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atelier 空 kuh

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熱き心

リーダーになる人は
思い込みが激しいタイプ?!

(@@)!!
リーダーになるかならないかは、別として...
色々な意味において、
思い込みって!確かに大事☆
もちろん、ここで言う思い込みは、卑屈さやネガティブな思考とは別次元!

おれが!私が!やらずに誰がやる!
ってくらいの、意気込みは、ある意味...激しい思い込みの為せる技?!
かもしれませんよね(^^)

でも、それってとっても重要で、
そういう熱い思いを、抱く人がいなければ
先へ進めないことってあったりしませんか?

先頭切って、走っていって
みんなを思いっきり引っ張っていく☆
旗を振って、めえいっぱい進むべき方向を指し示す☆
そんなタイプは、
やっぱり、どこかヒーローめいた(もしくはヒロインめいた)
私しかいない!!!という、強い思い込みが
行動の原動力になっているように
思います。

そんな熱い心をもって...
熱い志をもって...
突っ走っている人を見かけたら(^^)

なんだか、やっぱり
応援したくなる...

冷ややかに、ちょっと冷めた目で見たとしたならば、
ただのうるさい人にしか、見えないのかもしれませんが(笑)

その熱き心にもし、
心うたれたとしたら...

何はなくとも、その志のお手伝い♪
いや、お手伝いが出来ないまでも、
そっと、心の中で応援☆
いやいや〜
私は、そういう人を捜していました!求めていました!
是非、一緒に旗を振ります!!

人によって様々でしょうが、
そんな風に、周りをも熱くさせてしまう
[情熱と思い込み]
人のエネルギーってすごい☆

そんな一人一人のパワーによって
大きなものをも覆す
偉大な力がうまれるのかもしれません☆

※もちろん、その人が何に対して情熱を持っているか
見極めるのは重要ですが....(^^;)

なにか、物事を良くしよう!
人の為になるよう努力しよう!!

そういう志であったら素晴らしいですよね☆
(表面的な体裁だけ、綺麗に取り繕っている事象も多いので要注意なこともあります...)

純粋な心
綺麗な心
透明に磨かれた心の鏡

それらの判断においても、
やはり、大変重要になってくるのは間違いないです...

う...ん
やっぱり、心磨きは大切ですね(^^)/

傷ついても、躓いても
人の為に努力できるひとは、やっぱり強くて
美しい...

その心は、
遥か遠くまで照らし、輝く光を、放っています。

今日のワンポイントヨガ
☆よいものは他へ☆

スーパーでコロッケを買うとします。
ほとんど多くの人は、形の崩れていない大きなコロッケを
選ぶでしょう。
それによって、他人より自分が利益を得たいという
エゴと、貪りは増大します。
目先の利益を得ることは出来ても、
心の豊かさを得ることは出来ません。

心の豊かさがともなわない幸福など、何の価値もありません。
少しばかり大きいコロッケを得ることが出来たからといって
何の価値があるでしょうか?
もし、みなさんが、
良いものは他が食べて欲しいと考え、
小さいコロッケ、崩れたコロッケを選ぶならば、
皆さんの心を豊かにし、
天に功徳という貯金をしていることになるのです。
前者は結果的に
心も、物質的にも貧しくなり、
後者は、
一見、損をするように見えて、
心も、物質的にもどんどん豊かになっていくのです。
結果的に、自分が他人より得をしたいと考えた時点で
幸福は遠のいて行くのです。
真に幸福を得たいと願うならば、
他の幸福を願い、優先してあげるならば、
結果的に誰よりも幸福になっていくのです。
これは、宇宙の真理なのです。
# by atelier-kuh | 2010-03-15 12:13

経験が幻と感じられる時

良い経験にしろ、悪い経験にしろ
あ〜
あれは
幻だったんだ...
そう、感じるとき

そんな時、その経験をどのように受け止めたら良いのでしょうか?

20代前半の頃
社会人になりたてで
夢や、
希望に満ちあふれ☆
初めてもらうお給料を手に
両親への贈り物、お世話になった人へのプレゼント
自分へのご褒美...
様々な、思いを描きながら
仕事への意欲溢れる、新鮮な日々を送っていたあの頃...
楽しい社会人生活は、華々しく幕を開け
夢への階段はまっすぐに、上へと繋がっているものと信じていました。

上司によるDV

今では、DVという言葉が一般的になり
そういう事実が存在し、苦しんでいる多くの人がいることが
社会的に取りざたされるようになりましたが
当時
それは、美しいオフィスビルの一室で
毎日、毎日、繰り返され...
例えようの無い、絶望感の漂う空気の中
感覚が完全に麻痺し、
重い足取りで、日々の業務をこなし、心の中で悲痛な叫びをあげていたのを
思い出します。

世間と隔離された世界

まさに
それは、不思議なくらい世間の人の目には、触れる機会が無く
恐怖という、恐ろしい呪縛によって
誰一人
社外の信頼できる人間に
口外することも出来ず、
時計の針がゆっくりゆっくり、進む空間の中で
ひたすら苦痛に耐えなければならない時間が流れていました。

なぜ?

あれから数十年経った今、
考えてみれば、
本当にどうしようもなかったのか?
そんな問いが、わき上がり(今でも)
自問自答を繰り返す時があります。

でも
どうしようもなかった...

ほどなく、その経験はTime Upとなり、その環境から解き放たれた時は
すでに
3年以上経過。

体中が痣だらけとなり、左耳の鼓膜も3度ほど破ってしまいました。
自律神経失調症...
メニエール症候群...
いくつかの病名をつけていただいた、私の体(^^;)
しかし
親にいただいた、健康な体は
過酷な環境で耐えに耐え、
最小限の損失で抑え、自身を守ってくれました。

衰弱し切った肉体は、ぼろぼろで
心もぼろぼろ...

それでも
時間という、薬によって
傷は徐々に薄れ

まるで
あの頃のことが
うそのよう

まるで


経験は、お金では買えない貴重なものを
自分に与えてくれます。

自分が得たものは
自分にしかわかりません。
自分が学んだものは
自分にしか完全には理解できないのです。

同じような経験をした人が
気持ちをわかってくれたとしても
全部を理解するのは不可能です。

自身の経験は
自身のものでしかないのです。

それは
良いものであれ、
悪いものであれ、
受け止め方によって
貴重な財産であり、宝物です。

何不自由無く恵まれた人

今では
そのように私のことを見てくれる人もいます。
決して、大きな家に住んでいたり、
高級な車に乗っていたり、
毎日、外食三昧しているような、
いわゆる、セレブのような生活をしている訳ではありません。
はっきり言って、その逆です(笑)

恵まれているとしたら...
必要な時に必要なだけ、
必要なものが、手元にあり、
そして何より
素晴らしい友人がそばにいてくれる。
素晴らしい人との縁に恵まれている。

私の過去の苦しみは、
当時の私にとっては、地獄のような苦しみでした。
もちろん
その後も、苦しみや悲しい出来事は続きました。
泣いても泣ききれないくらい
涙が涸れて、もう出ないくらい泣き尽くした日もありました。
虚しさに、胸がつぶれそうになるような、出来事にも出くわしました。
当時、大切だと思っていたものを、あっけなく無くしたことも...

この世が嫌になる
生きていることですら、息をすることですら
つらいと感じる
そんな日も過ごしました。

でも
それも、今となっては幻ですと、

それは
逃れられない、苦しみの世界を味わっている人から見たら
苦しみとは言えないくらいの
ほんの些細な出来事ですと、

そう、言われたら...

本当に、その通りなのです。

全ては
幻です。

ボロボロだった肉体は癒え、今では健康そのものです。
ずたずたに傷ついた心は、修復され、他を温かく見ることが出来ます。

苦しい、苦しい...
なんてつらいのか...

そう思って、歯を食いしばっていたあの頃は、今では遠い過去

全て
幻と、消えていき
今の私の生きる情熱の炎となって、赤々と周りを照らし、
人は立ち直れる...
経験は、何にも代え難い、自身の財産となりますよ!!
と、ちょっとだけ力を込めて
胸を張って言える。

[今]が、存在するとするのなら...
そういえる自分が今、ここにいる。

今日のワンポイントヨガ
☆現実とは何か?☆

誰かに怒鳴られた時、人は苦しみを感じます。
しかし、ある劇の中で、誰かに怒鳴られる役を演じたとします。
怒鳴る役者はベテランで、大変真実みを込めて怒鳴ったとします。
しかし、あなたは苦しまない。
(言い方を変えますと、なされた言動に心が動かない、いや、わらってさえいられる)
なぜなら、それは、劇の中のこと。
真実ではないと知っているからです。
では、
現実と呼ばれるシチュエーションでは、そうはいきません。
あなたの心は激しく動き、何日も苦しむ。
しかし、現実と呼ばれるものと、劇中のものとは、一体
何が違うのでしょうか?
怒鳴られるという行為は一緒です。
でも、
どちらかは、真実でどちらかは劇の中と、考えています。
同じ行為をされても、どちらかでは苦しみ、どちらかでは苦しまない。

でも、どちらも劇の中のことなのです。
なにをもって、現実とするのでしょうか?
苦しみをつくりだしているのは、自分自身の心なのです。
それを真実と考えるから
苦しみが生じるのです。
現実とは何なのか?誰も答えることはできません。
# by atelier-kuh | 2010-03-14 18:48

集中力!

よく学校で、先生が生徒に
「集中しなさい!」
って、言いますね。
(今も言うのかな???)

何か物事を行うとき、意識の集中が必要な場面、
出てくると思うんですが...

人ってどれくらい、集中していられるのでしょう?

一説では、限界30分
なんて、聞いたこともありますが
24時間のうちの
30分って
...

残りは一体、何に意識を向けているのでしょう??

今日の晩ご飯のレシピ?
仕事のスケジュール?
さっき見た、雑誌の内容?
面白そうなTV番組のこと?
好きなタレントのうわさ話??
...etc.

人の意識は、絶え間なく流れて
常に
何かを考えています。
それが、一体何に、意識を置いているのか?って
考えたことありますか?

ぼ〜〜っとしている時は、よく潜在意識に入っているとき☆なんて
...聞いたことありますでしょうか?

潜在意識の領域は、夢の意識とも繋がっていると言われて
今、スポーツの世界や様々な分野においても
イメージトレーニングと称される訓練として、その領域の活用が注目されているようです。

深い意識と繋がって、人の能力を膨大に引き出すと言われる、
その、潜在意識の領域...

トレーニング次第で
すごい能力を引き出せちゃうような、
不思議な領域が存在することを
信じるか信じないかは、別として(^^;)

明日の晩ご飯は...
とか、
あの人がどうした...この人がどうだった...
なんて、(これも、大事な思考の一つ!と、言われたらそうなの?!かもしれませんが)
流れるがまま、2時間、いや3時間...もっと??...が、過ぎてしまっているとしたら!?

なんだか
もったいない気がしませんか?(私はもったいない気がしちゃって^^;)

ちょっと
タイトルから離れてしまいましたが(^^;)


集中力!

これは、鍛えてその時間も延ばすことが出来るらしいです☆

特に自身が、経験していることでは
瞑想
集中力を養うには、絶好の実践です(←ヨガ好きですから 笑)

それでも
日によっては、と〜〜〜っても眠くなってしまったり...(><)
全然、集中できなかったり...
バイオリズムによって時間の長短はあるのですが
それでも、
すこしずつ、その時間を延ばすことは出来ているようです☆

どうしても、やらなければならない仕事がある!
今日中にやり遂げなくてはいけないのに、やる気が起きない...
...「集中、集中!」なんて、自分に声を掛けながら鼓舞する...

日常でそんな時、ありますよね。

瞑想に入るには、まず
第一に、日頃の生活において、功徳を積む実践が非常に大切になります☆

なぜかと言いますと...

功徳の無い人が、いきなり瞑想をしようと思っても、
まず
落ち着いて座ることすら、ままならない状況になってしまいかねない(TT)
また、瞑想体勢に入ったとしても、
見えてくるビジョンが、あまりよろしくないものになりかねない(TT)

何を、するにも
まず、他に良きことを行うという[功徳の実践]は、基本の基本☆
ベースとなることが多いのです。

今朝、
何かの記事で、興味深い内容を目にしました。

最近の日本人は人助けが苦手らしい...と?!
その理由についても、様々な見解が記載されていましたが、
要するに、
人助けが苦手なのは、環境のせい...?
?????
ボランティア活動をしたい人は多いが(38カ国中でも上位)
参加しやすい仕組みが無い...?
?????
自分がやらなくても誰かがやる、という心理状態に陥りがちだとか...
特に人がいっぱいいる、都市部において見られる傾向...

これについて
どのように、感じられますか?

ボランティアって何か、特別な団体に入って、特別な機会がなければ
出来ないことなのでしょうか?

*てくてく歩いていたら、道ばたにゴミが落ちていた→拾った→ゴミ箱に捨てた
*スーパーに入ったら、ベビーカーを押しながら、たくさんの荷物を抱えて、ドアの開閉に困っているお母さんがいた→ドアを押さえて通りやすくしてあげた
*つるつる路面で、転びそうになりながら、ゆっくり歩くお年寄りを見かけた→声をかけて優しく
手を引いてあげた

思いやり溢れる優しい心遣いは、人の心にも伝わり
喜びの笑顔につながるはずです☆

人がいっぱいいる、都市部こそ、良いことができる絶好の場所だと思うのですが...

他人への関心が低下したとの指摘もある
と、記事には書かれていました。
では、一体何に関心があるのでしょう?

環境が整わなくては、良いことが出来ない。
それは...(TT)寂しっ
何か準備がされていなくては、行動に移せない?
本当にそうでしょうか(TT)

小さな善行でも、人の喜ぶ顔が見られたら
誰でも嬉しいはず☆

幸せそうな笑顔は、自分をも幸せにする(^^)

そう思いませんか?

功徳を積んで自分も幸せになる、
自利利他の実践☆は、集中力を延ばすことにも繋がるんですよ♪
(ちょっと、話が飛びましたね 笑)

今日のワンポイントヨガ
☆レッテル☆

私達は物事を
好き、嫌い、あるいは良い、悪いと単純に判断しやすいですね。
でも、これはヨーガの見地からみると
正しい判断ではありません。
一般的に、悪いと思われがちな職業についている人でも
一般の評価で判断すれば、
全てが、ダメ、悪い、嫌い
しかし、その個人においての長所を列挙したらたくさんあることでしょう。
また
もちろん、悪い点をも持ち合わせていることでしょう。

家族や友人であっても
親だから好き、仲の良い友人だから良いではなく、
この部分は正しい、この部分は間違っていると
好き、嫌いで判断しない訓練をすることによって
あらゆるものが正確に、ありのままに見えてくるのです。
イメージや一般的な評価という色眼鏡で
物事を単純に判断しないことが、大切なのです。
# by atelier-kuh | 2010-03-13 12:19

結ぶ

最近、新しい出会いが続いたり
昔からの知人との関係が深くなったり
人間関係においての
深みが増して来ているな(^^)と、
とても有り難く思っています。

人との出会いは、自分を多いに成長させてくれると
以前にも、書いたことがありますが、
今まで、自分の中に無かった新しい引き出しが
どんどんどんどん
増えていく...

そんな感じです。

中には
出会っても、さらっと消えてしまう...
淡雪のような出会いもあります。
ですが、それにも
重要な意味があったり、
次への扉へと導いてくれる
案内人としての役割を持っていたり...

そう、
次のステップへと、結ぶ役割を担って
私の前に登場してくれた方々も
ここ、数年続いていました。

つかず、離れず
細くとも柔軟な糸で
繋がってくれている...
そんな方もいらっしゃいます。

人と人とを結ぶ糸
人と出来事を結ぶ糸

それは、どこから繋がって、一体どこへ続くのか...

私はヨーガ愛好家です。
ヨーガという言葉には、結ぶという意味があるそうです。

何と、結ぶのか?

それは
自己(自分)と。

自分の[真我]と結ぶもの

ヨーガの経典、ヨーガスートラの最初の章(ヨーガスートラ 佐保田鶴治氏著)
にも、はっきりとその定義が記載されています。

ヨーガとは、真我に至る道である

ヨーガをされる方は、是非、なんのためにヨーガをするのか、
はっきりと目的と定義をもたれてから進められるのが
最も効果もあり、また正しいやり方であると思います☆
ですので、もし
ヨーガの世界にご興味おありの方は
是非、目を通して見てください(^^)☆

ですが、ヨーガに限らず
今は、一般的に
美容と健康、表面的な美しさ、一時的な快楽、苦痛からの解放、
あるいは一瞬で得られる、一時のリラックス...
そういったものを追いかける傾向が強く

内面を本当に努力して磨こう☆
自己を鍛えよう☆
それによって、永続的な至福を得よう☆
そんな風に、考えている人は、少ないのでしょうね...

自分磨きの類いの本も、数多く書店で並べられていますが、
どうなんでしょう?
どれだけの、説得力をもって
自分を磨くというテーマを掘り下げているのでしょうか?

きっと、書かれたご本人は、大変な努力をされたかも
わかりません。
ですが、読まれた方は実際に同じような努力を試みることが
できるのでしょうか?
読んだだけでは、決して効果はあらわれませんよね?

本との出会いもまた、その人に結ばれた縁

本当に自分を磨き、高めてくれる本との出会いがあるように
まずは
そんなものとで出会えるような、自己の感性を磨く
不必要なものには、なるべく出費をしない
流行や情報にながされない
...等

自分の心を見つめる訓練
そして
本当に自分を高めたいという欲求
そして
周りに対する、心からの感謝

日々、そんなことを考えながら
大切なものと自分とを結びつける
心の目を養っていきたいものです。

今日のワンポイントヨガ
☆悪口のカルマ☆

普通、悪口を言われて心が安らぐという人はいません。
それだけでも、悪口は戒められるべきことである
ということは、おわかりでしょう。
しかし、
面白くないことがあったり、腹が立ったりすると
ついつい、悪口を言ってしまいます。
この、守れそうで守れない「不悪口」の戒について
カルマの法則から考えてみましょう。
悪口は、
相手に苦しみを与えます。
よって、為したことは返ってくるという
カルマの法則からみるならば、
良く悪口を言う人は、絶えず、他から悪口を言われるという
因(原因)を作っていることになります。
そして、
因は、条件が整った段階で現象化しますから
必ず、自分も悪口によって苦しむことになるのです。
なぜ、私達は、悪口を言ってしまうのでしょうか?
その背景には、必ず、
相手に対する嫌悪、怒り、嫉妬などの
邪悪な心があります。
真理には、
[全ては心の表れである]という、教えがあります。
この教えに従うならば、
悪口を言えばその心の表れによって、
自分の周囲は、
嫌悪、怒り、嫉妬に満ちた世界になり
それによって、殺伐とした人間関係に悩むことになります。
そればかりではなく、
来世は、最も殺伐とした苦しみの世界
つまり、地獄へと転生してしまう可能性さえ
あります。
事実、
仏典にも、悪口によって地獄へ転生した例が
載っています。
# by atelier-kuh | 2010-03-12 09:42

待つこと

待つこと

普段の生活の中でも、誰かを待つ
何かを待つ
タイミングを待つ
...

待つことってありますよね。

待たずに、スイスイっと、
何事もスムーズに進んでいくって
とっても
気持ちがいい☆
ですが、時には、待つことも必要になることがあります。

相手が人であったりすれば、
相手のペースというものが存在します。
自分のペースだけで、物事を進めようとすると当然、
お互いに不快になったり、時には
衝突も生まれ兼ねません(^^;)

待つこと

どうでしょう?
得意ですか?
それとも、あんまり...??
出来れば待ちたくないな...っていうタイプですか??

世の中のペースは、結構、何に際しても「急ぎ足」のものが
多いような気がします。

少しずつ、スローも見直されて来ていますが、
ファーストフードに見られるように、忙しい現代人のペースにあわせて
あれもこれも
あまり、時間をかけずにぱっと出来るもの、
さっと、結果が出るもの、
そういうものが多い気がします。

インスタントに結果を求めるのも、人の欲求の中の一つなのでしょうか?

フリーペーパーなどを見てみると
たった一日で○○の資格取得!
とか、
何時間の講習を受ければ、証明書発行!
とか...
正直、そんな短時間で取得した資格で、私はプロです(ーー)☆
と、いうのは(^^;)
....
どうなんでしょう??

資格や、肩書きについては
さておき...

特に、わかりやすいところで
人の成長、(子供も大人も含めて)
植物の成長、
まとめていえば...
生き物の成長というものは
決してインスタントでは結果はでません。

体質改善も然り!!
資格取得も然り!!(笑)

人間関係の修復も然り!!!
(...とは思いませんか??)

ちょっとずつの、積み重ねでしかないのです。
ですが、
この心がけ一つで後の結果は、大きく違ってきます。

急いで結果を求めないこと

以外と
せっかちな人には難しいことかもしれませんが...
いえいえ
せっかちな人ほど、試す価値ありです!!

メールを送ったけど、返事が来ない!
ビジネスの回答を待っているのに、何も言ってこない!
...etc.
こんな些細なことでさえ、練習にはもってこい(^^)

やるべきことさえやったのであれば、
あとは、自然に結果があらわれるのを
待つ☆

この「待つ」作業も、やるべきことの一環だと思えば
他の作業をしながら、待っても良いわけですよね(^^)

「こんなに私が待っているのに、あの人は一体何をしているのかしら!?」
「急いで結果を知りたいのに、なぜこんなに待たされるの?!」

こんな風に思ってしまっては、せっかくの待つ行為☆も、台無しです(笑)
待っている間
その人に思いを馳せる...
未来において、その人が幸せになることを祈る...

急いでいる時に、そんな呑気なことできる訳が無い!!
そう、思われる方もいるかもしれません。
ですが、
以外や以外...
こんな風に呑気にしているように見えて、
他の幸福を祈ったり
待つこと自体に感謝したり、待つ時間そのものを有り難いという気持ちで、
過ごすことによって
様々な恩恵が待っているはずです☆
いろいろな現象が変化していきます!(←気持ちよく待てた、ご褒美ですね☆)
あなたにとって、とても有利に...
待って良かった☆なんて、あとから本当に感謝したくなるような
そんな結末が、きっとあなたに訪れるはずです。

急いだって、焦ったって
仕方が無い...(^^)

時にはそんな気持ちで、待つ心を自分の中に見つめてみては
いかがでしょうか?

今日のワンポイントヨガ
☆ありのままに見れることが、ヨーガのステージをはかる☆

ヨーガにおいては、対象をありのままに見れることが
ステージをあらわすと言われています。
これは、どのような深遠な意味があるのでしょうか?
例えば、
ここに憎しみの感情があったとして、
その憎しみの感情が相手を否定するという立場を取ります。
そうすると、
相手を否定するとき、それは
相手の正しい部分、長所までをも否定してしまいます。
そこで、真実はわからなくなるわけです。
逆に、
対象に必要以上に執着するならば、
相手の全てを肯定、つまり
正しくない部分も、肯定してしまいます。
そこでも、対象を正確に認識することが出来なくなり、
やはり、判断を間違う訳です。
おつきあいしてから、あるいは結婚してから、
こんな人だと思わなかった...
あるいは、
嫌な人だと思っていたら実はすごくいい人だった、と
後に評価が変わるのも、
私達が正確に、相手を認識していなかったことから
生じるものです。
対象を必要以上に悪く見ることも、
必要以上に良く見ることも、
真実ではなく、
ヨーガではありのままに正しく見れることが
ステージを表すと言われるゆえんです。
そして、
そのためには、私達の心が磨かれていること、
私達の心が嫌悪、執着、無智から離れていることが
要求されるのです。
# by atelier-kuh | 2010-03-11 10:45
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