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理屈

理屈...物事のすじみち。道理。ことわり。こじつけの理由。現実を無視した条理、またそれを言い張る事(広辞苑より)

理屈で説明出来る事って、そんなに大事なことなのでしょうか?

直感勝負(笑)で、生きている私にとっては、理屈はあまり重要ではありません(^^;)
世の中の理屈好きさん、すみません(笑)

時として、この「理屈」が邪魔して、
真実が見えなくなってしまったり、より複雑化して、物事を進めて行くのに支障が出たり...

理屈
どちらかというと、厄介な感じがします...

でも、世の中には
物事の事象を全て、理屈で解釈したがる人は大変多く、
何に関しても、証拠が欲しい。
目に見える実証が欲しいと、視覚に訴えるものに、絶対の確証を抱きがちです。

本当に
真実は目で見えるものとして、確認する事が必要なのでしょうか?!
そうして確認出来たものは、真実だと確信する事が出来る、「絶対」のものなのでしょうか?!

私には
それらは、大きな落とし穴にさえ思えるのです。

「ほら、ね、見てごらんなさい!この通り、これが本当ですよ〜」などと、
体裁よく、簡単に目の前に見せられるようなものは、
かえって嘘くさく、チープで、薄っぺらなものに感じたりは、しないのでしょうか?

かといって、
目に見えるものが全て、いかさまとも思いません。
もし、そこに
真実があるとしたら...
それは、理屈などとは無縁の、心に訴えかける、(私の場合は直感に訴えかける^^)
深い感動や、理屈や言葉などでは説明がつかない、
そのようなものではおよびもしない、
その現象の背後に存在する、大いなる畏怖に満ちたエネルギーをも、
同時に感じるものではないかと、思うのです。

何故?
人は、目に見えるものを真実だと思うのか?
理屈で説明出来るものこそが、本当だと感じるのか?
それこそが
単なる、つじつま合わせのこじつけなのではないかと、
思ってみることなどは、ないのでしょうか?

言葉のあげあしをとる...相手の言い損ないや言葉じりにつけこんで、なじったり、皮肉を言ったりする(広辞苑より)

↑あまり、良い言葉では無いですね...(^^;)

これらの行為を行う時、心の背景には何かしらの意図、
相手への感情的なものが、存在しているはずです。
本人のプライド、相手への嫌悪、相手より優位に立ちたいと思う支配欲、負けたく無いという心...etc.
どれもこれも、あまり持ち合わせて、楽しくなるような心の状態とは思えません^^;

ですが、
何かしらの思惑があるがために、行うことであるのは確かなようです。
これが、
プライドや、支配欲から生じるものであるとするならば、
喉のチャクラ(ヴィシュッダチャクラ)に詰まりがある場合、
このチャクラが振動していると、そのような感情に支配されるといいます。
一般の負けず嫌いはこのタイプです☆
嫌悪が優位である場合、
こいつ!嫌いだ!なんか、気に食わないから、理屈でこらしめてやる!
...^^;
このような感情によって、行為を行っている場合は
もっと下位のチャクラが振動しています。
※ヨーガ的には、下位のチャクラを振動させる事は良しとはしません。
(蓮華座法を深く組み、アパーナ気という下位に至る気の流れを遮断し、気を上昇させることも
下位のチャクラに意識を向けない一つの方法と言われてます。)

なにはともあれ、
理屈ばかりこねくりまわしていても、物事がシンプルに解決に至る事は、まれで(?!)
目に見えるものだけを、唯一の真実と思っていると
本当に大切なものに、ヴェールをかけているようなもので...
いずれにせよ
自分自身の経験において、真実を知った時こそが、
ヒトがつくった「理屈」を超えた存在に、気がつく☆

というのが...
私の理屈☆

言葉って難しいですね(^^)

今日のワンポイントヨガ
☆苦しみの生存は自分への警告☆

全ては私達が、心で思ったこと、語ったこと、為した行為からしか生じない
ということは、みなさんご存知だと思います。
で、あるならば、
生まれたときから始まって、今まで生きて来て経験した全ての苦楽は、
皆さんのカルマから、生じたものです。
他人に与えられたものでは、ありません。
その法則は、永遠に続き、決して変えることはできません。
この事を理解したとき、智慧ある人は、
生き方を振り返り、改めるに至るのです。
よこしまな心、言葉、行為、
これらのものから離れるわけですから、当然、
人生そのものも、良くなってくるわけです!
そして、より良い人生を味わう、皆さんとは裏腹に...
悪業の結果で苦しんでいる人の存在にも、気がつくことになるわけです。
例えば、
死、病、貧しさ、精神的苦痛、で苦しむ人達。
また、
犯罪を犯してしまう人、あるいは外国で餓死してしまう人。
または人間以外の動物、昆虫、などの生存。
これらを見た時、
良い人生を歩んでいる自分とは、無縁に感じるかもしれません。
しかし、
それらを見た時、
智者はこのように考えるのです。
それらの苦痛は、悪業の結果であると。
もし、これから自分が悪業を積み重ねていくならば、
同じ苦しみを経験することになってしまうのだ、あるいは、同じ境遇になってしまうのだ。
このように
自分への警告と捉え、反面教師として考えるのです。
そして、そのようにならないよう、
いっそう、自己の心、言葉、行為を磨き上げていこうとするのが
最高の実践なのです。
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# by atelier-kuh | 2010-05-08 15:32

習慣

習慣...日常の決まりきった行い。しきたり。ならわし。慣習。(広辞苑より)

習慣にしていることは、ありますか?
また、それはどのようなことでしょうか?
「早起き」「ジョギング」...etc.
人それぞれ、何かしら習慣はあるものですよね!
では、
なぜ?それを行うのか??

長い期間、あることを習慣にしていると、それを行うのが当たり前になって
なぜ?行うのか?ということを、見失ってしまうことがあります。

心においては、性質(性格...先天的、生まれつき要素)よりも、
この習慣によって為される、
反復、記憶したものの方が、行動等に影響を及ぼすといわれているそうです。
あなどるなかれ...習慣!
ということが、言えるわけですね...(^^)

例えば
食事の後に、歯を磨く

一般的に、よく行われている習慣のひとつと言えると思いますが、
これが当たり前になると、
やはり...やらないとなんだか調子が悪い、落ち着かない、気持ちが悪い...等
やらないことが、どうもおかしな感じがする(><)ということに、なってきます。

逆に
これを、巧く利用すると
どんなにとてつもなく(笑)怠惰な性質を持った人も、
習慣によって、人間的に劇的変化をさせることが
可能になってくるわけですね☆
(怠惰な人に、ある習慣を習慣とさせるまでが、困難といえるかもしれませんが...^^;)

石の上にも三年
なんて、言葉もありますが、何事もこつこつと毎日毎日の生活の中で、
努力し、積み重ねて行くことは、
その人の新たな習慣をつくり、
また、その人自身の、人間的な新たな側面を創り出すことにも繋がる☆
ということが、言えるのですね〜(^^)

...なんて
改めて何故このような、認識に至ったかと言いますと...(^^;)>

この習慣づくりにおいて、ほんの少しですが
自身も、新たな側面をつくりあげつつあるかな??(まだ、確信には至っておりません^^;)
という、ちょっとした期待☆と、これからも頑張るぞ!という意思確認☆
自分を鼓舞する意味で、もう一度、この習慣づくりからしっかり行っていこう!
と、連休明けでちょっと、ペースが乱れがちな自分へのエールも込めてみたのです。

世の中では
5月病なんて、言葉も使われたりするこの時期ですが、
そんな言葉に流されず、
ため息は、大きな深呼吸で思いっきり遠くへ、吹き飛ばすくらいの心意気で
眩しい太陽に向かって闊歩しましょう!


今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガと救い☆

キリスト教、聖書で書かれた一部は
真理です。
神は、全ての魂を救いたいと願っていますが、
悪業を犯したものは、裁きに合うという箇所は、真実です。
ヨーガの理論でも、
為したことは、必ず返る、
功徳の果報は、喜びを享受する天界へ。
悪業の果報は、それに応じた苦しみの世界へ...。
この部分は、聖書とある程度、共通した教えが説かれています。
それに対して、このような質問を受けたことがあります。
「神は慈悲がないのか?」
「なぜ、悪業を積んだものも、天の世界へと連れて行ってくれないのですか?」と...。
これらに対しては、このようにお考えください。
幼稚園の生徒を、大学院に入学させても何か、意味があるでしょうか?
または、
海の中でしか生活出来ない魚を、陸に揚げて生活させても意味が無く、
苦しみでしかないのと同じように、
あくまでも、個人の魂が成長しない限り、
高い世界へは生まれ変わることは出来ないのです。
生きているうちに、どれだけ心を磨き上げるか、
どれだけ精神的に成長出来るか、
そして、それだけが皆さんの未来を決定する要因であるのです。
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# by atelier-kuh | 2010-05-07 10:10

まごころをつくす

快晴続きの連休でした☆
いかがおすごしでしたでしょうか?

遠方へ出向かれた方、または自宅や近場にて過ごされた方、
連休とは無関係でお仕事に専念されていらした方...

それぞれの五月初旬を満喫されたでしょうか?

五月の連休に入るや否や...
天候にも恵まれ、北の大地にも春到来☆となりました。

今回、私が滞在したところも、大変暖かく朗らかな陽気でした。

抜けるような青空と、爽やかな風...
若葉のにおいと、のんびりと漂う白い雲...

ビルの隙間から覗く青空も
田舎の片隅から見上げる空も、何ら変わらない自然の風景☆
で、あるにも関わらず...
私達はつい、
騒がしいもの、刺激の強い物へと、心は散漫になりがちです(^^;)

どこへ行っても、天を仰げばそこに
青い空は、広がっているというのに...☆

確かに
南の国に行けば、日本とは違う海の色、空の色、風のにおい...
大自然広がる国々のもつ、計り知れない雄大さ...
近代的に整備された、都市国家へと足を伸ばせば、そこにもまた、
見慣れた日本とは違う風景...
それぞれの美しさ、言葉で言い表せないほどの感動☆
感じるものも、それぞれの場所で様々...

各地で味わう、情緒などに
一時の安らぎを感じたり、深い感動を味わうことは、確かに楽しいものです(^^)

どこへ出向くにしろ...
その場所には人が居て、なにかしらの交流が生まれ
感じ取る「何か」が、あることに私はいつも、感謝の念が沸き上がります。

何気ない、些細な言葉の行き交わしに、その人の真心を感じる

旅先で出会う人々は、
まさに
「一期一会」
次回、またどこかでお会い出来るとは限りません...
多分...お会い出来ない方がほとんどでは??と、思います。

ですが、その一人一人に
真心をつくす、つくされる。

忙しい最中でも、とびきりの笑顔で対応する
やさしい口調で丁寧に話す
...etc.
些細な気遣いなのですが、そこに、人の優しさ、思いやりの心の温かさ、を感じます。

壇上に上がり、多くの方々に向かって
様々なエピソードを、ユーモアたっぷりに講演をされる方、
素晴らしいですね(^^)

そんなお話を、伺うことができる機会に恵まれることも、
私にとっては有り難く、また、貴重な経験です。
そして、同時に
壇上に上がること無く、決して明るいスポットライトも浴びることもないけれど、
黙々とご自身の役割をこなし、目の前の人を真心こめてもてなすことに専念される方との交流も、
私にとっては、大変貴重な経験です。

与えられた場において、その人の役割を
真心込めてこなすことは、
こんなにも、人の心に響くものなのかと、
「真心をこめること」の大切さを改めて感じたのでした☆

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガで考える価値ある生き方☆

人間は長生きすべきである、長生きすることは素晴らしい☆
通常の観念で言えば、確かにそれは否定出来ないかもしれません。
しかし、
ヨーガ的な見地から見ると、単に長生きが価値があるとは言い切れなくなってしまうのです。
それは、なぜでしょうか?
また、ヨーガでは、どのような生き方がベストだと考えられているのでしょうか?
もし、ヨーガで説くところの来世がある、魂は生まれ変わりを繰り返すということが、
真実であると過程するならば、
悪業を為さず、功徳を積み続ける人生は、
長生きすることは最高に価値のあることだと、言い切ることができるでしょう。
しかし、
真理を見つめることなく、悪業を積み続けるならば、
単に来世、苦しみ多き世界に生まれ変わり、そこで長きにわたり
苦しみ続けなければならないことになるのです。
このような見地からすると、
単に、長生きするということが素晴らしいとは、言い切れなくなってしまいます。
もちろん、
来世だけでなく、今、生きている段階においても、
いずれかにおいて、
様々な病、老いからくる苦しみ、痴呆、生に対する孤独、不安、無意味感に
苛まれるであろうことも否めません。
もし、皆さんが、
悪業から離れ、功徳を積む場所として
自己の魂を磨き上げる場所として
人間の世界を(今、生きている世界)を活用するならば、
若さを保ち、
病とは無縁、
生に対する充実感、至福感を経験し、
来世だけでなく、人生そのものが最高のものとなるのです。
どうか、皆さんが、
この人間の世界でたくさんの功徳を積み続け、
長生きされることを望んでやみません。
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# by atelier-kuh | 2010-05-06 11:13

楽天家

あっけらかんと物事を考える(^^)
これは、私の得意技です☆
え〜〜(@@)!!なんか、結構深く考える方じゃないの???
って、よく言われます(笑)が、ものすごく考える割に...
楽天的なんです(^^)v

あっさりしすぎ?というか、結論を出すのが早い?というのか...

あまり、くよくよと考えていると
躊躇したり、疑問が湧いて来て、行動に支障が出るので、考え過ぎはあまり良くありません。

↑...ということを、経験上学んだので(笑)
あとは、生まれつき(?!)
楽天的性質☆(親より譲り受けたと思われます)

はい(^^)v

小さい頃から
仲間を選びましょう!
良き友人と交わりましょう!
と、言われてきました!
きっと、多くの方がそうだと思います(^^)

良き友って?!
いい仲間って?!

当然、
自分を高めていける、志の高い「同士」のような存在のことです☆

それら仲間と集うところに、
悲壮感や否定観念は存在しません!

辺りを見回すと...周りには
う〜ん
やっぱり、皆さん、楽天的な性格と思わしき人が、断然多い!!
泣いたカラスがもう笑った!...とは、わかりやすい例えですが、
明るい笑顔に、底知れぬ意思の強さ!
バランス感覚と、協調性!
抜群の行動力に、常識的な分別を兼ね備えて...☆
本当に素敵な方々が多いです♪

改めて
こうしてみると、素晴らしいご縁の輪が広がっているではないですか☆

何はともあれ
今日から五月☆

日々、年頭の計画とは、全く別の動きが多く...(^^;)
スケジュールがあってないような進み具合で、もうあとひと月で、今年の半分を迎えます。
こんな動きでは、スケジュールの立てようが無いな...と、思う反面、
ぐるぐる動くその変動ぶりにも、ちょっと興味もあったりして(笑)
とりあえず、周りと話し合いを繰り返しつつ...
自身としての計画を一応立ててみながら、様子をうかがう有様。

ここのアトリエのイベントも、季節の移り変わりとともにひとつひとつ...

多くの方々との新しい出会いが、また、自身の興味の枠を広げてくれます♪

人とのふれあいの中で、自分の引き出しが徐々に増えていき
思考の奥行きも広がっていくのは、とても有り難いことで、
1年の終わりに、それを振り返っては
去年の自分との価値観の違いに驚いたり、感動したり...

いよいよ
変化の環境にも慣れ始め
具体的な動きがはじまるシーズン☆

これから、私自身もどんな風に成長出来るか、わくわく☆
楽しみです!

未知なるものへの、不安、恐怖は、
人並みに、ある程度感じますが...
えてして、この「楽天家」と思わしき性格に、
自分自身で、自分の背中をぐっと押されながら
いつも前へ前へと、進んで行けることに感謝して(^^)

いつも、つたない文章におつきあいくださいまして
ありがとうございます。
明日から5日まで、研修のためブログはお休み致します!

良い連休をお過ごしください

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガの宝 それは智慧への発現☆

ヨーガは神への道と呼ばれます。
では、神とはなんでしょうか?
神とは、最高の智慧を有するものであると言えます。
では、智慧とは何でしょうか?!
智慧とは、現象に対して、正確にそれを捉える力といえます。
では、どのような実践を行えば、智慧を培うことが出来るのでしょうか?
例えば、
低俗な雑誌、漫画等を読むことは、
自己の精神レベルを劣化させるので、それを読まない。
例えば、
異性を見てすぐに、性欲が出るような意識は、動物と何ら変わらないので、
そのような意識を恥じる
等...
私達の心や、言葉、行為がどのような結果をもたらすのかを、
常に考えて、それらを慎重に為すなら、
瞬間、瞬間、私達の智慧は増大するのです。
そして、
ヨーガで説かれる真理を学び、考え、自分の性格や傾向をチェックしたり、
周りの人々の人生をチェックする、等々を培うことによって
何が本質で、何が自分達を不幸にするのかということを含めて、
全てが理解出来るようになるのです。
そして、
この自分、自分の周りの他人から、小さな社会、そして大きな社会
国家、更には、地球と...どんどん思考を広げていくうちに
全ての現象が、ありありと理解でき、
智慧というものが現れてくるのです。
これが、智慧の本質なのです。
ここで、大切なのは、今まで生きてきた価値観で現象を観察しても
決して、智慧は発現されることはありません。
なぜなら、人間は、何を為せば自己を苦しめ、
何を為せば、自己を幸福にするか、
全く見えない状態であると言えるからです。
もし、そうでなければ、
自分の人生も振り返って、
他人の人生も振り返って、
あるいは、社会、世界を観察してみて
これほど、多くの苦しみを味わう必要な無かったはずです。
あくまでも
真理を学び、真理によってのみの現象観察だけが、
智慧を発現させてくれるのです。
(※お薦め本...「あるヨギの自叙伝」「人間の永遠の探求」パラマハンサ.ヨガナンダ著 森北出版       「聖なる科学」 スワミ.スリ.ユクテスワ著 森北出版 )
         
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# by atelier-kuh | 2010-05-01 17:27

乗り越えて

数々の悲しみを乗り越えて、今に至る...
そんな人々は
きっと、以外と多いのでは無いかと思います。
口に出さないだけで...
言葉には表さないだけで...
明るく振る舞うその裏側に、
その笑顔からは、想像もできないような...

悲しみ
苦しみ

人は、見た目の印象、話す言葉...など
自分の中のイメージで、相手のことを判断してしまいがちです。

第一印象☆
明るそう!
楽しそう!
元気そう!
...etc.

でも
よくよく話を聞いてみると...
そんなことがあったんだ...知らなかった(><)
とか、
そんな風に見えなかったから...全然気がつかなった(T T)
とか...

誰しもが、いろいろな悩みや苦労を抱えて生きている(なんとなくはわかっていても...)
日々の中で
そんなことを一瞬忘れさせてくれるような、
ちょっとした良いことがあったり☆
また、
楽しい出来事があったりすると、
ふと、そんな些細なこと...と
苦を抱えていたことなど、瞬間、忘れてしまうこともあるけれど。
本当に、苦というものがない人なんて
居るのでしょうか?

あの人は、いつも明るくて友達もたくさん居て
とっても楽しそう☆
あの人は、仕事も成功して、お金もたくさんあって
思い通りに生きていて、きっと悩みなんてないんだろうな☆

大抵
その「人」の断面的な側面を見て、
このような判断をしがちです。

ですが、
人が不老不死の存在でない以上は、
この世で苦を感じない人など、
本当にいるのでしょうか?!

大切にしていたものを失った友人から
哀しい連絡がありました。

その悲しみは、想像することはできますが、
完全に変わって経験することは出来ません。
共に、涙を流し、悲しむことは出来ますが、
それを過去にさかのぼって、避けることは不可能です。

だからこそ、
乗り越えて、生きていく術を学ばなくてはいけないのですね...。

友人の悲しみを表すかのように
ここ連日、
冷たい雨が降り続いています。

ちょっと...
しんみりした話になってしまいました(^^;)

気を取り直して(^^)o
明日から5月!!☆
あちらこちらに、力強い生命力あふれる植物たちが芽を出し
大いなる恵みをもたらす為に、準備を進めています☆

置いて行かれないよう、頑張らなくちゃ!!!

今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガは真の喜びの道☆

人は、喜びを求めるものです。
このことに疑いを持つ人はいないでしょう!
では、なぜ、人は喜びを求めるのでしょうか?
もともと、私達の意識を司る大脳も、無であった宇宙から誕生したものです。
それなのに、
全ての生あるものは、共通して喜びを求めるのは、なぜか?
論知的な答えがなくてはなりません。
生命体が共通して、喜びを求めることはわかっているのですが、
なぜそうであるのか?天才的な学者でも言明できない事実なのです。
ヨーガでは、
それをはっきりと言明しています。
それは、魂(真我)の本質は、
喜び(永遠の歓喜)をもたらすものを内在していたからに他なりません。
膨大な生まれ変わりをスタートする原初は、
もともと、永遠の幸福を内在していたのです。
それゆえ、その記憶があるがゆえに魂は、喜びを追求する本質を持っているのです。
そうでなければ、
人が喜びを求める性質が、
教育として与えられたとか、誰かに教えられたなどではなく、
本能的な性質として持ち合わせることに、
説明がつきません。
自分の心、
他人の心を観察すれば、
全ての行為の背景には、喜びを求めていることに気がつく事が出来るのです。
食べること、寝ること、遊ぶこと、
家族、友人、恋人とのおつきあい...
また、娯楽やレジャー...
全て、この喜びを求める心から生じるものです。
しかし、私達は、その求めた喜びが得られないと
苦しくなり、寂しくなり、不安になりお酒を飲み、人を求めて彷徨ったり、
もしくは、娯楽に夢中になって紛らわせたり、衣類や物質を買いあさったりなどするのです。
つまり、
内側に充実した喜びが無いが故、外側に求めるようになるのです。
ヨーガの実践によって、
心身ともに、健康で、精神も充実したら
外側に何かを求めることなく、本当の喜びを得ることが出来るのです。
気を紛らわせる為に、お酒を飲んでごまかす。
友達と大騒ぎをしてごまかす。
他人によって、心の安定や、安らぎを得ようと求めても、
その場限りで、決して真の幸福は得られないのです。
もともと、全ての喜びは
私達の内側に内在しているというのが、ヨーガの定義です。
自分自身が、内側に確固たる精神の明るさ、安定、安らぎを得た時、
その人は、本当の幸福を得ることが出来るのです。
そして、その道を歩むことを
ヨーガを実践するというのです。
皆さんも、
ヨーガの実践で、真の幸福を得られてみませんか?
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# by atelier-kuh | 2010-04-30 17:20
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atelier空kuhオーナーの気ままな独り言日記


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