命の為に頂くという行為☆

食物から
そのような、概念を抱く事の重要さ
特に、小さな子供達にも知って欲しい、命の尊さ☆

何気ない散歩の行き先で、
私の意識は、思いがけない
大いなる旅をして来た感☆が...(^^;)
(よくある事ですが... 笑)

もう少し
暖かくなったら、ちょっと遠くへも足を伸ばしてみよう☆
部屋の中にいては始まらない、新たな思考の展開に期待して...

今日のワンポイントヨガ
☆瞑想とは何か!?☆

ヨーガに詳しい人なら、ヨーガは体操的な動きだけではなく、
瞑想するということも、ご存知だと思います。
禅宗などもひたすら座って、瞑想をする流派ですが、
一体瞑想とは、どのような目的があるのでしょうか?
ヨーガの正しい流派では、
いきなり瞑想することはありません。
まず、
戒律を守り(十の戒め)
功徳を積んでいきます。(善行を行う)
そして、ヨーガ的な教えを行じ、欲望を制御し
呼吸をコントロール出来るようになった段階で、
やっと、瞑想に入っていくのです。
これは、仏教や、チベット密教も同じで
戒を守り、功徳や善の実践、
あるいは、心を清めたのちにやっと、瞑想に入っていきます。
瞑想は、自分の内側の奥深くに入っていく実践です。
功徳がない状態(悪業優位)
欲望をある程度、統御していない状態で、瞑想して内側に入っていけば
見る世界は悲惨です。
禅宗は、功徳を積むプロセスがないので、
どれだけ内側に入っていっても、
無(暗闇)しかありません。
ゆえに、禅宗の人は、悟りの境地を
無と表現するのです。
しかし、功徳にあふれ、精神が清まった状態で経験する内側の世界は、
光にあふれた世界なのです。
無の世界とは、全く次元が違います。
皆さんがもし、
瞑想をしたいと思ったならば、
まず、準備段階として、徹底的に功徳を積む実践(他に喜びを与えるなど、善行を行う)
から、入っていかなければなりません。
そうでなければ、巷の霊能者のように幽霊をみた、とか
暗闇のみ、真っ暗な世界しか見えないという、悲惨な瞑想になってしまうのです。
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# by atelier-kuh | 2010-05-12 13:01

写真

趣味で、写真を撮ります☆
一体どのような、写真を撮るかと言いますと...
完全な素人写真です(笑)
(^^)
きちんと勉強した事もなく、持っているカメラの機能も
多分...
基本的なこと以外は、使いこなせていないと思います...(^^;)残念!!

もちろん、コンテスト等に出展したこともありませんし
人様に見せられるような代物とも、思っていません(笑)
完全に趣味の世界です(笑)
...
でも
撮るのは、面白い☆

額にでも入れて飾ってあげたら、撮られた写真も浮かばれる?!
いえいえ、そんなこと、したこともない(^^;)

「じゃあ〜何の為に撮っているの!?」
という、声が聞こえてきそうです。

ホントに...(笑)

あとで
見て喜んでいるだけなんです...

北海道は、四季がはっきりとしておりますので
被写体には困る事は、ありません。

季節によって、いえいえ、月ごとに(もっと細かく言えば、日々...ですが)
くるくると変わる自然の景色は
あまりにも美しく...

自分は、大して巧く撮れないので...
お上手な方の作品を観るのも、とても楽しいものです♪

「天才」などという言葉を超えた、
自然の造形物の美しさは
人の手を加えたものでは、到底及びもしない
その存在の、随所から溢れ出る光を
途切れる事なく、放ち続けて
見るものの目を釘付けにする

一瞬でいいから
この手に収めておきたい...
何かに残しておきたい...
時が経っても、また再び
この目で見たい...

そんな、ささやかな欲望にかられ

賛美の気持ちが溢れ出る時、
私は、写真を撮らずにはおれない気持ちになるのです。

この時代
こんな便利なもの(カメラ)があるのだから、利用しない手はない!
と、ばかりに...(^^)

また逆に、
ただ黙って
レンズという、フィルターを通さずに
自分の瞳を通して映る、
奇跡的とも言える
この
美しい輝きに浸っていたい☆
という、時もあり...

もちろん、そんな時は
どんなシャッターチャンスであろうと、カメラを構える事はありません。
ですので、
(^^;)...どう考えても、技術はもとより
プロには向いていないタイプですね(笑)

今は
美しく可憐な、ピンク色の梅と桜がピークです。
濃い紫のツツジの花や
まっしろな木蓮(きたこぶしとも言います)
そろそろ
気品ある、藤棚も見事な季節を迎えるでしょう☆

太陽に向かって行儀よく、花を咲かせる水仙やチューリップ
緑の芝生によく映える、グラジオラスやパンジー
青空と、噴水の水しぶき
駆け回る、子供達の無邪気な笑顔
高らかに響く、笑い声...

爽やかな風と
のどかな風景

平和であるということの
尊さを
感じずにはいられない

写真に収められた人生の(それぞれの生の)
一瞬の輝き

それはまさに

輝く為に生まれて来たのだという事を
私達に
あらためて
教えてくれる

大いなる存在からの
メッセージのような気がして
ならないのです

今日のワンポイントヨガ
☆カルマからみる苦楽☆

人は、誰かに嫌な事をされたとき、他人を責めてしまいます。
つまり、
カルマというものがないと仮定しましたら、
嫌な出来事は、全て他人が与えたものであり
責めるべき、憎むべきは、他人なり
と、なるわけです。
ですが、
これを肯定するなら、他に苦しみや不快を与えられた時は
より、一層他人を憎んだり、恨んだり、嫌悪することで
さらなる悪因を生じさせてしまいます。
(まさに悪の循環ですね)
そして
憎しみや、嫌悪の念を抱くとき、その人は幸福を感じるでしょうか?
その人にとって、そのような感情を持つ事自体、苦しみです。
もし、
全ては自己のカルマから生起していると、考える事ができるなら、
他を責める事はありません。
ヨーガでは、
良い事も、悪い事も、全ては自己のカルマから生じたものである。
他を一切、責めるべからず。
という、教えが説かれています。
それだけではなく、自分にとって
何か悪い事、嫌悪するような出来事があった場合、
過去に為した悪果が落ちたと、むしろ喜ぶべきだと。
カルマの理解がない人の人生は、
悪い事、嫌な事が起きるたびに
他を責め続け、より一層、苦しみは増大していきます。
逆に、
カルマの理解がある人の人生は、
悪い事が起きるたびに、
他を責めたりせず、
自分の悪業が落ちたと喜び、
また、自分の人生を振り返っては、悪しき部分を反省し、正すことが出来るのです。
どちらの方が、利益ある考え方でしょうか?
カルマを信じる事が出来る人は
幸いです。
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# by atelier-kuh | 2010-05-11 11:16

純化

純化

私としては、あまり聞き慣れない言葉でした☆
よく使われる方は、使うのかもしれませんが...!?
こんな言葉があるのね☆
と、最近知ったのです(^^)

純化...まじりけをなくすこと。純粋なものにすること。「精神の純化」 複雑なものを単純にすること。(広辞苑より)

ちゃんと、辞書にも載っていました。
う〜ん
まだまだ、知らない言葉がたくさんある...(^^;)

この意味の中で、あ〜なるほど!と感じたのが、「」の中に例として載っていた
精神の純化
ヨーガ教室の中でも、そんな感じの事をお話しされていたな...
行いを純化する
という、内容だったかな?

邪念、邪心を取り除き
すべての身の行いを、純化するように心がける
要するに、行いと共にその精神も、純化しましょう!
という、教えですね☆

これを聞いて...
純化する、あまり聞き慣れない言葉だけど(. .)
とってもピュアで...
まるで
泥の混じった汚水を、
コップに入れて、しばらく静かに放置しておくと
泥や汚れはコップの底に沈殿し、
上澄みは綺麗で透明な水となり...
という、様子を思い浮かべました。
上澄みの水の、澄んだ透明感は、
最初の汚水の状態からは、想像もできないくらい
キラキラと輝いて☆

...

人の心も
そのように、純化することができるのだろうか?

欲望や
邪心などによって
淀んでしまった、心の状態が
もし、
この水のように
純化することが出来るとしたら...

そうなるためには、
何かを加えるのでもなく
騒がしく、忙しく動かすのでもなく
ただ
静かに、心を鎮め
純化する
(行いや精神を清める)

今、
自分が行っている事を
今一度、振り返り
...これは「エゴ」によって行っているのか?
...ただ、その時だけ楽しければ良いと、欲望にのみ、かられた行為ではないか?!
...これは、他に喜びを与える行為なのか?
...人が幸福になることに繋がる行いだろうか?
と、いちいち(笑)考えることが
純化する上で、大切なことと言えるわけですね...(^^)

福徳であれ
清浄であれ

今昔の偉人の戒めは
人の心の奥底に
深く
深く
沁み入る言葉の重みを
感じます

今日のワンポイントヨガ
☆みなさんは、良き友ですか?☆

人生において、家族だけではなく、
友人との親交は欠かせないものですね!
でも、その友人も必ずしも良い友ばかりとは限りません!?
悪友という言葉もある通り、そのような友も存在します。
ヨーガでも、良き友とだけ交わりなさいという教えがあります。
これは、お釈迦様の仏典でも同じような事が書かれており、
徳高きもの、真理を行じるものと交わりなさいと
記されています。
では、ヨーガの見地からみた良き友とは
どういう人なのでしょうか?
それは、その人とお付き合いをすることで
精神が豊かになる、悪業を為さなくなる
悪い誘いをなさず、その人と一緒にいることで
良い心、良き言葉、良い行いが増大する人

逆に、悪しき友とは...
その人といるだけで、欲望が増大し、
悪しき心、悪しき言葉、悪しき行いが増大したり、
誘発されたりする人

もし、
みなさんが良き友を大切にするなら、この世でも
たいへん幸福になるでしょう。
もし、
みなさんが悪しき友を大切にするなら、この世でも
来世でも、残念ながら幸福になることは間違いなく
ありません。
そして、皆さん自身も、良き友でなくてはなりません。
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# by atelier-kuh | 2010-05-10 11:12

成長すること

成長...育って大きくなる事。育って成熟する事。(広辞苑より)

子供の成長は、早いものです!
私もかつては、子供でした(当たり前ですね! ^^;)
それが、時を経て...
1年1年の長さは、同じなのに
年を重ねると、その早さがどんどん、スピードアップしているように感じるのは
私だけでしょうか???

小さな、小さな子供だった私は
時とともに大きくなり、成長し、
大人になり...
母が無くては、生きていくことさえできなかった赤子が、
数十年後、母の日に花束をプレゼント☆
(今日、世の中は母の日です ^^)

時の経つのは早いもので
子供の頃の思い出は、ついこの間の事のように
鮮明に思い出されるのに...
その風景は、今はもう、どこにも存在しない

成長し
成熟する

私はよく、植物を観察しては、それを感じます。

小さな種が、土の中から芽を出し、
日の光と栄養と、水...
必要なものを吸収しながら、成長し、
花を咲かせるものは、咲かせ...
実を付けるものは、実を付け...
やがて、枯れていく
葉が全て落ちても、
翌年にまた、芽を出すものもあれば、
ひとまわりもふたまわりも大きくなって
命を繋いでいくものもある

命のサイクルは
不可思議で
理路整然と
そして
ただ、ひたすら

人もこのように
ただ、
ひたすらに成長する事が出来れば良いのに...

肉体だけが、成長し
大人と変わらない見た目にはなったとしても...
その、内面は???

どこかに何かをお忘れではないですか?

そう、感じてしまうような
内面の成長に、重きをおくこともなく
魂の成熟などには、興味も無い
そのような方々に出会う事も、実際に多々あり、
その度に、我を振り返っては
反面教師とさせてもらおう...(> <)と、肝に命じてはいるのですが。
果たして...
自身の成長などというものは、一体...どれほどのものなのか?!
ほんの数ミリ???なのではないかと、思う事もしばしば...

デジタル化が進む昨今、
このような、個人の成長指数のようなものが
デジタル表示されれば...(^^;)
わかりやすいのにな☆

それでも
ちょっとずつ
あ、ついこの間まで、こんなことがあったらものすごく怒ったり、
ショックで落ち込んだり、
悲しみに暮れて、なかなか立ち直れなかったりしていたけれど...
最近は
無い☆
と、(@@)♪気づけた時、
なんとなく、そのような実感が湧いて来た時、

「成長したかな?」
「進歩したのかな?」

心の成熟

自身のイメージでは、
とてつもなく、「大人」な感じがするのですが、
そうなるまでにも、日々
ちいさな子供が成長する過程と同じように
段階をひとつひとつ、踏まえながら
着実な一歩を積み重ねていくのが、
一番の近道☆

ゆっくりと
急ぎ足で...

矛盾しているようですが、
人に寿命が存在する以上、ゆっくりと急ぎ足で...
こんな意識で、人としての年輪を培っていく事を、
これからも心がけたいなと
思うのです☆

今日のワンポイントヨガ
☆人間と動物の違い☆

人間と動物は何が違うのでしょう!?
そんなこと、聞くまでもないじゃないか!という声も聞こえてくるかもしれませんが、
改めて、皆さんと考えてみましょう!
動物を観察しますと、
本能だけで生きていますね。
食べたい時に食べ、寝たい時に寝る。
発情したら、所構わず、相手構わず交尾をし、
物事を考えない。いえ、考える智力を持たない。
もし、
私達が、物事を考えず、本能のままに生きるなら
それは動物と何ら変わらない、ということを理解しなければなりません。
いくら見た目が、人間の身体を有していても、
意識が動物と一緒なら、来世は動物の世界に至ると言えるのです。

もちろん、
動物と変わらない智性、能力なのですから、
人間の世界でも、出世、成功、幸せな人生とは無縁となってしまいます。
では、そうならないためにはどうしたらいいのでしょう?
人間、もしくは、人間を超えた智性を持つ為には
どうしたらいいのでしょうか?
それは、
生きている目的を、はっきりとさせることです。
動物は、自分がどのような生き物であるかさえ、わからず、
本能だけで生きているため、もちろん、目的など持ち合わせてはいません。
私達も、無目的で生きるならば、
それは、動物となんら変わらない...
人間として生きる為には、目的を持つ事が大変重要なのです。
そして、この世での役割をしっかりとこなしながら、
来世というものも見据え、
来世というものがあるんだ、
人間より高い世界があるんだと、
来世は、そこへ生まれ変われるようになろうと
人生を超えた高い目標をも持ち、
功徳を積む実践、
他の幸福、他の利益を優先させる実践、
四無量心の実践を行うならば、
最高の目的をもつことなるのです。
来世なんて、あり得ない...
そんなこと、考えたってわからない...
物事を曖昧に、そして妥協を良しとするならば
来世は動物の世界へと、逆戻りしてしまうのです。
智慧ある魂は、
諸現象を観察し、
真理を理解し、そして、すべてをカルマによって解析し、
人間の世界でも幸福になり、そして来世をも自らの努力によって
確定していくのです。
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# by atelier-kuh | 2010-05-09 14:25
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atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


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