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atelier 空 kuh

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凛として

背筋を伸ばして深呼吸をすると
自分の肺、腹部等を通して...
酸素が体中を巡っていくのを感じます。

凛として...

華美なもの
優雅なもの
は、人の目を惹きます

インパクトのあるもの
派手なもの
刺激の強いものをみて
気づかぬうちに
興奮の状態にあることを
どれほどの人が気がついているでしょうか?

決して派手ではなく
凛とした姿

質素に
けれど、
餓えた乞食のように懇願するのではなく
そして、
すがりつくのでもなく
当然の権利として。

凛として...

清潔感をもって
律儀であって
決して不義理を行わず

常に分別をもって
誇りをもって。

凛として...

※しばらく、こちらのブログはお休み致します

つたない文章におつきあいくださいまして
ありがとうございます!
また
時期が来ましたら再開の予定です☆

欲望という幻惑から目を醒し、
一人でも多くの方が、自己本来の目的を見つけ出すことが出来ますよう...

今日のワンポイントヨガ
☆愛ある人は輝く☆

あの人は、なんか暗いね。
あの人は、なんか輝いているね!
これらの言葉を私達は、発したり、聞いたりしたことがありますね。
実際に、光を目にすることが出来なくても、
私達は他人から、それらの印象を察知出来るのです。
また、肉眼でとらえられる光(可視光線)より、
肉眼で検知出来ない光の方が多いことは、現代物理において
常識の見解です。
私達は、
他人の心の光、功徳の光を潜在的に理解出来るのです。
では、ヨーガの世界では、
何がその人を暗くして
何がその人を輝かせるのか、
理論がはっきりと説かれています。
他に与えた喜びのエネルギー、つまり功徳がその人を輝かせると。
そして、心の功徳、他の幸福を願ったり、他の不幸を悲しんだりする人の光は
膨大であると、説くのです。
逆に、怒り、嫌悪、他を害する心は、
心の不徳さゆえ、どんどん光を失っていくのです。
ヨーガに熟達しましたら、
その光に対しても、普通の人よりもとても敏感に察知できるようになります。
功徳を有する人を見れば、すぐに理解することが出来ますし、
逆に不徳で光なき人もすぐに理解出来るのです。
また、
自分の心に嫌悪や怒りが生じた時に、
光を失うことも、経験として理解できます。
また、他人が嫌悪を発した時に
みるみる光が無くなっていくのもわかります。
そして、光が無くなれば、
その人は輝きを失い、容姿も衰えていくのです。
怒りや嫌悪を発する人も、それなりに理由や言い分があります。
しかし、どのような理由であっても、
怒りや嫌悪、憎しみは、その人の光や輝きを、
そして、美しさまでをも、奪い去ってしまうのです。
よって、ヨーガの世界では、
他に対する怒り、嫌悪を最も低級な心として
強く戒めているのです。
そして、その逆の、多くの人達への愛の心、哀れみの心は、
その人を神々しく輝かせるとして
奨励するのです。
そして、これは
迷信でも、思い込みでもなんでもなく、
真実なのです。

怒りや嫌悪がある時、
他に愛の心を生じさせている時、
どちらのときにも、実際に、鏡を覗いてみれば
すぐに理解できるはずです。
# by atelier-kuh | 2010-05-28 10:38

展示会☆

そろそろ、エンジンがかかり始めました〜☆
...って、ちょっと遅いくらいなんですが(^^;)>

本格的に展示会の準備を始めなくては...!

今回は
期間としては短いのですが
いつも、ギリギリになっての最終調整がドタバタで...(^^;)

こちらには
お仕事上の実際的な話というよりは
私自身が感じたこと
思ったこと
その他
もろもろ...

どちらかというと
インセルフ的なことを書いているので
非現実的妄想(?)^^;
のように、感じられる内容も多いかもしれないのですが(笑)
ちゃんと
仕事もしています。^^

あえて
このブログでは宣伝などを行うつもりはないのですが、
展示会をします!
ということだけ、載せておくことにします☆

作品の展示は、年中行っているのですが
イベントとして
大々的に行うのは
年に数回ほど...
会場も狭いですしね(^^;)

ですが
この展示会において
見知らぬ多くの方々と、お会い出来る機会というのは
大変貴重で
私にとっては、本当に楽しく有り難い時間☆
人生においての宝物となるような
素晴らしい出会いに満ちた
神様からのプレゼント☆
と、
思っているのです(^^)

ですので...
とても
楽しみ☆

展示会の後
どのような出会いがあり
何を感じたか...
そこからまた、何が見えてくるのか?
といった、私なりの視点での
ブログ記事が書けると良いな☆と
思っています(^^)

小さな子供達とも
たくさん出会えると言いな〜♪

芸術というのは
決して、敷居の高いものではないんです。
誰でも
どんな人でも
自由に楽しめる
自由に感じられる
そんなものであったらいいな〜というのが
理想です。

あ!素敵!
これ、かわいい!!
なんて、綺麗なんでしょう!!

そんな風に
心が動かされる...

素直な気持ちで
感動する

それが
その人にとって
何かしらの
生きていると感じるものに繋がる...

何を見て
何を感じるかも
その人の


素敵なご縁と繋がることが出来るように
心から
期待と祈りを込めて...

今日のワンポイントヨガ
☆なぜ、その人を嫌いますか?☆

嫌いな人が多い人生は、苦しいものです。
しかし、私達は何故、人を嫌うのでしょうか?
そして
その本当の理由とはなんなのでしょうか?
人は、自分に利益を与える人、好意を示す人を
好きになります。
逆に、嫌いな人とは、自分に敵対する人、
害をなす人、と考えるのが一般的でしょう。
そして、
私達は、自分を攻撃する人、敵対する人は
嫌悪して良いんだ。毛嫌いして良いんだ。否定して良いんだ。
このように、考えます。
でも、
少し、冷静に考えてみてください。
その嫌いな人は、
自分にとっては嫌いな人ですが、他の人にとっても嫌いな人かどうか
これは、別問題です。
つまり、
その嫌いな人の家族や、友人、また知人にとっては
大切な人、愛すべき人であるわけです。
しかし、
自分の視点からだけ見れば、
その人は、嫌いな人、悪い人なのです。
でも、それは
自分のエゴがそう決定しているだけで、
自分との関係でそうであるだけで、
その人が、否定されるべきでもないし、嫌悪されていいのだというわけでも
ありません。
もし、
自分を中心に世界を考えるならば、
嫌いな人を否定することが、出来るでしょう。
しかし、それは、真実ではありません。
世界は、自分のためだけにあるのではなく、
みんなの世界だからです。
もし、私達が、幸福な人生を歩みたいなら、
この嫌悪という強敵を許してはいけません。
気に入らないものは、全て否定する。
嫌悪できる。
このような思考に立つならば、私達の心はどんどん
おかしくなってしまうのです。
敵味方、関係なく、
全ての人の幸福を願う。
全ての人の存在を認める。
難しいことかもしれませんが、もし、それを実践出来るなら、
最高の心の豊かさを得られ、そして、
最高の幸福となることが
出来るのです。
なぜなら、
嫌悪の心が最も、自己を苦しめ、
愛こそが、自他ともに最も
本当に最高の幸福に至ることが出来る
源だからです。
# by atelier-kuh | 2010-05-27 11:47

枯渇しないもの

枯渇...かわいて水分がなくなること。尽き果ててなくなること。(広辞苑より)

最後の一滴...がポトリ

灼熱の砂漠のまっただ中で、
残りの水を飲み干す...

あ〜
もう無い!!!

無いと解ると、欲しくて欲しくてたまらなくなる...!!
(大変だ!!)(><)

灼熱の砂漠に旅に出る...ってことは滅多にないので
少々、非現実的?!(笑)

枯渇
という、言葉から
しばし、私の頭の中で様々なイメージが飛び交い(^^)
エネルギー問題も、地球環境問題の中の一つとして
クローズアップされているしな...なんて。

ガソリン、最近とっても高いですよね...^^;

天然のエネルギー資源は
いずれ
枯渇します

そう言われ続けて来ていますが、
その資源に頼って生活しているスタイルは、大きく変わってはいない気がします。
未だ
石油という、資源を持つ国は強大な資金や権力を有していますよね(@@)


これも、人間が飲み水として利用出来るものは
極々、限られた量と言われていますし...
酸素
これだって、植物達が二酸化炭素を分解してくれなければ
もしかしたら、足りなくなってしまうかも...森林伐採が進んでいるのも現実です。

以前、
ある人が
「富は、いくらでも湧き出ている!」
「それにホースを繋いで、どんどん自己を満足させるように使えば良いのだ!」
「富は枯渇しません!!」
と、いったような話をしているのを聞いたことがあります。

へ〜@@
そうなんだ...凄い仕組みだな☆
で、そのホースとは?どこに??
その富とは?どこから??

この私の疑問について
彼女は、なんとな〜く、答えらしいことを話していましたが
いまいち、私には納得がいきませんでした。(あえてこちらでは書きませんが)


それは、
自分を満足させてくれるのでしょうか?
本当に自己を満足させる「富」が、ホンモノの富でしょうか?
そして、それが枯渇しないとは...本当でしょうか?
その方の語る「富」とは
お金、地位、名誉、あらゆる欲望をみたすこと...
それが富である
このようなことをおっしゃっていたような気がします。

私は
それらが、本当に自分を満足させてくれるとは
どうしても、思えないのです...
そして、それが富だということも...
(...笑 ^^;ひねくれてます??)

ある昔話で
一国の国王が、自分の国の人々の為に
自分の持ち物を、国民達に分け与える布施堂というものを城の横に建てた
という話を聞いたことがあります。
貧しい人達は、そこから自分たちに必要なものを持っていって、暮らしていたと...。
いよいよ、布施するものが無くなったとき、
国王は、自分の肉体までをも布施しようとしたと。
この話は、もうちょっと先もあるのですが...
この国王は、全ての国民から慕われ、敬愛の的であったと。
要するに
恵まれた境遇のものは、貧しいものに分け与える実践をすることによって
本当の富を有する。

富とは心の豊かさである

という、お話。

人は
どんなに欲望を満たしても、決して満足することはないと言われます。
なぜなら、
欲望は、欲望を生み
また、大きくなった欲望は更に、大きな欲望を生み...
雪だるまのように大きくなった欲望は、果てること無く...尽きること無く...
ですが、
人がこの世を去るとき、全ての欲望は捨てて、旅立たなくてはなりません。
持っていけるのは
魂の経験だけ...

↑こんな話、どこかで耳にしたことはありませんか?

本当に枯渇しないものは
人のもつ
温かい思いやりの心

どんなに他を思いやっても
それが、もし満たされなかったとしても...
情愛を超えた、利他の心は
それが枯渇することは決してない
と、そう思うのです。

枯渇しないもの=本当の豊かさ=人の心の温かさ、情愛を超えた愛の深さ

こんな方程式が
世の中にたくさん、存在したら
素敵でしょうね...☆


今日のワンポイントヨガ
☆ヨーガの真の自由☆

最古のヨーガ経典を訳し、NHKを通じて広くヨーガを世間に知らしめた
故 佐保田 鶴治氏は、著書「ヨーガ入門」の中で
次のような発言をされています。
インドにおけるヨーガは、
究極の目的を、解脱においています。
インド的世界観によれば、
私達の生存は、時間と空間の制約下にあります。
時空の法則性の中でしか、私達は生きることはできません。
現実の生存の中には、真の自由のかけらもありません。
と、このような見解を述べています。
私達の生存は、
縦軸、横軸、そして高さの三次元、そしてそれに時間を合わせた
四次元空間に存在しています。
これは、時間を次元に含めないという説もありますので
三次元プラス時間と考えても結構です。
そして、時間という制約がある限り、
死というものを避けることはできません。
ヨーガでは、
私達の本質は、
真我と言う、時間さえ超えた、永遠の生命を持つ
と、言われているのです。
もちろん、
人間には寿命がありますが、
もっと質の高い魂が存在する領域があると、
ヨーガでは考えられているのです。
私達が存在するこの、物質宇宙より、さらに微細な物質で出来た領域...
非物質宇宙があるのだという考えです。

インドへ行きますと
有形の神
無形の神
どちらを信仰しますか?という話題が民間レベルで生じます。
それは、ヨーガ経典に
微細物質で出来た世界に住むものを、有形の神
非物質宇宙に生存する魂を、無形の神と
定義しているからに他なりません。

荒唐無稽のように聞こえるかもしれませんが、
真にヨーガに熟達しますと
この微細宇宙、非物質宇宙の世界を
実際に経験することが出来るのです。
そして、
私達の本質である真我は
それさえも超越して
永遠不滅であるということが、
ヨーガでいう、最高の真理なのです。
# by atelier-kuh | 2010-05-26 11:57

弱音

弱音...弱々しい声音。力の無い物言い。意気地のない言葉。(広辞苑より)

あ〜...
どれもこれも、朝から出鼻をくじかれそうな、気合いの無い、残念な言葉(^^;)

でも、誰でもこんな気持ちになることってあるんですよね?!
弱音を吐きたくなっちゃう心境、そんな状況...っていうんでしょうか?

こんなこと書いている私自身も、時々弱音を吐きます(笑)
でも、心の中で...
あまり、実際の言葉に出して、口に出して言うことは、
出来るだけ控えるようにしています。
独り言のように弱音を吐いた後は、
その言葉が空気中に消えていく煙のようにイメージしたり、
水の中の泡になって、消えてしまったりした様子を思い浮かべて...

さらっと流すようにしています。

言葉にしてしまうと...
力ないその言葉は、ネガティブな部分のエネルギーだけが固まって
足元にドンっと落ちる、輝きの無いゴツゴツした岩の塊のように、
肉体に重くのしかかる衝撃だけを与えるようで、
余計に辛くなってしまう気がするからです。

時には
紙に書いて、書きなぐった後...(^^;)丸めてポイッ☆

そんなんでスッキリするの???

と、思われそうですが、
(以前のブログにも書いたかと思いますが)
人の持つ言葉の力は、意外や意外!!
強大です。

弱音の裏側にある感情は、
完全に弱気...

心に弱気があっては、
自己の目標は、当然のことながら、達成しづらく
ましてや、敵(目に見える敵、見えない敵含めて)がいる場合、
それに打ち勝つのは、至難の業!となるでしょう。
常に、強気でいかなくては、勝てる相手にも勝てなくなってしまうのです...

...って、誰とも勝負はしていないんですけど...(. .)
そんな言葉も聞こえてきそうです(笑)
でもね、
勝負はしていなくとも、常に自分との戦いは、行われているはずなんです。
特に、真剣に生きていれば...
その、自分の中の「魔」と戦うことも
一つの勝負と考えれば、
どんな敵を迎え撃つことになろうと、
自己の目標を成し遂げる為に、最後に戦わなくてはいけないのは
何を隠そう...
自分自身なんです。

そう思いませんか?!

弱気な自分
言い訳する自分
後回しにする自分
逃げようとする自分
...

勇気を持って立ち向かえば
何のことはない

易々と
簡単に乗り越えられる壁なのに

怖い
怖い
と、自分のエゴが先回り

背中をポンッと軽く押されてみたら
その勢いで
あ☆以外と簡単に超えちゃった...

な〜んてことも(^^)

背中を押してくれてありがとう!
...と、振り返ったら
そこに立っていたのは
他でもない
自分自身☆

結局は
自分一人の独り相撲(@@)!!

時には、誰かに弱音を吐いて、それを聞いてもらうのも
いけないことでは無いのかもしれません。
でも、そっと弱音を吐いてしまったら...
こっそり流して

あとは、けろっとした顔で(^^)
よし!ごちゃごちゃ言わずに頑張ってみよ〜!と
気を取り直し、いざ
出陣☆

「弱気を起こしてはならぬ、敵を滅ぼすものよ、
それは、そなたにふさわしくない。女々しいためらいは捨てて、いざ立て。」
バガヴァッド.ギーター2.3

今日のワンポイントヨガ
☆怒りは他が与えたものではない☆

頭に来るな!本当にもう!あの人がこんなことするからだ!!
私達は、他人の言動に対して、
怒りを覚えたり、怒りを発生させたりします。
しかし、怒りは本当に他人が与えているものなのでしょうか?
よく、あまりにも嬉しいことがあると、
今は、何があっても許せる!というような表現を聞いたことがありますね。
そのような状態を、実際に経験されたことがある方も
いらっしゃるでしょう。
とても喜ばしいことがあると、そのあまりの喜びに
他人から少々嫌なことをされたとしても、
腹が立たない、気にならない...
それを考えますと、怒りは、
こちらの内的条件によって、生起したり、しなかったりすることが
理解出来ます。
つまり、
功徳があり、内的に満たされ、
心が明るく安定していると、
外的な条件に、感情が影響を受けることはないのです。
これは、
他人と比較してもわかることなのですが、
同じことを言われても、
ある人は、腹を立て、
ある人は、なんとも思わない。
もし、他人の言動が自分に怒りを与えるとするならば、
同じ行為に、全ての人が同じ反応をしなければならないはずです。
そのことを、深く洞察するならば、
怒りは、他人の言動から与えられたものではなく、
こちら側の、未熟な内的条件によって発生することが
理解出来るのです。
あらゆる他人の言動に、怒りを生じさせないことは、
自分の心が成熟しているバロメーターでもあるのです。
# by atelier-kuh | 2010-05-25 11:23

全力投球!

力一杯、全力投球!!
気合いだ〜〜〜!!
...と、体育会系の勢いで、一体何が始まるのか?!

ここのところ、待ちに待ったは春爛漫の陽気で、
ちょっとだけ、緩くなっている気持ちを引き締め、仕切り直し☆
そんなところでしょうか?

特に
何かを新たに始めるという気合いでは、ないのですが...
鏡に映った自分の体は、ほんの少し背筋が曲がって(?!)
全体的に、気合いの芯が何本か抜けた、緩んだゴムのよう?!
シャキ!とした感が、足りない...(^^;)
そんな風に感じていた矢先、
「残りの人生が、この先何十年と続いているのが、当たり前ではない」といったような
示唆が感じられ...
だとすると、今、どれほど精一杯生きているのか?
一生懸命、やるべきことに全力で取り組んでいるのか?
と、考えた時、
全然...
一生懸命じゃない(T T)
全然...
全力で取り組んでいない

あ〜
ごめんなさい...

ちょっと、ぼ〜っとしていたのかな?
と、思うことが多々あります。
一日中、そうであるわけではないので、
なんとなく、やってる風な気がしていたのですが、
実は、そうではなかったんですね...(^^;)やれやれ

もっと
頑張れば出来るはず
う〜ん(^^;)
いや...!
全然、やってるうちに入らなかったかも!?

100メートル走タイム計ります!!
と、言われているのに
よ〜いドン!となってから、
テクテク歩いて
へ〜(@@)なんて、周りをキョロキョロ☆
ゆっくり、のんびり...時には、足元の土いじり??!!
...なんてくらいに、ちょっとのんびりしすぎたかな?

なかなか
正確に自分自身を把握するというのは、難しいものです。

そうこしている間に
もう、5月も後半、残りわずか...
あと、数日で6月です。
1年の半分を迎えるなんて!?
(@@)

今年やろう!と思っていたことは
まだまだ、宿題がたくさん残っていて
手を付けていないことも山盛り。
そんな状態を、振り返った私に...
「全力投球!」というメッセージ☆

何事も、自分の持っている力を十分に出し切る努力をしなければ
望んだ結果は訪れない。
それどころか、
望んだことに手も届かない...。
やるべきことは、日々の積み重ね
努力の積み重ね...。

一生懸命
精一杯の積み重ねをしていくからこそ、
望んだ以上の結果を得ることが出来る。

いつも120%を心がけていかなければ
あなたの望みには
到達しない。

努力出来る身体があること
やろうと思う精神があること
そして
それを発揮できる
環境があること☆

それは、なんて有り難いことなのでしょうか。

出来ない理由を探すことばかりに、時間を費やし
出来ない理由を言い訳に、何もせずに...
○○したい!
○○でありますように!
と、望むのは
明らかに、ルール違反☆

さて
今日から仕切り直し!!

自分の中の精一杯を目指し
出来ることから
一生懸命!

うん、よく頑張っているね☆
そう、言ってもらえるように(^^)

頑張ろ☆

悔いの無い1日を積み重ねていけますよう...

今日のワンポイントヨガ
☆憎悪は自分を苦しめる☆

ヨーガ経典「ヨーガ.スートラ」2章の8において、
憎悪は、苦にとらわれた感情として、それを戒めています。
憎悪とは、
対象に対して、恨みや憎しみの感情を持つ事で
他を害する思念は、距離があっても対象の体調を害したり、
実際に、対象に不幸が降り掛かったりすることになるのです。
昔から、
人を呪わば、穴二つという言葉がありますね。
これは、平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、
人を呪殺しようとするとき、
呪い返しにあうことを覚悟し、墓穴を自分の分も含め二つ用意させたことに由来します。
このように、他に対する憎悪は、自分に跳ね返ってくることを
覚悟しなくてはなりません。
そして、
憎悪の感情を抱く人の心は、
暗く、殺伐とし、その人自身が一番、苦しいことがわかります。
仏教経典においても、
「彼は私を罵った。彼は私を傷つけた。彼は私にこのようなことを為した。」と
過去に、他になされたことを、思い出しては対象に恨みの念を生じさせる人は、
恨みの念、憎悪の念は、もはや、止むことが無い、と仏陀が戒めているのです。
確かに、
私達の人生を振り返ると、
他に害された経験を思い出すこともあるかと思いますが、
全ては、自己のカルマによってなされたこと故と考え、
他を許し、他に憎悪や恨みの念を抱かないことは
真に功徳のある人の心の働きなのです。
# by atelier-kuh | 2010-05-24 10:48
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